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  赤壁の戦いって実はショボかった説について  

1 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/14(火) 20:31:31
信憑性はどうよ?
たしかにあれだけの死者を出したという大火の割には、魏の有名武将の死が全然出てこない。

2 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/14(火) 20:32:03
大火とは?
あれだけの死者を出したというのは?

3 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/14(火) 20:33:24
軍船が燃えて大半の兵を失ったって話だよ。

4 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/14(火) 20:35:34
ショボくはない、曹操軍では大量の病死者が出たんで
相当に不衛生な地獄絵図が広がってたはず
ある意味、派手。

5 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/14(火) 20:37:06
呉書には大々的にどこそこで戦闘があったと書かれてるのに
魏書にはそっけなく疫病の為に撤退って感じで書かれてる所からすると
戦闘はあっただろうがさほど大規模ではなく成果もそれほどではなかっただろうと推測されておりますね

6 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/14(火) 20:38:39
でも、コウガイ達が突撃させた艦隊数十隻だけでは全てに燃え広がるまで時間もかかっただろうし、船を捨てて逃げれる猶予は充分あったと思うんだけどねぇ。

7 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/14(火) 20:41:59
少なくとも魏は呉を平定する気まんまんでいったのに完全に打ち破られた
というのは妄想でしょ
実際は呉もついでに併呑しようかと思ったけど思いのほか抵抗が激しく
自分の軍も不調だから今回は止めときますかね って感じだったと思う
あまりにも熱の入り用が違うからな 呉と魏では

8 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/14(火) 20:46:56
ていうことは呉の熱造疑惑が浮上だね。
この頃から既にMadeInChainaって感じだ。

9 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/14(火) 20:50:13
ねつ造というよりは
他に特記事項がないから過剰な宣伝効果を狙った感じですか

10 :ひょーりみ ◆e/dIJRgbGM :2009/04/14(火) 22:46:07
魏からすりゃどっちでもよかったが呉にとっては存亡を賭けた一大決戦だった
大げさにもなる

11 :バケラッタ:2009/04/14(火) 23:29:46
バケラッタ

12 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/15(水) 00:22:16
>>8
そういうもんだよ。
んで、それを前提に読むのだ。

13 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/15(水) 00:24:31
当時の火力から言っても曹操軍十数万が一気に燃え尽きたってのは考えにくいしな
ガソリンや爆薬があるわけじゃ無しに。あってもせいぜい有機性の油で、風任せに頼るんだろ?

慣れない自然の要害に身動きを取るのに苦戦し、水上の小競り合いでもどうも成果が芳しくない、疫病も流行ってこりゃ戦いにならねーや、ってことで引き返した、
というのが実際のところではあると思う。

14 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/15(水) 00:46:49
ここまでの話をまとめると、龐統や周瑜って大した事ないことになるよね。

15 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/15(水) 01:05:11
周喩は合戦の実態がどうであれハナから降伏するつもりだった呉の滅亡を救ったわけだから、大手柄には違いないだろう

ホウトウは確かに微妙だが

16 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/15(水) 01:42:35
いつの時代も戦争ってのは政治の延長なんだ。実際の内容は不明のまま魏に圧勝という風評を史上に確立させた呉の成果は強かで確かなものだ。

17 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/15(水) 02:45:50
後に映画で大儲けするためのブラフだ。

18 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/15(水) 09:23:04
なんで呉の捏造と言う人がいても曹操の隠蔽と言う人がいないのか?

19 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/15(水) 12:09:32
>>18
いったい何を隠蔽したというのか?

20 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/15(水) 13:12:35
呉書にあるような大敗を隠蔽してるだろ

21 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/15(水) 13:54:24
隠蔽(笑)
アホだろw

22 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/15(水) 14:06:02
呉書が負け惜しみの嘘って可能性は1ミリも考慮しないんだなw

23 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/15(水) 14:08:17
曹操がすきなんだろ

24 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/15(水) 14:33:29
赤壁の戦いの敗北で曹操が天下を統一する機会を失ったのは事実だろうが、
別に主だった将軍が戦死したという記述は無い。
しかも、その直後に銅雀台という大宮殿を建造し、華やかな建安文化の
基礎を築く。ところがそのような大々的な土木工事にも関わらず税金は
上がらず、国庫は安定していた。国が傾くどころかすぐに軍事行動を再開
している事から見ても、曹操や魏にとって人的にも財政的にも大きな敗北
では無かったのは間違いないだろう。
ただ単に、天下統一が遅れたに過ぎない。
にも関わらず赤壁の戦いが史上稀にみる大勝のように伝えられるのは曹操と
いう偉大な名将を後退させたという事実を政治的に宣伝し、士気を高めよう
という意図があったのだと思われる。
そして、それが『三国志演義』においてさらに誇張・歪曲されたと考える。

25 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/15(水) 15:03:13
って、誰が言ってた?

26 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/15(水) 15:28:42
仮に魏書が負け惜しみまじりの記述だったとしても、蜀書のほうにも大したことは書かれていない
蜀に関する記述は全体として三国の中で比較的簡素だが、今日言われるような史上稀なる大勝だったとしたならもうちょっと具体的な事がかかれるだろう。
赤壁で勝って、船を燃やしたと、本当にそれだけしか書かれていないのだから

また孫権の伝にも「曹操軍の死者の大半は病と餓えで亡くなった」と書かれている
つまり曹操の軍が大損害を被ったのは確かだとしても、それは戦によるものでなく、疫病によるものだったんだろう

27 :ひょーりみ ◆e/dIJRgbGM :2009/04/15(水) 16:24:21
ロマンのない奴らめ
もっとドラマチックにとらえろよ
天才軍師諸葛亮が東南の風を起こして宿将黄蓋が曹軍の大船団を焼きつくしたんだよ!
ばーかばーか

28 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/15(水) 17:36:23
>>24・26
だとすると、天下を制する機会を失ったのは赤壁の敗北が原因でもなく、その撤退後に銅雀台建造などの
文化面に財政や国力を使い、道楽に進んでしまったのが原因ってことかねぇ?

29 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/15(水) 17:47:26
赤壁後も戦争ばかりしてた気がするんだが
馬超撃破、涼州奪取、五斗米道撃破、漢中争奪、合肥激戦などなど

30 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/15(水) 17:49:36
>>27
お前がばーかばーか、天才じゃなくて変態軍師の間違いだぞ。ロマンは官渡だぞ、
ただお前が蜀厨だけだろバーカバーカ

31 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/15(水) 17:52:48
>>28
戦争しか頭にないのか。戦争以外の事は道楽かい?ずっと三国無双でもしてなさい。

32 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/15(水) 17:58:22
>>31
銅雀台を建てても天下取れないだろ。

33 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/15(水) 18:02:37
>>32
天下、天下って・・・・さぞかしレッドクリフ観て楽しい人なんだろなwww

34 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/15(水) 18:08:57
>>33
負け惜しみが痛々しいぞ

35 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/15(水) 18:23:28
赤壁による曹操の痛手は実害よりは権威失墜だろう
わかりやすく言えば呉や劉障ら南方が独立の意思を強く持つようになったこと、一時的に反乱が頻発するようになったこと

また曹操が成人する以前から中原は大小の農民蜂起や飢饉などで疲弊しており、逆に江南にはそんな中原から逃げてきた人間が流れ込んできた
南と北の体力差が往年より縮まっていたとは言えるかもしれない

ただそれはあくまで二次的なものに過ぎないと思う

赤壁以後も関中方面やワイ水方面に積極的に軍事アプローチをかける経済的体力はあったが、荊州方面は手だてをうつことができずに利権を失っている。
これは赤壁の疫病が尾を引いて荊州方面の軍が弱体化していたからだろう。これによって以後容易に南に手を出すことはできなくなってしまった

さらに文帝の治世にも江凌を陥落寸前まで追い詰めるが、疫病により戦線が維持できなくなって撤退、
その後の出兵のときにも長江の凍結により身動きが取れず撤退した。
文帝は「天が長江で中華を二分しているのだから仕方がない」と嘆いたと言うが、
結局南伐が叶わなかったのは人為ではなく天意だったような気もする。

36 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/15(水) 18:33:19
>>32
見失いがちだが国にとって天下取りなんてのは重要な事ではないよ
国の事を考えれば戦争なんてしないに越したことはない。
みなそれぞれ国民と領土をもった巨大な政治集団であって、陣取りゲームに興じてるわけじゃない
戦争と言うのはつまるところ政治の延長なんだ。やるメリットがあればやるし、なければやらない

自分の指導する国を栄えさせることが目的であって、戦争と言うのはそのための一つの手段に過ぎないわけ

37 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/15(水) 18:39:11
今日まで世界征服を目論む国がないわけだ
自分の縄張りが確保されてればいいという考え
曹操は当時の状況を政治的に考えて南方ではなく北方に進出したというわけだな

38 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/15(水) 21:44:27
>>35
北から南を攻める時は疫病で悩まされ続けたのに、晋になって西から南を攻めた時は疫病の話が出なかったよね。
当時、南から北に対して風土病の風でも流れてたのかな。

39 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/15(水) 21:54:50
>>38
西の人間は免疫持ってたのかも知れんね
それに現地の人間の病気の対処法の知識が入れば、だいぶ変わると思う

40 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/15(水) 22:04:46
>>36
その通り。
大量破壊兵器を持ってるかどうか分からないけど石油が出るイラク。
大量破壊兵器を確実に持ってるのに石油が出ない北朝鮮。
イラクは侵攻されて北朝鮮は野放し。

41 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/16(木) 02:15:34
秦も劉邦も江南へ侵攻してるのに、そんなメロメロになるほど疫病に悩まされた形跡はないんだよな
大体、全くの異郷ではなく同じ王朝の領土なのに、全く対処法も知られていなかったのだろうか

この時期に突如生まれた新たな病気か、そうでなければ信じがたいほどのレベルで曹操が準備不足だったのか、疫病が流行してたのに進軍を強行した曹操の自業自得だったのか

42 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/16(木) 12:05:10
もし疫病の事実がないなら、単に撤兵の口実だったか

ただ、時代的には傷寒論が成立した頃で、
つまり、当時、史上未曽有の疫病が大流行していた可能性もある

江南開発が飛躍的に進んだ時期でもあり、なんらかの因果関係はあったかもしれない

43 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/16(木) 14:22:45
同じ王朝と言っても漢代から江南は実質豪族の独立政権に近いよ

44 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/16(木) 16:13:42
>>41
当時、医学自体そんなに高いレベルの技術じゃなかった
病気の存在はわかってても効果的な治療法となるとまた話は別
病気のメカニズムなんてまるでわからなかったろうし
だから中原でも飢饉によって死体が放置されると疫病がはやり大量に人が死ぬという事態も起きている
そもそも当時はガチで病気は天の意思だとか悪いことした報いだとか思われていたところがあるみたいだし
黄巾党も病気になったのは悪いことした報いなのだから懺悔しましょうみたいなやり方で信仰を集めた

45 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/16(木) 17:01:26
病人全員に配る薬なんてないだろ

46 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/16(木) 18:20:00
古い時代に疫病が流行ったのって医学のレベルもあるけど
第一は衛生面での理由ってのがあると思う
飯を炊く水も下水も一緒くたで風呂も満足に入らないような生活習慣じゃそりゃ疫病も流行りまくるよ

47 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/16(木) 19:38:03

          ____
       / \  /\  キリッ
.     / (ー)  (ー)\
    /   ⌒(__人__)⌒ \   『赤壁の戦い』なんてなかったんだ!
    |      |r┬-|    |   
     \     `ー'´   /   
    ノ            \
  /´               ヽ

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    |   (__人__)    u.   | クスクス>
     \ u.` ⌒´      /
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<クスクス   /       \!??
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     \    u   .` ⌒/
    ノ           \
  /´               ヽ



48 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/16(木) 19:51:38
赤壁の戦いでの被害が仮に大したことはなかったとすると、
どうして調子に乗って江陵まで落としにかかる孫・劉連合軍に対して曹仁を孤立同然のまま放置し続け、江陵陥落を許した上に奪還にも行かないのか理解に苦しむ

これはつまり赤壁の戦いでの被害が相当なものだったということだろう
理由が火計によるのか劉備の追撃によるのか疫病によるのかはともかくとして

49 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/16(木) 19:56:25
いや、疫病が蔓延してる上に調子こいて追撃してくるからさっさと逃げただけだろ
疫病っていう大問題を簡単においとくなよw

50 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/16(木) 20:04:54
>>49
疫病も火計も追撃も、全部史書に書いてあることだよ
なんで疫病だけみたいに簡単に断定できるの?

51 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/16(木) 20:07:34
>>1のようなニワカ正史好きが叩き潰される流れはもう飽きた

52 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/16(木) 20:08:10
いいんだよ暇なんだから

53 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/16(木) 20:20:19
火刑っつってもなぁw

54 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/16(木) 20:24:26
疫病だけじゃなく、撤退理由に袁紹軍などの投降兵をまとめきれなかったっていうのは歴史の裏にある可能性は無いかね?

55 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/16(木) 20:40:52
>>54
袁紹の投降兵なら既に官渡でかなり殺しちゃったよ、曹操が
荊州の投降兵をまとめ切れなかったのはあり得るかもしれないな

56 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/16(木) 22:24:53
確かに赤壁以後戦力は衰えなかったが
曹操のやり方が急に権力追求志向になったという見方もある

57 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/16(木) 23:09:16
>>50
なぜ荊州の利権を手放したか、それに付いてはすでに>>35で出た
火計や水上の遭遇戦でそれほど甚大な被害が出るとは考えにくい、という話も既に出た
劉備の追撃でそれほどの大戦果をあげたなら蜀書に誰がどの軍を撃破したとか、どんな将を討ちとったとか、追撃戦の様子や状況とかがもっと詳細に載ってるはずだ

戦闘があったにせよなかったにせよ、疫病が主な要因とみてほぼ間違いないと思うが

58 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/16(木) 23:11:04
少なくとも疫病がきっかけで帰る事にしたのには間違いないと思う
その後の戦闘がどんぐらいだったかはいろいろ意見が別れるだろうが

59 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/16(木) 23:15:32
>>47
「赤壁の戦いが無い」なんて言ってるのはお前だけ
今は戦いの規模の話をしてるわけ
日本語くらい読めるようになってから来いよ

60 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/16(木) 23:48:45
>>57
そもそも>>35について、長江以南に呉・蜀が陣取って以降の統一の困難さは同意するが、
なぜそうなる前の孫・劉連合が江陵に侵攻、征服して荊州南部を我が物とし、やがて仲間割れしつつもそれぞれ堅固な体制を築き上げるまで放置したか、の理由については曖昧にしか感じない
石井仁が言うように、関中平定は権威が失墜した曹操が強引にでも演じる必要があった「横綱相撲」であり、それは裏返すと荊州にリベンジかける体制も自信も曹操側にはまだなかったということになる
それだけ弱体化するほどの被害が赤壁で生じたのだと思う
疾病そのものは呉書でも周瑜の見立てによる勝てる理由に入っているから、疾病が当時の曹操軍を弱らせ、かなりの被害を出した事は間違いないだろう
だが、その後の曹操が荊州だけ黙殺して権威と軍事力の回復にいそしむ様子からは、病死者だけではない被害を戦闘でも出したからだと考えた方が辻褄が合う

蜀書にさほど記録されないのは、おそらく劉備による追い討ちはさほど効果を挙げなかったんだろう
実際に曹操に追いつかなかったと記録されているし
ただそれは、呉の戦果の存在を否定するものではないし、曹操が危機一髪だったことを否定するものでもない

魏書に戦死者等の記録が無いのは不思議でもなんでもない
列伝は大抵成功者の記録であって、途中で死んだ将のことなんて記録されるわけが無い
赤壁の時に合肥救援に行った記録が残る騎将張喜ですら全く記録が残っていないんだから
「記録されて無いから」は存在しなかった証拠ではない

曹操はこの戦で権威も実兵力もどちらも失い、他勢力に対する優位は変わらなくてもその差はかなり縮まった
なによりも江陵以南を維持・回復するすべを失ったことで三国鼎立を許してしまった
被害甚大でなかったら、カクが進言していたように荊州維持に切り替えることもできそうなものだが、それもままならなかったということが当時の曹操の状況をよく表してると思う

61 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 01:06:03
孫権の伝にすら疫病の被害が甚大だったことが書かれてるし、
曹操も孫権に「疫病のせいで撤退したが、アレで周喩に虚名を馳せさせる結果になった」っていう手紙も出してるし

こんだけこれ見よがしに疫病だ疫病だ言われてるんだからそれが最大の原因であることはほぼ間違いないだろう

そんなグロッキー状態でガチンコの陸戦やったとは到底考えられない。曹操が退却すら満足に出来ないで疫病におかされた軍隊を戦わせるような愚将なら袁紹にも呂布にも勝ててないよ。つかそもそも劉備からは逃げ切れなかった筈。
水上戦に全力を傾け、なおかつその一戦で後々まで行動不能になる大敗北を喫したとはもっと考えられない。推定十五万とも二十万とも言われるが、五万足らずの兵力で身動きのとりにくい水上で一瞬で大兵力をごっそり削れるような火力も当時はない
そもそもそれほどの大兵力を水戦に投入したわけがないし。いくらなんでも不用意すぎる。
戦死者等の記述がないのは呉書も蜀書も変わらない

辻褄が合うと言うならば、不鮮明な史書から大戦の可能性を無理やり作ろうとするよりは、
単純にまともに荊州方面へ軍事行動が取れないほど疫病の被害が甚大だったと考えるほうが自然な気がするんだが

あくまで疫病を念頭に入れてあるが故の考え方だが、それほどの本格的な戦いにそんなメロメロな状態で臨むとは考えにくい
疫病で行動不能、戦にもボロ負け、と、そこまで後手後手に回り、なおかつ致命傷を負っていたなら、劉備から逃げ切れるわけがない
軍隊が全滅するようなこともなく退却に成功しているわけだから、大戦が起こる前に見切りをつけて撤兵したんだろう。
小手調べや様子見のような接触はあったかもしれないが、本格的な戦いに移行する前に北へ引き返したんだと思われる。


62 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 01:19:12
>>60>>61
赤壁の規模が大きなものだったとするならば、
劉備は疫病、さらに歴史的な大敗北というダブルパンチをくらった瀕死の曹操軍に殆ど一矢も報いず取り逃がしたことになるからな
逃げおおせたということは曹操はかなり早くから行動を開始していたということで、
そんな規模の大きい戦をしている時間がなんてなかったんじゃないか
逆に言えば、そんな大規模な戦を行い、なおかつ大負けしておきながら、逃げる隙があったのかね?ってことだが
戦いがあったとしても、水上の遭遇戦とか、小競り合いとか、その程度のものだったんではないかと
少なくとも軍全体がぶつかるような戦いではなかったのは確かだろうな

63 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 01:32:44
そもそも荊州の戦線離脱を赤壁の実的被害と絡め過ぎじゃないの?

反乱が起こったとか、中央での政策に追われてたとか、民心の安定と権威の回復とか、洪水かなんかで援軍経路が絶たれたとか

他にも考えられる理由はありそうなもんだが

64 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 06:58:09
お前ら超三国志好きなんだなwww
ここまで語れるだなんて関心するわーw

65 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 11:07:53
超三國志は嫌い

66 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 12:15:34
>>59
まて!落ち着いてAAを見るんだ!

とんでもない勘違いをしてないか?(笑)

67 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 12:48:40
俺も思ったw

68 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 18:43:08
ちょっと聞きたいんだけどさ
赤壁って地名って当時はなかったんだよね?
件の戦闘以後にその辺りの地方を赤壁って呼ばれだした訳なんでしょ?
んでさ、赤壁っていう由来は赤=火って事なの?

69 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 19:13:10
俺もそうだと思ってたが、
夕日が照りかえすと岩肌が真っ赤になって非常に美しいから「赤壁」という名がついた
という説もあるらしい

70 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 19:45:21
>>62
英雄記では曹操が討ち死に寸前のところまで劉備に追い詰められてるぞ
危うく難を逃れて有名な捨て台詞吐いてるしな
正史の各紀伝合わせて考えるなら曹操は大打撃を受けた事は間違いない
偽投降に騙されて呉の火攻めを受けたので、残った船を焼いて追手を防いだつもりが劉備に追い立てられて命からがらという感じだろうな

>>63
一族の重鎮が囲まれて落城寸前に陥るまで1年放置する程の理由なんぞないだろ
徐州の方から南下したがそれも敗戦の1年後

南部制圧に最も重要な江陵を落とされてまでやる必要のある事なんて何一つない
中原から荊州への経路で洪水の記録もない

71 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 20:06:50
>>69
そうなのか
じゃあ曹操と孫権の戦いとは関係ないって事なのかな?

72 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 20:12:27
ぐはは

73 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 20:16:32
なるほど

74 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 20:19:22
流れに逆らってまで持論をぶつ人って素敵
けど江陵の問題はまた別と考えたほうがいいかも

75 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 20:40:24
>>74
何故別なのかね
理由を聞かせて欲しい

76 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 22:04:55
>>61で「曹操に追いつけなかったし、劉備の追撃は成果を挙げなかった」としてあるのに
ここにきて劉備に追い詰められたと主張を変換するのはいかがなものだろう
何度も言われているがそれほど凄まじい戦果を挙げたなら蜀書に詳細が書かれないのは変だ
「孫権の軍と力を合わせ、赤壁で打ち破り船を燃やした」としか書かれてない

そもそも各伝合わせて考える方が赤壁の規模が怪しくなってくる
派手なのは周喩伝と江表伝だけで、それでもどっからどう攻め上がっていったのかとか考察を加えないといまいち浮彫にはなってこないし、
他の記述を見ると本当にない。魏書でも当然、負けた側だから少なくなるだろうが、まるで赤壁の戦いが無かったかのような少なさ
いくらなんでもさすがに「自国を贔屓した」だけじゃ済まされないだろう

また周喩伝には「両軍は赤壁で遭遇した」とある。
このあと曹公の軍中にはすでに疫病が発生しており、一度の交戦で撤退した、と続く。ここでも疫病。
そのあと長江の北岸に軍営を置いた、とある。
このあと黄蓋の偽投降で軍艦に大打撃を与えた、という展開になるわけだが、
北岸に軍営を置いたということは、上陸した、という風に考えた方が自然だろ? ただでさえ疫病に侵されてる水に不慣れな大軍団を、いつまでも水上に置いとくなんてどう考えてもおかしい
それだと本体は陸にいたということになるから、火攻めで大兵力を失った、と言うのは、どうも考えにくい
それほどの大軍団に半分以下の寡兵で壊滅的な損害を与えられるという方法も、記述の上では見当たらない。ガソリン巻いたわけでもないのにそんな大陣宮が逃げ切れないくらいの速さで火に包まれるなんておかしいだろう

考えれば考えるほど「戦闘で大打撃を受けた」と言うのは、どうにも考えにくくなってくる
やっぱり疫病と遠征疲れの影響で、戦う前から戦えない状態だった、と考えるのが、妥当なんじゃなかろうか
戦闘でそれほどの大打撃を与えた&被ったなら、あの記述の少なさはどう考えてもおかしいもの。たった一度の戦闘で一年以上も行動不能になる損害なんて類を見ない戦果がだよ?
疫病が尾を引いたと考えるのが自然じゃなかろうか

77 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 22:06:58
カク伝を見ればわかるように、最低でもカクは荊州南部(特に江陵)に楔を打ち込んでおけば呉はくみしやすいと理解していた
曹操がその進言を聞いても進軍したのは仕方ないにしろ、負けて以降も全く理解せずに江陵を放置したというのであれば、曹操に戦略眼が皆無であったといわざるを得ない
もちろん実際にはそういうわけではなく、赤壁での損害が大きくて江陵を助けにも行けない状態だったということだろう
蒋済伝によると合肥救援に使わされた将軍張喜の兵がやっと騎兵1000で、それすらも疾病に苦しんだそうだから
疾病で弱体化したところを呉に狙われた、というのが真相なのだろう


78 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 22:08:20
>>76
どれも同じ人物がレスしてると思い込むのはいかがなものだろう

79 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 22:08:58
曹操からすりゃ劉表があっさり降伏したからついでに呉もって思ったのに
呉は思いのほかやる気まんまんになったから
まあ兵力差もあるしちょっとやってみるか!
ぐらいにしか思ってなかったんじゃね?
んでいろいろ問題がでてきた(曹操からすりゃある程度想定内だったかも)からじゃもう帰るか!
ってなったのにこれがまた予想外の打撃を受けちゃったってぐらいだろ 実際は

80 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 22:11:56
>>76
武帝紀注釈の英雄記読め
あれには命からがら逃げる曹操が描かれてるから
蜀書は馬超の勝利も書き漏らしたりして遺漏の多い史書だし
「蜀書に書いてある」は根拠になるとしても「蜀書に書いてない」は全く根拠にならない
>>61が既に間違ってるんだよ
呉書の記述を全く無視してるし

81 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 22:12:39
>>79
うむ
つまり曹操は軽はずみな馬鹿
でFA

82 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 22:14:33
他のスレでも主張したことではあるが、疫病とは言うものの、栄養不良によって起こる病気や、
飢餓から免疫が弱ってちょっとした衛生面の不備によってかかる病気であった可能性が高いと思う。

曹操を完全に免責しようとして偶然の疫病を強調する人間も多いが、
風土病によるにしては、近隣に駐屯していたとみられる曹操、劉備、孫権三勢力の有名人物に被害がなさすぎる。
諸将に様々な風土病を避ける術があるなら北で郭嘉は死ななかったろうし、
呉の将も山越討伐で病の犠牲になったりはしないだろう。
また、避ける術があるならば兵に徹底させない理由がない。
つまり、苛烈な戦闘があったにしては将に被害が少ないが、同様に疫病にしては被害が将に及んでいない。
おそらく、曹操軍に兵站の不備があって、一定階級以上にしか食糧がまわらず、
一定階級未満の人間が飢餓や壊血病などの犠牲になったんじゃなかろうか。
そこを襲われればそりゃ潰走もするだろう。

賈クなどは兵站線が長すぎるところを危惧し、荊州をまず完全に抑えるべきと主張したんだろう。

83 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 22:17:02
>>81
けどある意味そうじゃね?
劉表が死んだのにつけこんで攻め寄せたのにあっさり降伏
呉もちょっと圧力かけたら案の定、降伏論者も出て来たしその時はかなりウマーな感じにはなったと思う

84 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 22:21:19
>>82
なるほど
それなら、曹操が疫病が出てもなお速やかに引き返さなかったことや、よく言われる「将が死んでいない」(これは「死者が記録に出てきてないから多いか少ないかもわからない」が正しいとは思うが)ことの理由が付く

赤壁では干戈を交えるという意味での戦闘はあまりなかったのだろう
その代わり、病死者や火による物資や兵卒の損耗、追撃での脱落者がハンパなかったんだろう
これでは確かに名のある将はいい意味でも悪い意味でも出番が無い

85 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 22:22:36
>>83
まあね
劉備と孫権の合作を恐れるテイイク、荊州制圧を優先しろというカクの助言をガン無視だからね

86 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 22:24:46
一応江表伝には陣地まで焼き払ったという記述があるが、>>76が言ってるようにどーやってそれをやったんだ?という疑問が出るよな
レッドクリフ並みの大爆発でも起こしてりゃ別だが。爆弾じゃあるまいしそんなことは不可能だ。
それに大軍であるはずの曹操軍は積極的に攻めに行ってない。まあそこらへんの記述すらほとんど残ってないんだがな。
いずれにせよ、件の疫病で戦いどころの事態じゃなかったというのは確かだろう。
曹仁を残して自分は都に退却したのも、途上疫病で倒れる人間が相次いだんだろうな。

>>70
討ち死に寸前?どんなだっけ。
その、火攻めを受け、船を燃やしたけど防ぎきれず劉備に追い詰められて命からがらという感じというが
どーやってその状況まで持っていったんだろう?そこらへんの事情がわからんから赤壁の戦闘で曹操が決定打を受けたか否かがわからんのだが

87 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 22:28:20
>>84
そうなるとやっぱり戦いの規模はそう大きくなかったという結論になるだろう

というか、論拠を述べるのはともかくただの中傷は曹操アンチととられるからやめておけ

88 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 22:30:45
>>80
どっちにしろそれだと「劉備に大打撃を与えられた」根拠にもならないけどな
君の弁で言えば、自分の論に都合の悪い蜀書から「赤壁の存在は記されている戦果が抜けている」というちぐはぐな状況をガン無視してるだろう

89 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 22:31:08
>>87
うん、戦いの規模、なら大きくなかったと思うよ
ただ、それをイコール大した被害じゃなかった、とするのは間違い
天下取りが数十年単位で延びてしまう大被害だった、が正解だと思う

ところでただの中傷って何?

90 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 22:33:37
>>86
あ、英雄記じゃなくて山陽公載記だったわ

劉備は俺と同等だけど策を思い付くのが少し遅いっていう話

91 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 22:36:51
>>88
だから蜀書に書いてないってのは根拠にならないんだよ
本来もっと華々しく書かれるべきであろう劉備雄飛の基になった荊南四郡の攻略も蜀書にはほとんど記述ないんだぞ

他の記述で穴埋めするしかねーだろ

92 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 22:37:27
書かれなかったということは、要するに書くだけの事がなかったというだろう
>>82
兵の間で病気がはやってるのにお偉いさんが隔離されず病気の移るようなとこにいるってのもおかしな話
典医もいるだろうし、上で衛生面の問題もあげられたが、そっちの方が本命な気がする
ただ食糧難をほのめかす記述もあるわけだから、そういう理由もあったんだろうね
どっちにしろ、被害と言うのは主に疫病であって、戦闘そのものは派手なものじゃなかったという当初の結論に戻るんじゃねーの?


93 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 22:39:16
まあ演義でさえも戦闘は派手ってほどでもないし
派手なのは盗難の風とか10万本の矢とか苦肉の策とか火刑であって

94 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 22:40:40
>>90
先に火を放っていれば我らは全滅しただろうとも言ってるな
ただ裏を返せば全滅するような事態じゃなかったということだが
>>89
>>81
こっちとしては主だった被害は疫病だった、と言う事を主張してるんだが

95 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 22:42:22
>>89
俺らは「戦闘の被害が大したことない」と言ってるのであって、
疫病の被害とそれに連なる被害が甚大でないとは言ってないんだが?
過去スレ嫁

96 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 22:43:47
>>89
>>3あたりまで戻って読み返しな

97 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 22:45:33
>>92
追撃戦だと兵卒の被害は多いに出るが高級軍人にはあまり被害が出ない
「将官の被害なし」という事で声高に戦闘の被害が少ないと主張するのは
記述に追撃があったと書かれてるのに無視していてよろしくない

98 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 22:46:14
>>93
まあみんな最初から「被害は演義で言う所の盗難の風と火攻め等戦闘によるものじゃない」的な事言ってるわけだから

99 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 22:48:32
>>95
過去レスで「被害が大したことない」と言ってる人もいるからねえ
>>24とかさ

100 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 22:49:12
>>97
逆に言えば追撃があった=大被害と決めつけるのだっておかしいだろう
実被害がわからんのだから。曹操の言葉だという記述を信用すれば全滅しなかったということは確かだが


101 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 22:51:21
>>99
彼も「天下統一が遅れた」と被害そのものについては示唆している
つまり「被害が大したことない」という意見が出たというのは君の妄想というわけだ

102 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 22:53:51
ごめん、この空気で聞くのは悪いと思うんだけど
英雄記と山陽公載記の信憑性っていかほど?
正史は二十四史では評価が高いしそれなりに信用出来るんだろうが。誇大表現はともかく

103 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 22:54:01
>>101
そこまで言うんではもう話にならないなあ
「人的にも財政的にも大きな敗北ではなかった」は「被害はたいしたことない」とほぼ同義だと思うけど

104 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 22:55:53
>>102
まゆつばもの

105 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 22:57:40
英雄記は王サンが書いたとされる書物
山陽公載記は裴松之的には評価は低い

106 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 22:59:32
>>100
いや山陽公載記には追撃の副次的なものになるけど甚大な死者出たって書いてある

もうこの時点で追撃による損害はあると見ていいはずだが

107 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 23:00:50
>>103
どちらにしろ少数派の意見をさも総意の如く言う時点で弁士としての良識を疑うし、
少なくとも昨日今日の書き込み分にはそんなニュアンスの意見はないけどな
皆疫病なりなんなり被害があったことについては否定していない
勝手に君の都合でこっちの意見を変えられちゃ、それこそ話にならん。かみあってないんだから


108 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 23:01:12
>>102
三国志の注釈だからそれなりに信憑性はある
正史や他の史書と競合した場合は検分する必要はあるけど
そうでなけりゃある程度無批判に信用していいでしょ

109 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 23:02:58
>>106
副次的?

110 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 23:05:29
>>109
追撃を恐れた曹操が泥濘を通れるように工事させた時、兵士には多数の死者が出たとある
追撃そのものによる被害ではないが、追撃を因として出た死者は果だろ

111 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 23:05:31
>>108
山陽公載記って注を引いたハイショウシ自身がなんかすげー批判してた書物じゃなかったっけ?

112 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 23:06:47
>>110
それじゃあやっぱり戦闘による被害とは言えんだろ
土木による事故死だ

113 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 23:08:33
>>106
「甚大な死者」の中には、病気で脱落した者もいるのでは?

114 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 23:11:02
>>112
だから追撃による副次的な死人と言ってるだろ
第一、その死人が最低のラインになるのであってそれが全てじゃないよ?

ちょっと火で退路ふさぐだけで全滅しそうになってるってことは
相当追い詰められてたってことなんだから、それまでの追撃でそれなりの被害が出てたって事になる

115 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 23:13:05
山陽公載記っていうか、書いた楽資って人を批難してるのな
彼の記述は穢雑にして空虚誤謬であり、こうした類はほとんど言いつくせないほどである、だっけ?

116 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 23:14:28
>>114
で、肝心の戦闘に付いては?
今の主眼点は戦闘の被害がいかほどのものか、だし

117 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 23:17:03
お家に着くまでが戦闘です

118 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 23:17:16
>>114
曹操自身が言った言葉とされてるから、
客観的に見て本当にちょっと火でふさいだだけで全滅したほどだったのかはわからなくね?
ニュアンスの問題と言うものがある
どちらにしろ全滅するようなことはなかったのは確かだ。軍としての体は為していたということだろう
加えて言うなら「上手く逃げれて助かったよ」って意味の発言だから、やはり追いつかれずに逃げ切れたんじゃないか?

119 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 23:18:50
その前に出典元の信憑性が疑わしいという意見も発生
まあ確かに曹マン伝なんかも手放しで信用出来るもんじゃないし

120 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 23:20:34
>>119
そもそも陳寿の呉書からして信用しないのがこのスレの大多数だよ

121 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 23:28:49
>>120
まあ呉書だけじゃないからね>記述
呉書だけ鵜呑みにした論じゃ「魏書や蜀書にはンな事書いてないぞ」って言われたら破たんするし
逆に戦闘被害甚大派?が魏書の記述を否定するときは同じことを言うんだろうし、事実呉書だけでも不透明なんだから反対派としては当然突っ込んでくるだろう


122 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 23:31:13
結局、「論戦ゲーム」に勝つしかないのよね
ただまあ、今回の件に関しては疫病云々は呉書にもあるが
そもそもこのスレは呉書の伝える赤壁の大火を疑うという趣旨だから、スレの前提としては間違っていない

123 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 23:35:16
>>92
風土病の発生源は兵士に限らないだろうし、果たして隔離で防げるものなのか?
また、隔離が可能なのかという問題もある。
現代に近い衛生知識を持っている訳ではないんだ。
それに、典医に防げるならそもそも他の場所で風土病で将がバタバタ死ぬこと自体防がれているだろう。
兵がバタバタ死ぬことも防げるはずだ。
そして何らかの接触や空気を介して感染する場合、
劉備・孫権方の兵士にまるで被害が見えないことの説明がつかない。
兵站を考えれば互いに近隣住民と全く未接触ということはないだろう。
18世紀以前の戦争は現地調達にもかなり依存するからな。

というか別に戦闘が派手だなどと発言しとらんよ。
むしろ戦闘は大したことなかったことは前提として、
曹操が自身のミスにより自壊させてしまったと主張している。

124 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 23:40:47
>>118
甚大な死人出してまで道を作らせてそれが是となるってことは
実際、相当追い詰められた状況でないと許されないぞ

125 : ◆hyde.6O83Q :2009/04/17(金) 23:45:04
郭嘉が病で死んだのは207年。
赤壁で曹操軍だけ疫病に悩まされたのは208年。
ちょうど1年しか経ってない。
もしかしたら、袁家を追い詰める時に黄砂からか何かの風土病が発生して曹操軍内では既に病が流行してたんじゃないかな?
劉表軍を降伏させた勢いで、病の流行を無視して呉を飲み込もうとしたけど
呉軍に船団を焼かれて、逃げることは出来たものの多くの艦隊を呉に奪われて
容易に赤壁などで水上戦が出来なくなったってことは無いのかな?
その後に戦があったという曹仁の話も水上戦じゃないでしょ。

126 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 23:45:28
>>123

>>病死者だけではない被害を戦闘でも出したからだと考えた方が辻褄が合う
>>正史の各紀伝合わせて考えるなら曹操は大打撃を受けた事は間違いない
  偽投降に騙されて呉の火攻めを受けたので、残った船を焼いて追手を防いだつもりが劉備に追い立てられて命からがらという感じだろうな

など、戦闘で被害を被ったか、否かが今の流れの主軸でしたので

つーか曹操自身のミスというにはその後もずいぶん長らく長江を渡ってないし、息子の代にも発生してるよな
>>77にしても、曹操がずさんだったとしても、何かほかに原因があるような気がするんだが
たった一人で自軍を崩壊させるようなずさんな人物が、長城越えるような遠征なんてできるだろうか



127 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 23:47:09
>>124
>>118にも言えることだが、まず劉備が曹操に追いつけたかどうかをはっきりさせるべきじゃないか

128 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 23:52:10
>>127
劉備が火を付けたが間に合わなかった、ってことは、追いつかれなかったんだろう
追いついたならそこまで必死こいて逃げる病気もちの軍を壊滅させられなかったのはおかしい


129 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 23:53:52
>>128
そこで関羽の【お情けシーン】ですよ。

130 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 23:57:33
ていうか小麦の国からお米の国に行って数ヶ月経ったら、それだけで病気になってもおかしく無い。

131 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/18(土) 00:00:28
なんで?

132 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/18(土) 00:00:49
>>130
生魚や生水にだって中ったりするからなあ
食いもんや水が合わなかったら確かに病気する

133 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/18(土) 00:01:52
蜀は米の国?小麦の国?

134 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/18(土) 00:04:29
>>131
旅行地の生水は飲むな、とか言うように、体が慣れないもん吸収すると下痢やおう吐したり、ひどい時は腸炎や胃潰瘍になったりする

つーか、普通に中国の南方ってマラリアとか流行るみたいね
外国人や北のほうの人がビジネスに行ってかかるってのは、今でもあるらしい

135 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/18(土) 00:05:03
>>127>>128
完全には追い付いてないだろうけど火を着けたらもうダメってところまでは追い付いてたという事になる
劉備が不手際で逃がしてしまっただけだ

136 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/18(土) 00:08:13
>>135
逃がしたんなら結局追いついてないじゃねーか
戦闘と言う観点から考えれば戦闘による被害は大きくはなかったと言える
そこまで追い詰めたなら仕留めきれないのはおかしい。実戦経験の豊富な劉備がのど元まで詰め寄りながら逃がすというのも

137 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/18(土) 00:09:56
>>136
追い付いたから火を放てば全滅という状況になってるんだろ
放つのが遅かったから逃げられたけど

138 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/18(土) 00:11:41
>>135
そんなメロメロの軍に大打撃を加えれるまで接近していながら、取り逃がすというのは……
甚大な被害を被るような猛攻を後方から当てられたならば、軍は壊滅しているだろう

139 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/18(土) 00:12:58
>>137
そんな大被害を受けるまで突っ込まれたなら、軍は瓦解してるって

140 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/18(土) 00:14:46
完全には追いつけず、取り逃がした
つまり決定的なダメージは与えられなかったということでFA?

141 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/18(土) 00:15:24
>>137>>138
猛攻を与えられる程には近くないが火を放てば全滅できる状況だったんでしょ

142 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/18(土) 00:17:42
>>140
決定的ではないが大きな損害が出たというところだな

143 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/18(土) 00:17:54
>>141
だからその状況、裏を返せば猛攻を与えられず逃がしたってことでしょーが

144 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/18(土) 00:19:38
>>143
逃がした、と追い付けなかった、は全く別の命題
わかる?

145 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/18(土) 00:21:10
>>142
そんな大きな損害が出ながら軍は壊滅しなかったと?
相手は手負い&潰走中なのに?
どちらにせよ戦闘があったと明記されてない以上それほど戦闘で打撃を被ったわけではないということだろう

146 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/18(土) 00:22:05
>>144
猛攻、つまり大戦果を挙げられるほど近くはなかったんだろ?

147 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/18(土) 00:23:50
>>144
うーむ、言葉遊びになってきたな
どちらにせよ大打撃を与えられるほどの攻撃を加えられる距離ではなかったんだろう

148 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/18(土) 00:27:21
記述を信用しても戦闘があったかなかったかはっきりわかるわけじゃないしなあ
ただ、攻撃されたんなら書くでしょ
曹操が必死に逃げて人足も騎馬で踏みつぶしたとかは書かれてるが、追いつかれて攻撃を受けたとは書かれていない

そもそも記述自体、手放しで信用出来る資料ではないし

149 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/18(土) 00:28:12
そんなこんなでおやすみなさい

150 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/18(土) 00:29:44
大きな損害って船の多くを失ったってことじゃない?

151 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/18(土) 00:31:16
だよな。江北は渡河手段を失った。
後は晋代に下るまでついに大船団を組織するに至らなかった。
伐採自体がとんでもない大事業ですから…

152 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/18(土) 00:31:35
火を着けると全滅する距離なんだからそう遠くもないだろうし
そういう状況で逃げるから必然的に強行軍にもなる
そんな中で被害を少なく逃げられるかという事だ

153 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/18(土) 00:33:44
>>152
そりゃ強行軍で脱落した兵ってことでしょ。病人も混じってたんだし
その被害は戦闘ではない。つーかそんな状況なら被害甚大なほどガチな戦闘があったなら壊滅してたろ
堂々巡りだが

154 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/18(土) 00:34:01
ミッドウェーとレイテ沖が重なったくらいの物資的損失。
船を失った事そのものを大敗と書いても、全く問題無い。

155 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/18(土) 00:35:22
>>152
火を放つって「曹操が退却を始める前に」ってことかも知れんぜ
後ろから追っかけてるのに追いついて火を付けるってのは変だ。普通、そのまま攻撃を仕掛ける

156 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/18(土) 00:36:23
>>153
追撃による被害は甚大なことにゃ変わりない

つまり曹操は多大な損害を被った

157 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/18(土) 00:37:29
>>155
つか、そういう状況だったら火なんか付けてたら逃げられるよなw
退却を始める前に「先に火を放っておけば、わしらは退路がなく全滅しただろうに」って事か。

158 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/18(土) 00:38:45
>>156
趣旨をずらすな
戦闘で被害があったか否か、だ

159 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/18(土) 00:40:06
脱落したのって、やっぱ病人が主だったんだろうな。状況的に考えると

160 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/18(土) 00:41:06
>>158
いや戦闘による被害云々って限定することが趣旨ずらしだぞ
俺は元々曹操は大打撃を受けたと言ってるだけで戦闘のみとか言ってるわけじゃあない


161 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/18(土) 00:58:35
>>160
>>97読みかえせ
「戦闘の被害」と明言しているぞ

162 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/18(土) 01:00:31
>>160
ついでにいうとこちら側の人間はほぼ一貫して「戦闘そのものの被害」について論じていたはずだがな

163 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/18(土) 01:04:44
つか、さんざん戦闘戦闘と主張する意見にレスしておきながら
今になって「戦闘云々に限定してません」って言いだすのは、どうなんだろうね……

164 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/18(土) 01:05:20
>>161
ああ、そんじゃそっちが筆が滑ったんだわ
元々曹操が被害受けたっていう>>70のところからスタートしてるんで

165 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/18(土) 01:06:03
それより張喜がその後全然出てこない理由について考えようよ

166 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/18(土) 01:11:21
>>164
>>70以降も主に戦闘に付いての意見交換しかやってないけどな
つーかそういう重要な所「筆が滑った」で済まされてたら結論なんて永久に出ないんだけど
話題がコロコロ変わっちゃうからね。お話にならん

167 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/18(土) 01:15:06
>>165
そもそも何故孫権は合肥に?って疑問もあるよな
つか、馬忠とか他にも結構末路がわからないやついるよねw

168 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/18(土) 01:15:58
>>166
戦闘で被害出てりゃそりゃ簡単に曹操が損害被った事に出来るからにきまってんだろ
とは言え曹操が被害受けたって言ってるのは俺だけじゃないから他の論者の奴まではカバーできねぇが

169 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/18(土) 01:18:04
>>168
キレてますか?

170 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/18(土) 01:25:54
>>168
何言ってるか意味不明
基本的に「戦闘(ひいては赤壁の大火)での被害が大きかったか否か」を重点に論じていたはず
疫病とそれに起因する諸々の影響で曹操が被害を被ったことは早々にはっきりさせられていたことだ
それを今「戦闘について」を主題に意見交換が進められて一通り煮詰まったこの段階で「俺の言う被害は戦闘に限ったことじゃないんだ」という発言が出るのか
少なくともここまで長らく戦闘に付いての意見しか出ていないし、応じるものもそれに連なるものだったと言うのに
>>169
そういえばあいつもどこ行ったんだろうな……
張喜のように消えたか

171 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/18(土) 01:27:17
>>170
こないだレッドカーペットに出てた

172 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/18(土) 04:08:46
赤壁の戦い
元寇
アルマダの海戦


173 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/19(日) 22:43:59
栄養状態の差こそあれ疫病で撤退せざるを得ない状態で
高級仕官にほとんど死傷者がでないって奇妙に感じるなぁ
赤壁以後の銅雀台建設など いわゆる権力誇示方針への戦略転換とか考えると
よっぽどださい負け方でもしたのかなーって思っちゃう

174 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 02:35:08
武将に死者が出てないのは関羽が情けをかけて逃がしてあげたからだっけ?

175 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 12:52:27
疫病で死んだ兵を火葬したんジャマイカ?
それを見た呉の誰かが「これは我が軍の戦果じゃ〜。」的なことを
言ったと考えれば・・・。

176 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 16:16:15
魏の有名武将の一人ぐらいは疫病にかかってても良くないかね?

177 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 16:52:16
それが郭嘉だったりして。

178 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 17:55:47
武将も死んでないし襄陽も確保したし、ゆうゆう帰還だったんだろうなw

179 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 18:33:43
下痢とウンコとの戦いだったてのが真実だろうな。
曹公は消毒の為に船に火を放ったんだろ?

180 :長文悪いね。:2009/04/21(火) 20:05:18
赤壁の真実

曹操は20万の軍勢・大小数千の軍船で江陵から出発
長江を下った。
先鋒の1、2万が赤壁南岸に上陸。
陣を築くも、連合軍に打ち破られる。
程なく到着した曹操軍本隊はやむなく北岸に上陸。陣を築く。

こうして睨み合いになった。

曹操軍で疫病蔓延。
疫病と食糧不足で士気は振るわない。
戦局の打開策も見つからず、厭戦ムード。

しかし曹操は撤退できない。
此度の戦いは圧倒的数的優位で始めた。
この条件で孫権軍を打ち破れないということは
次の機会もそうだということ。
開戦前の、威圧によって孫権を降伏させるという戦略は
もう失われてしまった。
ここで撤退すれば、
曹操軍を寄せ付けなかった事実は孫権勢力を勇気づけ、
降伏論者たちももう二度と降伏を主張しなくなるだろう。
撤退するということは、天下が大きく遠退くということだった。

戦況の不味さは曹操を充分に悩ませた。
しかし、冷静に考えると
疫病で多くの兵が倒れているとは言え、
健在な戦闘員の数はまだまだ連合軍を優に上回っている。
あとは食糧の問題と低い士気、それに打開策。
これらが解決すれば連合軍を打ち破り、天下をモノに出来る。



181 :長文悪いね。:2009/04/21(火) 20:06:23
そんな中、黄蓋の寝返り話が飛び込んできた。
黄蓋が船団を率いて投降してくるという。
まさに渡りに船。

困っている人間ほどうまい話に飛びついてしまう。
もし黄蓋の投降が偽りでなかったらどうなっただろうか?
曹操軍の赤壁での勝利は固かったろう。
黄蓋の投降は連合軍陣営に動揺を走らせたはず。
黄蓋が船を連れて寝返ったことで
周瑜軍の船戦での不利は明らか。
(周瑜軍戦力↓↓ 曹操軍戦力↑↑)
大規模な上陸を許したら曹操軍の勝利は確定的。
赤壁戦勝後の孫権討伐も勝利は確実。

黄蓋の投降は
曹操の求めていた戦局の打開策であり
兵士の士気を爆発的に高揚させるイベントであり
一気に戦争を終わらせる"食糧問題の解決策"であった。

黄蓋の投降は赤壁での曹操の勝利を確実にする。
黄蓋が着岸し、曹操の元に歩み寄って膝を着く
それは則ち、天下制覇の瞬間なのだった。

182 :長文悪いね。:2009/04/21(火) 20:08:38
曹操軍の士気は低かった。
どうすれば高揚させられるだろう。

『昨日、江東の黄蓋くんが投降してきました。こうなったら
我々の勝利も近いでしょう。
やりましたね、皆さん。もうすぐ郷に帰れますよ。』
と翌日布令を出すか。。
いまいち盛り上がらないような気がする。

当日直前に大々的に知らしめて、投降を一大セレモニー化すれば
効果抜群だと思う。

セレモニーには魏将の主立った面々が出席した。
黄蓋が到着してセレモニーが済んだら大宴会の予定。
各部隊は副官がお留守番。

黄蓋の船団が視界に現れ、いよいよ世紀の瞬間が近づく。
「あれ?なんか火ぃ出てない?」
「かがり火じゃないか?」
「あれっ、あれっ、燃えてるよ!」
火は徐々に大きくなり、やがて30Mを超す火柱になった。
いや、迫り来る大きな火の壁となった。

一方、指揮官がセレモニーに出席して留守している部隊では…、
(20万の大軍だから陣全体はかなり広かった。)
本営の方向に火の手が上がっているのが見えた。
「何かあったらしい。皆急げ!本営に行くぞ!」
指揮官を欠いた部隊に正確な判断を下すことは不可能だった。
ほぼ全軍が本営付近に集まった。
隊列など最早なく、周りがどの部隊の誰かも分からず
自分が何処にいるのかも分からない大混雑状態になった。
ざわめきで誰の命令も届かない、収拾の付かない状態だった。
そこへ劉備軍、孫権軍が襲いかかった。
今更、魏将に出来ることは何もなかった。
セレモニーに出席していた魏の主立った面々は混乱を盾に
そのまま曹操に付き従って逃げ落ちていった。

183 :長文悪いね。:2009/04/21(火) 20:09:28
ってのはどう?



これが、魏の主な武将が討ち死にしていない理由。

赤壁で曹操が大きな被害を出したのは本当だと思う。
合肥の救援の張憙に千人しか持たせられなかったこと。
赤壁後の追撃戦時、夷陵城が数百人の甘寧軍に落とされたこと。
その後一年あまり南郡での攻防があったが
連合軍に後れを取り江陵を奪われた。
20万を誇った曹操軍に被害が少なかったのなら、
何故一年経っても立て直せなかったのか?

ということで被害は大きかった。

戦死か病死かは大きな問題じゃないんじゃないかな?
戦死者が多かったと思うが。
20万のうち、何人が病死、或いは餓死で、何人が赤壁で戦死し、
何人が撤退戦で死んだ。
そんな内訳に意味があるのかな?

184 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 20:29:34
長い 長過ぎる
三行にまとめられる内容だろ

185 :長文悪いね。:2009/04/21(火) 20:35:59
まとめられたら苦労せんわ!

186 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 20:43:17
いやいや、分かりやすい長文で読み込んだよ。
これは有力な説になるな。

187 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 21:29:35
要するに士気が低かったのが敗因(撤退)の理由って言いたかったんだろ
一行でおk

188 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 21:42:39
>>187
長文読んだけどそんな結論じゃねーな

189 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 21:44:03
なにが言いたいのかよく分からん
戦死者が多かったとしても疫病他の理由で士気が低いのが敗因だと言いたいのか?

190 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 21:45:53
>>178
曹仁涙目

191 :長文悪いね。:2009/04/21(火) 22:03:03
あれ、わかんなかった?すまんね。
要するに、魏の武将は部隊を離れていてそのせいで大混乱が起きた。
な訳で、戦いにならなかった。(一方的という意味ね)
収拾つかないし戦いにならない状態だったから魏将は諦めて逃げたってこと。

192 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 22:37:46
なんで疫病前から魏の武将は部隊から離れてたの?

193 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 22:50:21
劉備の夷陵もそうだけど、烏林のような一戦線で曹操の下に付いている様な将は、
側近を除けばそんなに高位ではない。当時の将軍クラスは皆別働で各地を押さえている。
于禁張遼らは豫州守備だし、楽進は襄陽、曹仁は江陵。
これが「赤壁の戦い」で有名な将の戦死者がいない理由の一つ。

また、夷陵が戦線全体に連鎖した大敗だったのに比べて、烏林は一戦場の敗退でしかない。
周瑜と劉備が勝利に乗って全力で追撃し曹操自身があわくって逃走したとしても、
軍全体から見た被害は大きくなりようがなかっただろう。
官渡は烏林よりはもう少し広域で起きた瓦解だったようだが、袁紹軍の全戦線に
対して追撃を仕掛けるには曹操側の手が足りなかったように見える。

194 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 00:13:32
>>193
「中国歴代戦争史」という資料には信憑性はどうか知らんが
曹操・荀攸・陳矯・賈ク・董昭・王粲・陳羣・徐宣・華キン・王朗
・裴潜・桓階・和洽・劉広・許猪・曹休・曹真・蔡瑁・張允・徐晃
・任峻・文聘・趙儼・于禁・程c・杜襲・袁漁・張遼・張コウ・朱霊
・楽進・路招・馮楷
の名が挙がっている。

>被害は大きくなりようがなかっただろう。
単純計算、連合軍5万だから一人あたり4人も斬れば20万。

195 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 00:14:58
>>194
それ信憑性皆無だと思うよ

196 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 00:26:35
どうしてさ?

197 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 00:40:48
信憑性を欲すれば、その本の作者の経歴や三国志研究家の間での評判などを挙げよ
それすら挙げずに信じろと言われても出来るはずも無い

198 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 01:00:11
>>194
少なくとも荊州中部に集結したリストではないね。
賈ク、程c、荀攸、王朗、許チョなどはかなり確実だろうけど
華キンは宮中の職にいた可能性が高い。蔡瑁・張允が前線にいるとは思えない。
董昭は冀州牧。文聘が既に登用されていたとしても江夏太守。
趙儼は章陵太守で荊州北部にいる。その監督下に于禁、張遼、張コウ、朱霊、李典、路招、馮楷。
徐晃は荊州平定と江陵防衛に参加しているが赤壁・烏林にいた記録は無い。

>一人あたり4人も斬れば20万。
無理。五万人が一つの戦場に殺到できるわけが無い。ましてや二十万なんて論外。
そもそも当時の曹操にそんな数を長江付近に展開する力は無い。
20万人が綺麗な四列横隊を作って歩幅を揃えて壊走するなら、
五万人の一列横隊で追撃して一人四人斬れる可能性はあるけど(いや無理か)。
実際には敗走する軍はずっと数本の細い道を中心に縦長になって逃げる。
余程の難所に追い込まない限り大半は逃げ切れる。傷病などの他の要因もあるけどね。

199 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 01:25:49
>>194
五万が全部戦線に参加できるわけねーだろ
実際に人斬れるのは前線だけだ

200 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 01:46:20
>>197-199

・信憑性
だろうね。俺も信じちゃいないが、何分「中国歴代戦争史」ってのが
どういうモノを集めて出来た資料なのか分からない。
否定も肯定も俺には出来んということで。

ただ、20万の兵を統率するには、それなりの数の武将がいたはずだ。
大戦に太守だからという理由で将を招聘しないというというのも
おかしな話だろ?

・戦死者数
4人斬ったらというのは例え。誰も20万殺したとは言ってない。
所謂、総崩れ状態。この状態で戦死者数が少ないなんて事は
ないんじゃないの?
20万の兵が一斉によーいドンで逃げたってんならともかく。





201 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 02:03:38
招聘じゃない。招集。

202 :sage:2009/04/22(水) 02:05:57
安宅船みたいのに曹軍20万が満載されて銅鑼を打ち鳴らして進撃、みたいな
水軍のイメージから見直してほしいw
お決まりの海賊・河賊が渡河作戦で傭兵やってただけなんだから火計一撃で
長江の藻屑とかありえないww

203 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 12:15:53
>>182
読み物として面白くしようとしているわけで、
それをただ長文であることでどうこう言うこと自体が筋違いなわけなのでOK

その説採用w

204 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 13:13:21
河はさんでるのにそんな迅速な行動とれるんか?

205 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 13:32:30
>>204
どうやったら荊州で河を挟むことが出来るのかkwsk

206 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 17:18:35
腐乱死体だらけで地元の漁師は苦しめられただろう

207 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 19:41:42
>>204-205
どこの話を指して言ってるのかわからないけど、
曹操と呉軍は赤壁で遭遇戦を行ったあと、
曹操が後退して江水北岸に陣取り、周瑜は南岸に上陸している。
史書では河を挟んでいる

208 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 20:03:27
205は「河」=黄河の意味で言ってるんじゃないのか

209 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 20:55:52
>>207
河って荊州にあったんですね、SUGEEEEEEEEE
大発見じゃないですか?どこで古地図が発見されたの?

河と江と水を区別できない人が何言っても説得力ない気がするんだよね

210 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 21:07:08
>>209
どこから「荊州」が出てきたんだ?

211 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 23:00:08
>>210
赤壁の話なんだから荊州だろ?
スレタイ読めよ

212 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 23:06:44
誤変換の揚げ足取りじゃねえかw

213 :207:2009/04/22(水) 23:19:50
ああ、いや、すまなかった。
>>205の文面だけだと、205氏は荊州に漢水や江水が流れているのを知らない人のようにしか見えなかったもので。
今度から注意するよ。
次のレスからは名前欄に「俺は一語一句の使い方にも噛み付くから迂闊にレスすんなよ」とでも入れて注意を喚起しつつ、
主に日本語を使う素人にも解り易いように河水などと書いてくれると嬉しいな。

214 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 23:24:53
>>213
いや地名間違えてるのに堂々とされてもな
中国史の話だから日本語なのでとか開き直るのもどうかと
それって不誠実な態度だよね

215 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 23:33:35
そりゃサーセン。
あなたが205なら、204のような一行レスの揚げ足とってkwskとか言う人に不誠実と非難されてももちょっと困惑するけど。

216 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 23:45:13
ていうか205が大人げないだけだろ

217 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 23:48:30
このスレには相当知識豊富な人らが論じ合ってるから適当な知ったかがレスしに出ると浮くよな。

218 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 23:58:04
>>215
揚げ足に見えるかね
河をはさんでるのに迅速な対応が出来るのか、という指摘がおかしいからどうやってんのか聞いてるだけじゃん
それとも2chでネットスラング禁止とでも言うのか?面白い奴だな

219 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 00:13:13
>>218
残念ながらはた目には揚げ足取りにしか見えない。
スレタイ的にも話の流れ的にも
赤壁の焼き討ちから戦闘にかけての江水挟んでの対岸合わせの対陣に関しての話と連想するのが普通
日本人ならね。

220 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 00:13:47
河を「かわ」と読んでやるだけで何も問題は起きないものを

221 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 00:17:07
>>218
見える。
河はどう見ても大河の意味だろ。

222 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 00:18:52
どうせレッドクリフに影響されて言っちゃったのでは?

223 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 00:20:03
>>219
だから江と水と河の区別ちゃんと出来るようになってから語ってくれ

赤壁で河を挟んでの対陣なんて物理的にありえないからどうやってんだ、と聞いたまでだ

224 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 00:26:34
>>221
中国の話してて河=大河って言うのはさ
一国を治める人を太守とかって言うようなもんだ
日本語だと確かに間違いじゃないけど中国の話してて何でそれが通じるのか気になるね

理解しろ、連想しろっていう前にまず相手に連想させるだけの正しい言葉遣いをしろ
話はそれからだ

225 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 00:36:26
用語の正誤は問題にされていないと思うよ
この際は、誤用だと明確に承知している癖にkwskと釣っておき
大発見とか古地図とかSUGEEEEEEEEEとかいう言葉を用意している
不誠実で大人気ない態度が問題なんだ。

226 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 00:42:39
>>224
それだとさ、渡河とかも使えないのかな?

227 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 00:46:43
>>225
いや実際、荊州に河があるって事が発見されたら大発見だろ
もちろん>>207が知ったかぶってるから、それを煽ってるんだけど
まず知ったかぶるのをやめてくれよ

>>226
渡る、じゃダメなのかね?
同じような意味の言葉あるんだから態々漢語使う必要もないでしょ

228 :207:2009/04/23(木) 00:53:28
>いや実際、荊州に河があるって事が発見されたら大発見だろ
『実際の人間』はそんな「発見」など何かの間違いだと思って信じないと思うけど…
赤壁の話で「河を挟んで」と見たら「かわをはさんで」と読むようにね。
いや、日本語で中華史の話をする時に「渡河」と言う熟語を河水を渡るとき以外に用いない
のがスタンダードだというのなら、俺の世界が狭かったということなんだろうな。
わかった、やめにしよう。全面的に俺が悪かった。
以後もとの話題に戻ってくれ。

229 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 00:59:58
馬鹿がいるとまともなやつが苦労するんだよな
馬鹿っていうか偏屈だが

230 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 01:00:50
「河豚」
揚子江でも捕れるらしいが

「河豚」「江豚」「水豚」を翻訳サイトで変換したら
「ふぐ」「イルカ」「水の豚」だった。


こだわる意味あるか?

231 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 01:01:57
少なくともンな所いちいちこだわってたらまともな会話できんぞ
俺ら日本人だし

232 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 01:03:32
>>228
中国史の話する時は「河」って文字には気を使うべきだろjk
でも「渡河」の話じゃなくて「河」の話な
問題を混同するのはやめれ

233 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 01:04:13
>>230
意味あるよ

だってそれらは動物の種類
地名とは全く違うから

234 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 01:09:06
実は漢字の川と河は本来同じ意味なんだけどね。

235 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 01:21:38
>>234
用法は全く違うけどな

236 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 01:42:19
>>235
ならさ、
「河」・「江」・「水」
それぞれひらがなで書いて
「〜をはさむ」
に入れて見せてくれ

237 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 02:02:48
>>236
漢字だから用法の差が生まれるのに何いってるんだ
ひらがなだったら全部かわだろ

238 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 02:11:07
あて字だね
あて字強要すんなよ

239 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 02:30:18
>>238
はぁ?
当て字と一緒にすんな
カワの使い分けは本来の用法だ

240 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 02:34:28
>>239
辞書引け

241 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 03:06:06
>>240
俺の持ってる2冊の辞書はどちらも「河→黄河」「川→一般的な川」という解説だがねぇ
角川書店の字源と講談社の大字典ね
辞書くらい引こうよ

242 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 03:16:23
書き忘れたが「水」「江」にもそれぞれカワの義と音があると辞書にはあるな
水のカワの音は現代ではほぼ使われないようだが
水は川に近いし江は特に長江、揚子江、まあ同じものだけど、を主に示す

文句があったら角川書店と講談社に言ってくれ

243 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 12:30:16
いちいちくだらねえ事気にしてんじゃねえよ

川だろうが河だろうが日本語として「かわ」で通じるだろが。前後の話題と言葉から考えりゃどこにも誤解招く要素ねえだろ
馬鹿じゃねえの





244 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 13:20:39
>>243
日本語じゃなくて地名なんだから通じない

245 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 16:25:57
「かわ」をどう書いたかでここまで引き下がるやつも珍しい
中国の地名でもオレらの使ってるのは日本語だから、
日本語のニュアンスで解釈するのが正しい。日本語使ってる以上中国語を忠実に再現するのは不可能だから
チャットや掲示板の書き込みは論文とは別種のもの

246 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 16:39:44
腐れ儒者という言葉を思い出した。
というか、一度間違いを認めた相手にさらに言い募るのは人の道にもとる気が。

あと間違ってた側も、一度間違いを認めたら翻さずにいようよ。

247 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 16:46:08
俺SUGEEEE!ならスルーされるが
お前DAMEEEE!をやると確実に荒れる
後者をやるのに気を使わない人間は情緒的にサルと変わらないから
人道を説くだけ無駄かもなあ
人は傷つき傷つけあって成長していくんだ!みたいなw

248 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 16:50:25
渭河、伊洛河、小清河、淮河

現代では河=黄河のみじゃないだろ
と弁護しとこうか

249 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 19:27:36
>>245
引き下がってるならいいだろww
食い下がるって言いたかったんだろうがwww

250 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 19:36:30
>オレらの使ってるのは日本語
使えてないようですが

つか考証するんだったら用語ぐらいまともに使えてから参加しろよ、と

251 :240:2009/04/23(木) 19:37:05
>>242-243
俺の辞書じゃ「江」の訓は「え」しかないけどな。
広辞苑で「かわ」を引くと「河・川」しかない。
河は大きな川をいい、川は小さな川をいう
河の語源は黄河で、黄河は始め単に河といった。
転じて現代は大きな川のことを「河」というようになった。

「揚子江は河じゃない」って言い張るのはどうなんだ?

「揚子江は河…」「揚子江渡河」「揚子江河口」なんて
ぐぐればいくらでもヒットする。
意味が通じないなら大変だな。

ちなみに長江支流に錦江という川があるんだが
最近まで府河、府南河と呼ばれてたらしい。
「江」にこだわる意味あるのか?
それとも中国人に難癖つけるのか?

もういい加減この話終わろう。

>>246
別人。複数人居る。

252 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 19:39:34
>>251
終わらせたいのに言いたいことは書くのかワロタ

253 :240:2009/04/23(木) 19:47:59
まあなW

254 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 20:49:28
>>251
安い辞書使ってんだな

ちゃんとした辞書買えよ

255 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 21:04:09
偏屈くんを生む辞書ってのはどうかと思うよ?
現に通用しないだろ?

256 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 21:07:16
>>251
んな三国時代から500年も600年もあとに出来た地名の話されてもなぁ



257 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 21:08:42
>>255
通じないんじゃなくて無知な奴が無恥に押し通してるだけじゃん
厚顔は顔だけにしてくれ

258 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 21:12:55
こいつ威張れるほど知識があるらしいぜ。すげーな。これからも頼むよ。

259 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 21:19:35
誰が偉いとか威張ってるんじゃなくて無知を恥じろと言ってるんだが

260 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 21:23:23
揚子江を河というのは無知らしい
気を付けよ

261 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 21:53:59
>>260
無知は無知だけど、わざわざあげつらう性格破綻者よりはマシかな

262 :240:2009/04/23(木) 22:11:13
中国人は「渡江」「江口」って言うんだよな。
>>237には「コウ」「スイ」って言ってほしかった。
そっちの方がカッコイイしな。
どの道「ガ」で詰みだけど。
「かわ」はあて字だ。アホくさい。

とにかくもう終わり。
レス70個も費やして議論することじゃない。

263 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 22:13:41
意味不明すぎる流れ
単に個人たたきだろこれ

264 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 22:44:34
>>260
揚子江は河じゃないから当たり前の話だ
あと揚子江ってのは長江が揚州に入ってからの名前な
知ってると思うけど一応

>>262
江口は地名だから河口のように気安くは使われない
ちなみに渡江つーのは実際に使われてるよ
皮肉のつもりなんだろうけど実際に使われてるんだからしょうがないな

265 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 23:16:05
さっきから地名、地名ってなんやねん
あほか

266 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 23:19:24
それよりさ、赤壁の前の劉備軍で関羽はどこから船に乗ってどの川をどんなルートで航行したんだ?
川関係にとても造詣の深いここの住民に教えて欲しいね

267 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 23:34:00
造詣深かろうが何だろうが書いてないもんはわからんだろ。
今と当時じゃ水系も変わっちゃって現代地図から進路を推測なんて真似もできないし、
船の形すら完全にはわかってないから走破性能も後代の船から割り出すしかないとなると、
物凄い丼勘定、ほとんど当て推量の域。

タイムマシンでもないと無理じゃないかな。

268 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 23:43:21
うぃきに書いてあったな

269 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/24(金) 02:48:13
荊州水軍てのは劉表と孫権の境界で海賊(河賊)やってた連中だろうから、
長江流域を曹操が統一してしまうと食いはぐれてしまうわけだな。
いきががり上、曹操に従った連中もそのうち離反してしまって、曹操は
後退するしかなくなったんだろう。
水軍なんてものはお互いの縄張りが守られるように八百長戦さしたりもするんで、
信長も石山・木津川口で状況を打開できずに苦労してるし、曹操が襄陽獲得のみ
にとどまったのも無理ないところだろう。
で、曹操が後退したところをちょろちょろと追撃したのを判官贔屓の土民が
針小棒大に語り継いだのが赤壁の正体だろうww


270 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/24(金) 02:54:34
論ずるに足らないどころか
黄祖と孫権の数度の交戦の時代から水軍同士の戦闘が行われているので完全に論外だね

271 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/24(金) 03:07:47
河賊の傭兵同士が戦っただけだろw
なんで安宅船の大群のイメージから離れられんかねww

272 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/24(金) 03:38:56
操艦に自信がないから船同士鎖で繋ぐとかありえない。
戦場に着く前に衝突して沈むだろ。

273 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/24(金) 04:05:32
>>272
停泊してるときだろ

馬を杭につなぐとかありえない(ryって言ってるようなもんじゃね

274 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/24(金) 10:20:30
>>271
襄陽防衛に参加し外で軍兵を集めて孫堅と野戦している黄祖や
汝南出身の呂蒙が河賊だってんならそうだろうなあ

275 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/24(金) 10:28:58
>>274読むまで>>271は河豚って書いてると思いこんでたわ
水兵をふぐ呼ばわりとか新しいなって勝手に思ってた

276 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/24(金) 12:34:32
小早川隆景みたいな例があるから、陸上勢力出身の武将が河賊率いてても何の不思議もない。
戦国日本では水軍は水軍同士戦うのが普通なのに、何で曹操軍20万が船に乗るとか思うかね?w

277 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/24(金) 12:42:05
269以降、水軍20万なんて出鱈目言ってるのはあんただけだよ

278 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/24(金) 12:44:50
20万の動員って三国時代末期の魏でも侵攻軍としては限界ギリギリの数字だよなぁ

279 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/24(金) 16:09:30
長江渡渉となると、軍船を大量に用意しないと渡渉中に自然に軍が分断される状況ができる。
ピストン輸送中に輸送し終えた軍に対し攻撃を受けたら引くことも援軍を呼ぶこともできない。
まさか河北に侵攻した経験があるのに渡渉中の危険を認識できないほどの無能ばかりではあるまい。
それをやらかしたら曹操軍は総出で馬謖の輩になってしまう。

また、陸上軍の数を考慮に入れると護送船団を組むには相当数の水軍を必要とするだろうが、
水軍が荊州の江賊のみとなれば、果たしてその役に足るだけの人数を揃えられるだろうか。
当時の江南の経済規模や、文明地域の人口減少から見て、
それだけの賊を養えるだけの船舶の航行はなかったように思う。
また、荊州水軍のみなら江上で数的優位を確立できないだろう。
江上優勢を確保しがたいのが分かっていて、大軍を動員したとなると…ちょっと軽率に過ぎる。
故にある程度は陸軍のうち素質のあるものを調練して転用したと思われる。

結論としては陸上軍全てを船に乗せたというバカなことはないだろうが、
同時に自前の船団を築かない可能性もあまり考えにくい。
水軍の離反や八百長があるなら、曹軍側にある程度戦闘記録が残るだろう。
八百長なら、「自分はよくやっている」と雇用主に証明する必要性が出る故、戦闘記録がないのはおかしい。

280 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/24(金) 17:33:11
>>230
それ元々は、黄河豚でフグだったのに、黄色の河豚と勘違いしたところから生まれた単語らしいよ


281 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/24(金) 19:00:39
>269は無根許にただ言ってるだけなんじゃないの?
日本の戦国時代なんか参考にしてたら目が曇るよ?

282 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/24(金) 19:12:33
訂正
>>269は無根許にただ言ってるだけなんじゃないの?
日本の戦国時代なんか参考にしてたら目が曇るよ?

根拠言え。でなきゃ論外だな。

283 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 19:09:29
むしろ日本戦国と違って、突然元寇みたいな大船団が三国時代に現れると考える
根拠をしめしてもらいたいね。
軍隊なんて宙から沸いてでるもんではないんだから経済他の背景が必要だろう。
日本戦国の水軍は、乱世になれば出てくる海賊を再編成するだけなんで、船を作る
必要も人員を訓練する必要もない。非常にコストが安いんだからまずこのタイプ
を考えるのが当たり前だろう。
あと、荊州水軍のみでは呉水軍に優位に立てない云々だが、調略があるだろう。
というより、日本戦国での水軍編成とはほとんど海賊と同盟結ぶことだったんだから当たり前。
曹操南下から赤壁まで半年ほどで陸軍を水軍に仕立てたとか考えるよりはるかに現実的だろ。
荊州攻める片手間にどんだけ暇あったんだよ。

284 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 19:25:29
>>283
だから、大船団だの安宅船だの20万水軍だの言ってんのあんただけだって
誰と戦ってんだ
まともに論議したければその演義イメージを前提するのから離れろ

285 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 19:32:57
諸説あるからね
呉軍は3万ぐらいで同時期に蛮族討伐にもかな兵をり割かれてたとかも聞いた気がするけど

286 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 19:43:39
>>284
水軍が小規模ということになれば、魏軍は水上決戦で大打撃を受けて壊走って
線がなくなるが、蜀呉厨はそれでいいのか?w

287 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 19:52:37
>>283
つ岑彭
赤壁の百年以上前に数万の軍勢で長江を遡って電撃戦を行っている。
少なくとも戦略的スパンで高速と表現される行軍速度を実現するには、
まとまった数の兵士の長期の乗船は必要不可欠になる。
またこの時期江南はほぼ化外の地のため、江賊なるものはほとんどいない。

元冦のようなイメージもまた適切ではないが、ある程度の船団を築いたであろうことは明らかだ。

288 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 19:56:24
>>283
曹操が水軍を調練したと何度か正史にでてくる。
曹操軍の蒙衝・闘艦が千単位と正史にある
蒙衝2隻に弓兵千人が載ったともある。
呉には大舡という3千人載りの巨大戦艦があった。(赤壁の時あったかはしらん)

289 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 20:02:37
>>287
江賊もいない経済状態ならに呉にまとまった規模の水軍があるのがおかしいでしょうよ。
呉に船団がないなら魏軍も水軍を整備する必要はないわけだが。

290 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 20:19:12
自分に反論する相手を●●厨だと感じる時点でダメだが、

>それでいいのか?w
別に構わんよ。俺は>>193だから。
侵攻軍というのは敵地へ深く進むほど先細りする。占領統治があるからね。
周瑜の見立ての「曹操軍15、6万、荊州軍7、8万」を採用するとしても(これでも過大な数字だと思うが)
1.豫州からの兵站線
2.荊州北部の趙儼指揮下七軍
3.襄陽・江夏・江陵を初めとする荊州各地
4.長江沿岸の防備
5.長江南岸諸郡の制圧
によって減衰されると、曹操が所持する主力は数万の規模になっただろう。
勿論水兵はそのうちの一部であり、多くは陸兵(恐らく水運される)になる。
軍記物的な水準では少ないと感じるだろうが、一点に集まる兵力としては十分な大軍だ。
しかしこれは、周瑜の三万と劉備の一万+αでも、曹操主力軍へ長駆強襲するなら十分勝算が見込める数字になる。
しかも劉備と劉gなら荊州に地の利を得ることができた。
劉孫同盟とそれをお膳立てした諸葛亮・魯粛、司令官周瑜の凄みはそこにある。
一方、烏林の敗北によって短期で孫権を下すことができなくなった曹操は、
この時代特有の兵站不安、華北の情勢不穏、孫権の合肥攻撃も相まって曹操に主力を引き上げることになった。

てなところだと考えている。

291 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 20:25:00
>>289
私は新末後漢初の例を挙げているのだが?
後漢代の長江以南の開発によって長江以南の把握人口がかなり増大しているのは、よく知られているだろう?

292 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 20:36:13
赤壁の戦いが魏では「疫病」という理由で撤退、呉は「火計で大勝利」と記されてるなら、呉は三国の中でも自分の国を過剰に評価する国なのかもしれないね。
喬姉妹の美貌や周瑜の美周朗の呼び名も過剰評価で実はそんなに美しくなかったのかもしれないんじゃないかな?

293 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 20:42:32
>>292
いいこと言うなぁ

294 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 20:44:16
長江周辺は漕運を輸送の基本にする。大小の軍閥が割拠したこの時代で、
北辺では遊牧民やそれに近い漢人が騎兵を中心とした軍閥を構築したように、
江南に割拠した軍閥は漕運を経済の基本とし、治安維持のために水軍を維持したと想像できる。
孫家はそんな中小軍閥を吸収して拡大しながら水軍を整備しただろう。
そうでないと劉勳や黄祖と交戦すらできないからね

江賊・水賊のようなものは恐らくいただろう。でもそれは後漢の郡県の治安が
まだ機能していた時期に盗賊を働くから「賊」と呼ばれるということ。
地方の統制が失われ、蜂起しても征伐も来ないようになるに連れて
軍閥化・政治勢力化していっただろうから、孫策の時代には殆ど意味がないだろうな。

>>292
「自分の国を過剰に評価」と言うからには史書の話をしているのだろうが、
美周郎も曹操が二喬を狙ったというのも創作だから言うのは無意味。
また、魏が被害を過少に記したとも言える。武帝紀には余程の敗北でない限り
「●●へ出兵した。××に還った」というようにしか書かれていない箇所がかなり多い。
まあ公式の戦果報告なんてどこでも同じだけどね。

295 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 21:13:48
東南の風を利用したのは正史では誰になってんの?
孔明?周瑜?

296 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 21:19:25
そんな風はない

297 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 21:19:47
>>284>>295を追い払え

298 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 21:21:13
>>295
どちらでもない、強いて言うなら黄蓋
東南の風は正史にも一応出てくるよ、たまたま吹いたみたいに書かれてるが

299 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 21:21:31
実際、一冬に3、4回東南の風が吹くらしい

300 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 21:32:51
>>292
呉書にも曹操軍が疫病に侵されて弱っていたという記述はあるよ
>>299
季節風かなんからしいが、吹く時期は正確には断定出来なく、当時の気象知識ではそう簡単に戦争に利用できるもんじゃない

とテレビでやってた

301 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 21:34:39
>>297
ここは正史専門スレじゃないよ。「演義の話は本当?」というレスは問題ないだろう

302 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 21:42:10
>>300
生活の知恵、漁師の勘は馬鹿にできない。
実際、北西の風が吹く季節の中、火計成功させたんだから読めんたんじゃない?

303 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 21:52:04
赤壁はあった派がおそるおそる書き込みを始めているなw

304 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 21:55:06
>>303
赤壁(の戦い)が無かったなんて言ってる人間を俺は見たことが無いんだが

305 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 21:57:58
今の漁師だって天気予報みてから漁にでる
それでも大まかにしか判断できない

土地勘ってのは要は慣れであって、未来予知や超能力じゃない
このスレでは何度か火計の成果が疑問視されているけど、そんな所にも要因があるのでは?



306 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 22:00:25
赤壁での曹操軍崩壊があった派と言っておくかな。
意図をくじかれたからって下らない揚げ足取りしなくていいんだよ。

307 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 22:00:41
何にでも達人はいるもんだよ

308 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 22:02:48
>>303
なかったとは言ってない


ただ軍が崩壊した要因は戦闘だけじゃないと言ってるだけ

309 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 22:04:42
>>306
そうだったのか。すまんかった。
てか解らんって。

310 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 22:21:13
赤壁ショボくないよ派はもはや少数だから泳がせておいたほうが良かったんじゃないか?w

311 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 22:28:32
東南の風が予想通りだったとしたらもっとそのこと呉書の方でを大々的に書くでしょ
正史で東南の風に触れてるのは江表伝の一節だけだし

312 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 22:30:12
そういうのをしょーもない奴といって、馬鹿にされます

313 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 22:31:32
>>312>>310へのレス

314 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 22:34:03
曹操軍の被害の規模だが、
209年以降の行動を見てみると
209 ショウで水軍訓練・合肥鎮撫
210 唯才の布告
211 夏侯淵・徐晃を大原へ派遣
   鍾ヨウを張魯討伐へ派遣 馬超蜂起
   馬超征伐
212 夏侯淵が梁興討伐 孫権を討伐(この時劉備が荊州へ戻ろうとして劉璋に兵を借り受けようとし破綻する)
213 濡須へ孫権討伐
   魏公になる 夏侯淵が漢陽の馬超を討伐
214 孫権を討伐 夏侯淵が隴西を討伐
215 張魯討伐 孫権が合肥を攻撃
216 魏王となる

軍事的には、赤壁前と変わらず征伐しまくり。
曹操の本軍(陸兵)に大打撃があったとは考えづらい。
しかしながら、赤壁での敗退は長江に存在した船舶の完全喪失
(逃げ道がないから)を示すと思われ、以後曹魏の荊州方面での軍事行動に
大きな影を落としたのは間違いない。赤壁の戦いは天下三分を確定させた
戦役の一つと言えるだろう。

315 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 22:39:22
あ、いや。曹操自身が本格的に実戦に出るのは
211年だから、2、3年くらいは軍の整備期間があったと見ることはできるかな?
同時に政治体制の整備期間でもあっただろうけど。

316 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 22:39:51
>>314
青州兵30万ってどこいったの?

317 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 22:43:18
>>316
畑耕してました


318 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 22:50:24
>>316
戦果は十倍に報告する慣習がある
それほどの誇張でなくとも、三十万のうち精兵を選んで吸収したわけだから、
更に数分の一になるだろう。それは曹操直属の精鋭軍になった。
青州黄巾族の件での曹操の一番の利益は、
公称百万という男女を組み込めたことだろうと思う。
初期の曹操にとってこれは貴重な経済基盤になったはずだ。

319 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 22:54:44
>>314
江陵で孤軍奮闘する曹仁を助けて江陵を保持する姿勢さえ見せられなかったんだから、陸兵にも相応の被害が出ていたと思うよ

320 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 22:55:19
>>315
袁氏の貯金もあったしな
劉表征伐に乗り出す時期はまだ冀州から本格的に収奪してないけど赤壁後は大いに取り立ててるでしょ
後に侯音の反乱を招いたりするように国境付近ではやたら民衆に負荷かけてる
国境付近で民衆を搾取して反乱起こされるなんて失策をする理由は
搾取せにゃもたなかったからだろう?

もし曹操が軍事的にそれ程の損害を受けてないとするなら
こんなに民衆に負荷のかかる効率の悪い統治なんざしない方がよかった

321 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 23:10:05
>>314
最前線で孤軍奮闘してる曹仁にろくに援軍出せてないだろ
陸軍に影響がないなら黄祖相手に江夏を落とすのに7年もかかった連中相手に
江陵が一年かそこらで落ちる訳ない。

322 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 23:11:06
>>319
江陵救援なら曹操の本隊が動く必要はないだろう
北荊州にいた張遼・于禁・朱霊ら七軍が無傷でいる。
完全に想像になるが、兵站問題の可能性があるね


323 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 23:13:18
>>322
兵站線確保に失敗してるのに本体だけ前進すんなwww

曹操はそこまでアンポンタンじゃねーだろ

324 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 23:20:37
赤壁前 荊州が降伏。統一目前
赤壁後 荊南は孫権、劉備連合軍に奪われる。江陵は死闘の末に失陥。奪い返すのは72年後。

曹操が北から連れて来た本隊はともかく
降伏した荊州軍団は全滅に近かったかもな。

325 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 23:27:49
>>323
呉侵攻後に水軍を失って漢水を兵站に使えなくなったとなると十分話は通る。
てか、陸軍船に乗せて焼き払われるほうがアンポンタンなわけだがw

326 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 23:28:03
>>323
違うって。
この時代は把握人口が後漢最盛期の七分の一以下になり、
戦乱で農地が放棄されて生産力が激減した。
群雄達も軍を維持できず自ら滅んだ者が多くいたとされる。
ために、年を跨ぐような大遠征が起きたことは百年で数えるほどしかない。
荊州征伐は勿論曹操時代有数の大遠征であり、しかも前線にあった備蓄は失われただろうから、
曹操本隊と于禁らとに拘わり無く、続けざま大規模な出兵を行うのは厳しかっただろう。
ということ。可能性としてね。
曹操本隊がまったく動けないほどのダメージを受けたとしても、
夏侯惇辺りに率いさせて于禁らが動かない理由にはならないだろう。
荊州方面での軍事行動自体に問題が起きていた、または荊州の優先順位を落としたと見た方が説明しやすい。

別に曹操本隊のダメージが軽微だったなどとは言わないが、
年表的に見ると戦略的・歴史的なレベルの大ダメージは窺いにくいかな。

327 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 23:28:17
大きな損害っていうのは荊州兵をほぼ全部失ったってことじゃない?


328 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 23:31:03
>>319
江陵行くには船がいるだろ

329 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 23:31:35
「赤壁で多くの兵が船で焼け死んだ」というのがそもそも演義で染みついたイメージ。

330 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 23:32:11
>>324
全滅って言うか、襄陽近辺の民衆まで大挙して劉備に靡いた
というから、襄陽以南の戦力はかなり劉備に吸収されてしまったんだろうな

331 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 23:35:26
>>330
曹操が追いついて取り戻した

332 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 23:36:14
>>331
赤壁以後の話だよ

333 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 23:37:07
ああ、ごめん。

334 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 23:38:55
水軍喪失による兵站弱体化が曹操撤退の理由というのはそこそこ支持を集めてるみたいだな。
水軍なくしたのが東南の風を利用した火計が原因かはわからんがw

335 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 23:45:39
>>325
そんな大事な軍船に自ら火を着けてしまうなんてよっぽど追い詰められてたんですね

336 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 23:46:12
まあ、火計を行ったこと自体は事実と見ていいだろ。

ただ、周瑜は長江の下流から進軍しているわけで、
方法を問わず曹操を撃退して流域から引き剥がしてしまえば
艦船丸儲けなのに変わりはないけど。
孫権伝にもあるように、曹操も撤収の際には各地の津に命じて
船を焼かせただろうしね。

337 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 23:56:12
逆に言うと、周瑜と黄蓋が火計を採ったのは
まず主力艦船を焼き払って曹操の渡河侵攻能力を喪失せしめるのが主眼であって、
兵員への打撃はその次の目標だったのかもしれないな。

338 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 23:57:55
なるほど。
敵軍に軍船や兵糧を奪われないようにする為、曹操軍自らも火を付けて撤退したのか。

339 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 00:02:17
大前提として、呉にしてみれば曹操を追い返すだけで十分だからな。

数的に考えても大打撃を与えるほど突っ込むのは危険だし、そもそもそんな必要はない

340 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 00:07:24
>>339
の割りには直後から可及的速やかな速度で特攻して江陵奪おうとしてるがねぇ
甘寧だっけ?無理して突っ込んで囲まれたのって

341 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 00:18:17
>>340
そりゃ「曹操を追い返した」後の話じゃないか
主力を撤退させた後、呉は荊州の長江流域全域の制圧を目指した

342 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 00:21:50
>>338
だろうね
奪われるぐらいなら焼き払った方がマシだと

343 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 00:23:04
>>341
赤壁で曹操が退却始めたら即座に追いかけてるよ

344 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 00:35:06
追撃戦とはそういうもんだろ。金ヶ崎の織田軍も戦場で崩壊したわけじゃないが?

345 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 09:15:10
>>339
本当に追い返すだけなら劉備と組む必要さえない
揚州にも入れないのに引き返さなければならないくらい疾病に苦しんでいるのだから
赤壁という江夏郡まで出張って劉備と組んでまで迎撃するのは、なるべく曹操に大打撃を与えたかった、および退けた後は荊州に攻め込みたかったから

せっかく平定した荊州が襄陽以外どんどん奪われていく状況を座視している曹操は、赤壁行で(理由はともかく)大打撃を受けてトラウマ受け付けられて動くに動けなかった、という理由が無かったらただの馬鹿
他はともかく江陵を維持できていればカクが言っていた方針への転換も出来ただろうし、曹操もそれが分からなかったとも思えない
つまり兵力がかなり損耗し、赤壁までのような大軍を使うことも困難になったのだろう
だからその後は軍こそ出しているが、簡単に分裂する関中軍閥、一郡に立てこもる張魯など、比較的与しやすい者から平定していく方向にシフトしている

346 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 09:26:18
まぁ赤壁後から黒歴史だな
統一もできてないのに権力を追求し始め 二人三脚でやってきた股肱を自殺させ
西では馬超に殺されかけるわ
漢中おさえたはいいが 奪われてなすすべもなく帰還
関羽に中原を荒らされて 援軍送ったが全滅 初期からともに戦ってきた武将は命乞い
呉の謀略で救われる

赤壁で若いころから培ってきた何かを失ったと見てもおかしくはないかな

347 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 10:56:03
>>344
曹操軍は戦場で崩壊してます

348 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 10:56:53
>>346
関羽は中原どころか南陽にすらたどりつけてないわけだが…

349 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 11:43:55
>>348
関羽進行中 連動して盗賊山賊あたりが活発になったことを知らんのか
そういう背景もあったからこそ遷都案が出たわけで

350 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 13:50:01
>>345
>>314>>326

351 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 15:00:14
>>350
>>326については、「荊州の優先順位を落とした」こと自体が「歴史的なレベルの大ダメージ」だという事実を無視してるのがな
その後江陵を落とし荊州再征服を果たすのがいつなのかを考えればわかるだろう

352 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 15:29:10
その「歴史的レベルの大ダメージ」というのは、
人心・兵站・政治動静等の大戦略レベルでの荊州の支配権喪失を示すなら、完全に同意。
そのうちに含まれる「赤壁の当事者たる曹操本隊の損害」の要素は当然ごく一部に留まるものになる。

「赤壁で曹操本隊が大ダメージを受けたので荊州征服が70年後になった」では文脈が繋がらない。

353 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 15:41:51
>そのうちに含まれる「赤壁の当事者たる曹操本隊の損害」の要素は当然ごく一部に留まるものになる。

敵の追撃か疫病による自滅かしらんが
呉を攻め取るどころか一度落とした領土さえ維持出来ないレベルの損害があったと考える方が自然
なに勝手に矮小化してんだ

354 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 16:02:02
>>351
人口の記述については、各勢力が把握している人口の事であって、流民を定住させて屯田させれば増えるんだよね。
とりあえず、曹操が赤壁で敗戦して退却したのは南陽までだっけ?

・・・北荊州、というか、荊州の江北はちゃんと維持して整備するのに時間掛かったんだろうね。

魏書には”撤退した”としか書かれていないんでしょ?

355 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 16:06:05
>>349
「中原」に出た盗賊山賊はどれほどで?

ほとんどそんなのいないぞ
主な盗賊が出た場所は勢力の境界線周辺

>>354
南陽じゃなくて襄樊のラインまでだよ

356 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 16:18:01
>>355
司隷、予州は普通中原なんだが。

梁=河南尹か梁国?
郟=潁川郡
陸渾=弘農郡

勢力の境界線上とかホラ吹いてるけど
南陽はおろかジョウハンも抜けてないじゃん。
ちょっと調べれば分かることで出鱈目言うのは不味い。

357 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 16:23:37
荊州を守りきる兵力が足りなかったのは、何より曹操本軍が撤収したから。
これは同意してくれるだろう。

で、曹操が荊州に長居できず、以後数年に渡って南方に戦力を振り向けるのを非とする言説は幾つかある。
裴松之は馬超らが起伏していないこと、つまり四方の情勢不安を理由に挙げ
傅幹は蜀呉が天険に拠っている故に威を用いることの難を説いている。

さらにこの時、孫権が軍事力の空白を狙って合肥を、張昭がかなり深く進攻して淮水沿岸に近い当塗を
攻撃している。漢朝廷内の不安もあるだろう。
地理的に言えば仮に江陵が落ちても江夏-襄陽間の漢水ラインがあり、
曹操は新占領地の過半を維持することができるが、合肥・当塗が落ちると
淮水を防衛ラインにせざるを得なくなる。孫権は豫州を直撃することが出来るようになるわけだ。

一方、赤壁での数的損害自体がのちの曹操の行動を束縛したという可能性は、当時の情勢からものちの評からも
窺い難い。

358 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 16:38:06
>>357
だから、一旦江陵を孤立させるまではその「江夏-襄陽ライン」保持のためだとしても、いつまで経っても取り戻そうともしないことの説明がついてないよね
「天険に拠っている」はむしろ江陵を取られ蜀を占領されたからこそ起こったことで、そもそも江陵近辺を保持するか奪回できれば呉蜀は天険の足元を失っていたはずなんだから

それまで、袁紹が死んでも袁譚、袁尚を数年がかりで倒し尽くした曹操が、荊州は北半分を取って放置、しかも放置した先の二勢力が曹操の覇業を邪魔してる
この落差の原因をどこに求めるかだね
俺は赤壁での損害から荊州全体(江陵)を維持や奪還したくても出来そうにないから方針転換した、と思ってる

359 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 16:54:50
>>358
孫子を訳したほどの曹操だからこそ、兵は将に拠らず勢いに拠るべしを行っただけじゃない?
袁家を滅ぼした後の北方や西方の不安定な点は、確か正史でも曹操の不利な条件として周ユが孫権に上奏していたよね?

赤壁での損害って、曹操勢力の勢いが翳ったって言う点で見れば確かに物凄い損害だったとは思うよ。
それまでの曹操軍の進軍と膨張が急ぎ過ぎだって言う見方もできる程に。

・・・・実数としての損害よりも、曹軍が一敗地まみれて撤退した・・・と言う風聞が漢土に広まった影響が大きかったんじゃね?

360 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 16:54:55
>>358
赤壁の敗北は一戦場の敗北なのだから、そこで大敗したとしても当然ながら他の諸軍は無事。
前提として>>290「侵攻軍というのは敵地へ深く進むほど先細りする。」がある。
赤壁後、仮に曹操本人と曹操本隊が動けなかったとしても于禁や張遼、楽進、朱霊、
中原を守っていた夏侯惇などを江陵へ送ればいいのであって、「赤壁で大打撃を受けたから救援が出なかった」
というのは成り立たない。だから、より総合的な戦略的条件の変化があったのだろうとしている。

袁紹の死後は袁家が分裂した絶好の好機であり、修復されては再び劣勢に陥る危険があった。
また、河北平定は曹操が基盤を固めるのに必要な絶対条件だった。
漢水以南は曹操にとってそれほど重要な戦略的重要性を持たない。将来三分に至ってしまうわけだが、
曹操は国力での大きな優勢を既に確保している。落差はそこにある。

361 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 17:33:54
>>360
もし本隊に打撃があっても、他方から割けば良いというのは納得がいかないな。
割くだけの兵力があるなら赤壁時に徐州方面から同時攻撃する方が敵兵力の分散を招けるから理に叶っている。
そもそも「敵地へ深く入り込むほど先細りする」という論は
他方に貼り付けねばならない兵力を換算してのものだろう。
赤壁の間は貼り付けねばならなかったものを、赤壁が終われば割けるというのは何故?

362 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 17:36:11
>>356
豫州と揚州の間くらいだと思ってたんだが勘違いだったな
もう少し南側と思ってたんだけど

あ、境界線上って別に蜀魏だけに限らず呉魏の境界線もね

363 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 17:42:06
>>360
曹操が軍事的に動けない状態なら、それこそ他の諸軍だけ動かすわけにもいかんでしょ
各地の鎮撫に影響が出るわけで

>漢水以南は曹操にとってそれほど重要な戦略的重要性を持たない
これが多分根本的に俺の認識と違うんだろうね
純粋に優位であればいいなら、確かにそうなんだが、「高祖の業」を為そうとする曹操にとっては極めて重要だよ
その漢水以南を根拠に曹操に対抗しようとする勢力が2つもあるんだから尚更
いつになっても統一できない、では面目丸潰れ、「高祖の業」も完成しない
だから荊州(漢水以南)保持も本来は極めて優先度が高い要素で、カクの進言もだからこそ意味を持つと思うんだ
それをしなかったということは、曹操が自ら「国力での優勢」に甘んじて統一を放棄したのではなく、本当なら江陵だって保持したかったけど出来なかった、と考えた方がまだ曹操たちの大局的な判断力に傷がつかない

364 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 17:44:19
>>360
江陵を取らないことには天下二分も天下三分も始まらない。

赤壁で回復不可能な程度にダメージを受けたというのも
想像の域を出ないというのも事実だけど、
侵略の継続はおろかチョークポイントの維持すら出来ない原因を
兵站問題や風評による本拠地の動揺に帰してしまうのは強引ではないか?

江陵が最大の兵站基地だというのは三国共通の認識だったはずだ。
戦線を一時的に整理して再度の反撃を期するならともかく、
後は曹仁に丸投げでノータッチというのが理解不能な采配。

365 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 17:47:28
>>361
曹操は荊州侵攻に当たって趙儼に七軍を率いさせて南陽周辺の後詰に待機させているから。
許都などを守る諸軍もあるだろう。曹操が帰れば当然それらがフリーになる。
曹仁の江陵防衛は一年に及ぶのだから、戦略的事情がない限り割けるはずだよ。

初期に揚州方面を攻めなかったのは当然、それは劉表と孫権を同時に攻める愚行だから。
その後、荊州侵攻絡みで示される戦力は、荊州北部から中部に掛けて配備されているので
当然揚州まで長駆するのは無理。それが行われるのは曹操が許都へ戻ってからになる。

366 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 17:48:40
>>363
確かに、後漢代の長江以南の人口増加を見たら、
漢水以南はいらない、なんてのは「あれは酸っぱい葡萄だ」と言ってるようにしか聞こえんな。

新末以降ついに、中原の人口は往時の数値に戻ることはなかったのだから。

367 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 17:53:14
>>365
許都を守る軍はフリーにはならない。
それを動かせばやはり赤壁対峙の時と同じく許都ががら空きになる。
むしろ更に、突出していた曹軍本隊に釘付けになっていた他軍が自由に北方を窺えるようになる。

368 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 17:53:19
>>363
360だが、363に全面的に同意する。
荊州討伐の失敗、或いは不完全な成功は、「高祖の業」を成そうとする(確証はないが)曹操が、
戦略的目標を後退させた転換点だっただろう。
今はただ、それを成さしめた主な要因を「赤壁での兵力の損耗」に帰すのか、
それを一部とする複合条件に帰すのかという話をしている。


369 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 17:56:35
>>367
では、張遼、于禁ら七軍は?

370 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 17:58:24
冀州、予州、益州、荊州がこの時代ではおいしい。
あとは付録みたいなもんだろう
まあほとんど取ってた魏が統一に近いのは当然だろうな

371 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 18:00:25
>>363
実際に、赤壁で負ったダメージと、赤壁の敗戦で噴出した諸問題って言うのがあったんじゃないかと。

・・・あくまで個人的な妄想なんだけど・・・
先ず第一に、曹操は地方軍閥の一首領ではなくて、漢の宮廷に仕える丞相なんだよね。
だから、宮廷内の統率もしないといけない・・・赤壁での敗戦で、宮廷に動揺が走れば、一番いいのは曹操本人が宮城に戻る事・・・じゃないかと。

第二に、荊州って言う土地柄があるんじゃないかと・・・
荊州といえば、新の簒奪に対して劉氏の王族が挙兵した挙句、光武帝の兄貴が主導権争いで殺され、更始帝に至っては河北で足下を固めた光武帝にやられちゃう始末。
元々、豪族や王族の利害意識が強い土地柄なんじゃないかと。
劉表が官渡の合戦時に許昌を脅かさなかったのは、脅かさなかったのではなくて荊州を束ねるのに精一杯で動けなかったんじゃないかと・・・と言う妄想。
だから、漢土統一という大義名分を旗頭に呉に降伏を迫ったのに拒否られ、挙句負けたことで、荊州を束ねるのが難しくなったんじゃないかと。
結果、曹軍の勢いが殺され、噴出した諸問題に手間を取られる事に・・・と言う妄想をしています。

軍事的な大敗であったかどうかはともかく、それまで隠れていた曹軍の問題の導火線に点火してしまったのが赤壁の損害なのでは・・・と個人的には妄想しているのですが。

372 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 18:04:12
>>371
劉表は自分で親曹操の張羨を討伐して荊南を勢力圏に組み込んでる。
豪族の統御自体は上手くいってたんじゃないかな

373 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 18:10:06
>>372
カイ越の手腕で何とか豪族を取り込んで、表面上は乱世の中で穏やかな土地だったんだよね。
でも、一歩裏路地に入れば、後継者争いでドロドロに・・・
曹操が『荊州を手に入れたことよりもカイ越を手に入れたほうが嬉しい』と言わしめたのは、表面上でも荊州を安定させていたその手腕のことなのか?と思ったんだけど。

実際、劉表死後は分裂した挙句に、より強大な曹操の威光にあっけなくひれ伏す始末。
・・・・赤壁の敗戦で曹操の威光が翳ったら、やっぱり荊州は乱れるんじゃないかな・・・・って、あくまで個人的な妄想だから、確たる証拠も無いんだけどね。

374 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 18:12:39
>>373
実際劉備と劉gが反曹操の豪族や名士をかき集めまくっただろうしね
「大挙して」というのは誇張があるとしても、劉備の故に荊州人が集まりすぎたので
安住の場所を得るために孫権から郡県を借り受けたとされる。

375 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 18:13:28
現に豪族のなかで若手で有力だった奴らは劉備につくものが多かったんじゃないか
馬家もそうだし ホウ家もそうだな まぁ孔明もこの枠に入れてもいいか

376 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 18:14:14
>>369
それを割けるなら、割いているだろう。
何故割かない。
ところで、その先程から連呼する戦略的事情とはなんだ?

こちらは赤壁において打撃を受けていれば、赤壁時は大した脅威ではなかった
内部や統治領域の脅威が相対的に増す。
故に南方に侵攻できなくなるという状況を想定しているわけだが。

377 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 18:18:03
>>336
いやそれは詭弁だろ。
冀州は当時最大の兵站地の一つで、曹操にとって必須の土地。
襄樊や合肥は、司隷や豫州を守る最重要拠点。
それらに比べれば遠方の江陵や漢中は優先順位で落ちるのは当たり前。
敵対勢力に基盤を与えてしまう要衝ではあるが、失っても曹魏は揺るがない。

378 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 18:24:52
>>377
赤壁時と冀州の安定性が異なると言う根拠はどこにある。
何故安定性を失った?軍事的に衰えたわけでないとしたら。

379 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 18:25:03
>>376
後に司馬イが
『軍事的に大軍を擁しながら兵站に問題がる場合には、多少損害を出しても勢いで強引にいくべきだ
逆に、兵站が充実していて兵力が劣勢ならば、守勢に徹して長期戦に出るべきだ』
・・・・と述べているが、河北平定後に曹操のやっていた事って、先ず第一は戦わずして勝つことを優先し、次点として大軍の勢いに任せているところがあるよね。

政略的に相手を下せず、大軍の鋭鋒が鈍ればたとえ大敗ではなくとも退くのは止むを得ないのではないかと。
>>374も言うように、内憂を抱えては・・・

380 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 18:26:44
>>377
つまり赤壁後の曹操ってのは「どっちかを選ばないと自軍が揺らいじゃう」っていうくらいの危機的状況だったわけだろ
赤壁までは明らかに余裕を持って荊州を落とし、呉にも居丈高な降伏勧告してたんだから、かなりの落差だ
この落差は赤壁での被害の大きさから来るとしか考えようがない

381 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 18:28:36
>>378
宮廷内闘争が勃発したという可能性は無いのかな?

382 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 18:29:24
張昭たんのツンデレぶりが参考になるんじゃないか

赤壁前「漢に降伏しましょう厨房様」
赤壁後「無礼な使者は斬るぞゴルァ」

383 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 18:31:33
統一が成るか成らないかという状況まで行ったのに
曹魏が揺らぐか揺らがないかという状況に後退してるのは何故だって聞いてるんだが。

384 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 18:33:05
>>382
その厨房を説得するのに、公金ちゃんが上げた不安要素がモロに噴出したんじゃない。

・・・あと、タカビーになったのは、荊州の半分を手に入れて動員兵力が飛躍的に大きくなった後じゃね?
そう言えば、厨房ちゃんは孟ちゃんから官位も貰ってるよなぁ・・・

385 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 18:36:25
>>382
・・・それ、ツンデレじゃなくて、デレツンだよなぁ・・・・と、どうでも良いんだけどさ。

386 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 18:45:30
>>378
冀州の重要性云々は、袁家を滅ぼして曹操が奪った動機のことね

387 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 18:52:11
>>386
曹操『えっへっへ〜!!これで三十万の軍勢を動員できるぜ〜』
崔炎『あなたはこれまで戦乱に苦しんできた民を慰撫したという話も聞かないのに、もう戦のための算段ですか』
曹操『・・・・ごめんなさい』

・・・って話も合ったなぁ・・・

388 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 19:00:10
勢いに任せて突っ走ったけど
ジョウハン以北を維持する程度が曹操の限界だったってことかな
孫権陣営内の降伏派が消滅したっぽいのが相対的に痛い感じだし
孫権+馬超韓遂張魯に合肥濡須、関中〜漢中エリアで手間取ってる間に
劉備が漁夫の利を貪って急成長、と

389 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 19:15:29
>>376
というか、逆なんだよな。
俺は言ってしまえば、赤壁で曹操がどんなに大敗したとしても、それは曹操陣営全体の一部のことであり、
しばらく本軍の行動に支障をきたすことはあっても、曹操陣営全体の「内部や統治領域の脅威」が相対的にそれほど増すとは考えづらい
(心理的には別)ということを前提にしているわけだから。
20万の大軍が赤壁で大敗したなら、軍事的影響が巨大だったので兵を動かせなかった、と言うことに異論は無いんだけどね。
戦術的な敗北の大きさはあまり興味ないんだよ。>>314-315から判断して『歴史的戦略的な影響の大きさ』を論じている。

で、赤壁敗退後、なぜ江陵へ本格的な救援を送らなかったのかが史書で述べられている場所はないはずだから
(俺の前提を元に)推論するしかないが、この一年間によって荊州には次のような推移がある。
1.孫劉軍によって長江流域全体が制圧されていき、劉備が荊州江南を掌握し、人心が劉備・劉gに大きくなびいた。
それによりただ江陵一城を救えば孫劉軍が撤退するというのちの合肥や襄樊救援の情勢とは異なる状態になっていた。
2.兵站不足により再び全面的に対決する大軍を起こすことは出来なかった(例えば諸葛亮の大規模な北伐は綺麗に三年置き)。
3.呉側の記録でも曹仁に対して大勝した記述は無く、曹仁は余力を残しての撤収をしており、
曹操陣営全体の戦略方針の転換と推定できる。

4.よって、曹操が江陵を救えなかったのは、大敗の打撃というような曹操陣営全体の問題よりも、
劉備・孫権を相手とする荊州特有の問題の方が強いと推定できる。

390 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 19:22:36
余力を残して撤収というか
周ユ、劉備に包囲され、関羽に北道を遮断されてたのを
李通が力づくでこじ開けてギリギリで撤退した感じだろう

391 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 19:26:14
>>390
自力で包囲を突破する力は無かっただろうが、
包囲下にあった城から逃走して追撃で打撃を受けていないのなら、
追い詰められて窮余の策ではなかったのだろうね。

392 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 19:38:54
>>389
その江陵を救う救わないという状況下に陥ったのは何故か、と言う問題が語られていない。
何故、それに対する解答になりうる史書の記述を無視し、史書の記述にない自己流の解釈をしようとするのか。
戦略がマクロなものであることをもとに、戦術的敗北の影響を軽視しすぎではないか。
戦術を以て戦略を覆そうと企図するのは非現実的だが、
それは戦術によって戦略が覆されることが非現実的であることを意味しない。

393 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 19:39:24
>>392
具体的に頼む

394 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 19:44:07
>>393
そりゃこっちのセリフだ。
戦略的事情、戦略的事情といいながら、その戦略的事情の具体的事実を書き込まないのはなぜだ。

君は赤壁で損害を受けなかったという結論をもとに考えているようにしか見えない。

395 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 19:47:56
>>394
荊州での曹操の情勢悪化の下りを箇条書きで書いたつもりだったんだが…
それが「戦略的事情」と呼べないなら、俺の手には負えない問題だ。尻尾巻いて逃げるしかない。

396 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 19:48:46
>>393
君が言うのかw

具体性では>>392>>389だろう
結論ありきで語るからおかしな論理展開になってしまう。

397 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 19:49:59
ちょっと飛躍するけど赤壁の戦いっていうのは当時の情勢で
日本で言うと関が原 中国史のほかの戦なら漢楚のガイカの戦い 秦の李信・王センVS楚の項燕のような
天下を統一する大決戦(実際は決戦というレベルじゃなくても)なわけで
派手に進軍してきた曹軍に当時の人は 全土統一の意思を見出したはず
その戦で何が理由であれ敗北して 対南の重要拠点も失地したという事実は小さいはずがない

まぁようは曹操陣営の一部にのみ関係する敗戦などではないってこと

398 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 20:01:12
>>396
と、いってもね。
俺は赤壁前の曹操の荊州全体の布陣を考え、赤壁が曹操が準備をして勝つために望んだ会戦ではなく
周瑜の急進によって引き起こされた「止むを得ない戦い」だったこと、
「衆寡の差のために長期戦は不利」という、周囲の諸軍が集結する時間を与えるのを
危惧した黄蓋の言などから、赤壁に参加した曹操軍自体がそれほど大軍ではなかったと
推定結論し、その結論を赤壁以後の情勢を考える前提にしている。
別に何も無いところから「赤壁は大敗ではなかった」なんて結論を作ってるわけじゃないから。

俺からすると、そういった赤壁での布陣を考えずに
以後の軍事的停滞を赤壁の敗北に帰す論調の方が史料の無視に見えるな。

399 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 20:06:25
>>395
あれが?
長江流域が制圧されていく合理的理由が描かれていないじゃないか。
何故かその理由を君は敵の記述の存在する赤壁の敗北ではなく、記述の存在しないものに求めている。

400 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 20:08:59
>>399
そりゃ当然、曹操の本軍が荊州から撤収したからだよ? 
孫権と劉備が総力を挙げているのだから、曹仁中心の支軍が互角に渡り合える数ではない。
争うまでも無く同意を得られることだと思うが…

401 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 20:19:21
>>398
集結する以前に攻撃したことが、戦略的影響が少ないと見なす理由を教えてくれ。
土地を若干失うだけでも戦略的影響は大きいぞ。
ちなみに言うと大敗であったと言う気はそもそも俺にはない。
俺は>>82なので。
赤壁進駐そのものが戦略的敗北であったと言いたいだけだ。
君は戦略的意味を軽視しよう軽視しようとしすぎるのが鼻につく。

402 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 20:25:18
赤壁の戦いってしょぼかったって言うよりなかったんじゃないの。
蜀書に孔明が曹操の敗戦を語る降りがあるんだけどウソウとか
長男がやられた戦とかは語ってるのに赤壁には触れてないんだよね。

403 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 20:26:23
>>401
俺は「赤壁で失われた将兵の実数が、以後数年の曹操の戦略行動に影を落としたほどの
曹操陣営全体にかかわる大きな損害だったとは言えない」と言ってるんだよ。

むしろ、相手に大打撃を与えることでなく、「戦略的に重要な時と場所で戦術的に勝つ」という
ことを非常に大きく評価している。
赤壁の敗戦は長江流域を喪失する戦いとなった極めて重大な戦略的敗北であり、
その「赤壁で勝つ」という結果を引き出した劉備・孫権・魯粛・諸葛亮・周瑜の外交的軍事的リレーは
この時代に特筆すべきものだ。

404 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 20:26:44
>>400
聞いてるのはその撤退理由だよ。

405 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 20:29:25
降伏派の論拠
・曹操は天子を擁しているから、こちらには大義名分がない
・長江、荊州水軍による地の利が劉降伏で既に喪失している
・根本的に戦力の多寡がある

周瑜の反論
・曹操は国賊。俺たちは漢の忠臣。
 丁度いいからぶっ殺そうぜ
・地の利は絶対的にこっちにある。水軍では絶対に負けない。
 そして敵には疫病が必ず発生する。
・馬超、韓遂が曹操の背後にいるし、本国自体も不安定。
 曹操が本国から連れて来たのは15万程度で既に疲弊している。
 降伏した荊州軍団も7、8万はいるだろうが、曹操に心服してない。
 不安要素満載で恐れるに足らない。5万もあれば十分。

406 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 20:30:09
>>404
>>357 >>326

407 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 20:38:33
>>402
それは偽作の疑いがある。
…のだが、それを収録した張儼は呉の大鴻臚なんだよな
仮に赤壁の戦い自体がしょぼいものだったとしても、
呉にとっては歴史的な大勝利なわけで、
曹操の敗戦履歴に挿入してもよさそうなものだが

408 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 20:39:11
>>406
>>403の「将兵の実数が〜」というなら首肯できるのだが、
備蓄を浪費したのが戦略的ダメージでも数的被害でもないというのは納得がいかない。

409 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 20:43:39
>>408
いや、それも戦略的数的大ダメージだと思うよ。ていうか積極的にその要素を押しているじゃない。
俺は>>353>>358の最後の一行に反論しているだけなんだってば

410 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 20:55:46
>>409
それはすまなかった。
こちらの勘違いだ。

411 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 21:04:58
・周瑜が来た時点で、一度の敗北であっさり南岸から撤退するほど疫病で弱体化。
・黄蓋「多勢に無勢だから持久戦になると困る。敵は船を隙間もないほど並べてるから焼けば敗走する」
・偽降伏に飛びつき、曹操の船団はあっさり炎上。
・風の勢いがすさまじく陸上の陣地にも延焼。
・煙と火が天にみなぎり、焼死、溺死した人馬は多かった
・敗走した曹操は南郡で篭城するが、劉備と周瑜が追撃してくると曹仁を置いて帰った

これ正史なのか。
演義かと思った

412 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 21:18:54
及平荊州,自臨江迎喪,改葬於江陵,表為先賢也。
益州牧劉璋始受徴役,遣兵給軍。
十二月,孫權為備攻合肥。
公自江陵征備,至巴丘,遣張憙救合肥。權聞憙至,乃走。
公至赤壁,與備戰,不利。
於是大疫,吏士多死者,乃引軍還。
備遂有荊州、江南諸郡。

413 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 21:19:44
>>411
全て、周瑜伝を中心に記述がある、かな
赤壁が南岸という有力説を取るなら。

414 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 21:19:52
與曹公戰於赤壁,大破之,焚其舟船。
先主與吳軍水陸並進,追到南郡,時又疾疫,北軍多死,曹公引歸。

415 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 21:20:44
權遣周瑜、程普等水軍數萬,與先主並力,
江表傳曰:備從魯肅計,進住鄂縣之樊口。諸葛亮詣呉未還,備聞曹公軍下,恐懼,日遣邏吏於水次候望權軍。

416 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 21:22:42
與曹公戰於赤壁,大破之,焚其舟船。
先主與呉軍水陸並進,追到南郡,時又疾疫,北軍多死,曹公引歸。

417 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 21:23:31
劉・孫が曹操に赤壁で勝ったはいいけど、その後の劉・孫は天下の評判としては逆賊呼ばわりされてないのがおかしくない?
曹操は帝を擁してるから、それに逆らったからには【逆賊】の汚名を着せられないものかね?
例えば、馬騰軍・張魯軍・劉障軍・金旋軍などから見て。

418 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 21:23:57
撤退した理由は荊州水軍が江東水軍に敗北するか、調略されるかして
制河権を失ったことで兵站や後方連絡に不安が出てきたからだよ。
損害が水軍に限定されると考えれば、武将に戦死者がいないことも
翌々年には西涼方面に兵を動かせたことも説明できる。
陸軍が優勢だからといって水軍無視してごり押しすると、夷陵の
劉備みたいに後方撹乱・退路遮断と好き勝手やられて全軍崩壊の末
戦死者がずらずら並ぶことになる。

419 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 21:25:30
瑜、普為左右督,各領萬人,與備倶進,遇於赤壁,大破曹公軍。
公燒其餘船引退,士卒饑疫,死者大半。

備、瑜等複追至南郡,曹公遂北還,留曹仁、徐晃於江陵,使樂進守襄陽。
時甘寧在夷陵,為仁黨所圍,用呂蒙計,留淩統以拒仁,以其半救寧,軍以勝反。

權自率眾圍合肥,使張昭攻九江之當塗。
昭兵不利,權攻城逾月不能下。
曹公自荊州還,遣張喜將騎赴合肥。未至,權退。

十四年,瑜、仁相守歳餘,所殺傷甚眾。仁委城走。

420 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 21:27:43
>>417
曹操が劉備に攻撃すること自体が 逆賊行為
ネタじゃなくてマジで
一応皇族でちゃんとした漢の臣で 曹操に対する罪はあるかも知れないが
後漢に対する罪はない

421 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 21:29:52
>>420
劉備が本当に漢室の血を引いてるか定かではないって説を聞いたことがあるけど、当時は皆から信じられてたってこと?

422 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 21:36:12
>>421
うすーくは引いてる
当時 皇族に連ならないくせに皇族の劉氏を名乗るのは死罪
漢から官位を貰ったということは端っこにこそあれ皇族の一員だったってこと

423 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 21:37:54
>>422
おおっ。そうなんだ。
これは豆知識をGetした感じだよ。


424 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 21:38:55
>>422
当時、農民に劉氏が多かったって言われてなかったっけ?

425 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 21:39:50
>>417
それらの群雄のうち、曹操に組する者からは逆賊呼ばわりされただろう。
馬騰は衛尉として入朝していて、馬超も官を歴任しているからこの時点では曹操派(のちに叛旗を翻す)
張魯はこの時機帰順していたようで、赤壁後に改めて「漢中を占拠した」との記述がある。
劉璋も一時的に帰服していたが、のちに劉備を迎え入れた時点で独立を表明したも同じ。
金旋はおそらく荊州を支配したときの曹操に任命された太守。

つまりは曹操が実効支配できる範囲にあって初めて、「賊徒認定」は効果を持つ。
勿論、漢朝廷から名指しで賊徒と言われればひるむ部下もいただろうが、
赤壁以後の固まりつつある情勢では今更それだけで寝返る者もいなかっただろう。

>>420
あるだろう。献帝からの詔勅がでて官位も剥奪されているだろうから。
実際にはそれは曹操が出させた詔勅で、劉備もそう主張して官位を維持したが、
形式的には劉備は漢に逆らう反逆者。

426 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 21:43:20
水陸並進とか出てくると圧勝パターンだよな

427 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 21:46:03
>>422
死罪のソースを未だに見つけられない
ソースくれ

まあ文献だけ見てれば疑う余地は全くないんだよな
敵である魏の人が書いた史書ですら劉備が皇帝の遠い遠い血縁である事は否定してないし

428 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 21:47:04
>>427
中国の王朝はみんなそう
ただ唐以後は知らん

429 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 21:52:17
>>427
この時代は養子縁組があるし、300年以上の時間差があるから
「劉備が中山王の血を遺伝的に引いている」かどうかは不確実だが、
当時の「タク県の劉氏一族は中山王劉勝の末裔である」ということが
地域や朝廷に普通に認められていたのは間違いないだろうね。

430 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 21:56:39
>>428
お前の意見じゃなくて情報ソースを求めてるんだがな

431 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 21:58:22
>>417
一応注に引く『魏書』ではこの時期の敵を賊軍と描いていたと思ったが、
曹氏に歯向かうから賊なのか、官軍に歯向かうから実際その時期既に賊と呼んでいたのか。

432 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 22:04:37
>>425
じゃあ、もう赤壁後は賊軍と呼ばれようが劉軍も孫軍も全く気にしてなかったってことかな。

>>431
やっぱ形式的とは言え、官軍に歯向かうって意味での【賊】じゃないかな?
官軍の頂点に献帝がいて、そのもとに丞相曹操がいるわけだし。
詔を受けた曹操に歯向かう=献帝に歯向かう=国賊劉備・孫権

433 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 22:06:05
>>409
死者多数というのは周ユ伝だけでなく
武帝紀にも先主伝にも孫権伝にも出てる。
撤退しただけ、というのは意図的に読み落としてるようにしか見えないが。

>>352の最後の行を修正するなら
「赤壁で曹操本隊が大ダメージを受け、長江流域への進出が一時的にストップした。
 その間に劉備、孫権が勢力基盤を固めたので、荊州奪還は70年後になった」
というところか。
戦力が赤壁直前の水準にまであっさり戻っても
相対的なアドバンテージは失われている。
それは相手が伸びたから。

434 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 22:11:00
>>433
>撤退しただけ
一言も言ってない。思ってもいない。

435 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 22:13:02
>>346
郭嘉がいない曹操は赤壁も含めそれ以降すべて落ち度が酷いってことだね。
個人的には今まで郭嘉をあまり評価してなかったけど、「なんで赤壁以降の曹操は若い頃のキレが無いのか」を考えたら
全ては郭嘉が死んで翌年あった赤壁からだもんね。
官渡まではキレてたのは曹操じゃなく、曹操の智謀と言われる歴史の裏に全て郭嘉が存在してたってことだったみたいだね。

実は曹操事態の智謀や能力は大した事ないのかも。

436 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 22:14:21
有名なあのセリフもあるしな。

437 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 22:16:21
馬超の件でのカクとかローケイの活躍を見ると
曹操はオールラウンダーの天才だけど
どの分野もナンバーワンではないという感じだな

438 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 22:21:36
>>435
んなことはない。
赤壁前も曹操は負けるときは負けてる。ていうか曹操自身がヤバくなる大敗は前期の方が多い。
戦略的政治的ミスも多い。エン州失陥に比べたら赤壁や漢中なんか可愛いもんだ。
ただ、その敗戦やミスが相対的に競争者達より少なかった・大きなものでなかったので相対的勝者になっただけのこと。
赤壁以後も曹操は支配領域を拡大し続けている。この前後で曹操自身の判断力や適正に差異は認められない。
変化があるのは、曹操に対抗しうる体制と意思を持つ蜀呉が天険に拠ったこと、
曹操が本格的に漢朝廷の掌握と王朝交代を視野に入れて行動を始め、内治に力を入れるようになったこと。
主に外的要因だ。

439 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 22:23:48
>>435
君は光栄スレにいた子かな?
ひねり出したようなこじつけはともかく暴れっぷりは見る影も無いからやっぱり懲りたのかな??

440 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 22:24:36
>>438
エン州失陥は「未遂」つけようぜw

441 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 22:25:31
>>440
訂正するw

442 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 22:27:04
>>435
事態と自体の区別つくようになったらまた聞かせてくれ。
>>438
エン州の造反は予測不可能

443 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 22:30:14
事態と自体は書き間違いだよ。
それぐらい細かいよ。

444 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 22:38:13
>>442
張バク以外の、陳宮らがなぜ曹操を裏切ったかは知られていないけどね。
しかし太守二人、大将の陳宮、従事中郎二人が首謀し、郡県挙って呼応して三県しか残らなかった
ほどの政治的陰謀を「予測不可能」とは言えないだろう。基盤になる共通の政治不穏があったはずだ。

445 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 22:39:59
劉岱戦死⇒エン州牧就任⇒青州兵降伏⇒曹嵩死亡、兵站崩壊?⇒徐州大虐殺⇒張バクの乱⇒蝗⇒定陶の戦い⇒エン州の一元化

という流れだから結果オーライなのかな。
曹操のミスというと劉備を徐州に放り込んだ方だろう
そっちも下手したら致命傷

446 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 22:44:29
曹操が一番優れているのは人を使う度量だろう。
また戦術は大したものだし、公正さも不世出のものだ。

他の時代の統一者などと比べたときの彼の大きな穴は戦略にあるのだと思う。
逆に今挙げた長所の中には歴代統一者を上回ってる部分も多いが。

447 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 22:44:55
>>445
しかし再統一に二年掛かっているからな
あれがなければ、揚州に引っ込んだばかりの袁術や大打撃を被った陶謙、
その後ろ盾を必要とする劉備らに勢力面でも優位に立ち続けたはずで、
その分基盤が確固たるものになるから対袁紹とその後の冀州征伐もよりスムーズにいっただろう。
まあ勿論、他の群雄達もそういうミスを無数に重ねているし、曹操はそれを的確に突いたから勝ち残った
わけで、「if」は無益なことなんだけど。

448 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 22:45:49
>>445
まあ、その考え方だと言い方を変えると終始出たとこ勝負結果オーライでやってきた曹操が、リカバリ出来ないほど痛い目見たのが赤壁だったわけだ
俺は曹操が戦略的に(バクチではあったが)天下統一を果たそうとして大失敗したのが赤壁と思ってたが、大局的な戦略を大して考えずにやけどしたので後の取り返しのつかない失地も考慮せずに方針転換しちゃった脳筋曹操の方が実像なのかもしれん

449 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 22:49:24
>>448
全く「その言い方」を「言い換えると」になってないぞ
自分の本拠地そのものを失いかけた失敗と、
大征伐で得た新領土の半分弱を手放すことになった失敗と、
どっちが重いんだ?

450 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 22:50:58
>>448
戦略を考えていないわけではないと思うが。
ただ、要所でぽっかり困ったちゃんな穴があったりするだけで。

451 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 22:51:59
>>449
本拠を何度も失いつつ鼎立まで至った人もいることを考えると、実質的に天下統一の目を失った失敗との比較は難しいな

452 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 22:52:09
そう考えると曹操は知力90無いな。

453 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 22:53:20
>>450
「大して考えてない」だからまあ似たようなもんでしょ

454 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 22:53:30
袁氏相手に15年も使ったのが痛い
結果論で言えば勝てる勝負だが、望蜀時に四十代ならふつーに統一出来てただろう。

455 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 22:55:27
流れ変わったね。

こんなスレ立ったよ。
っていうか立てたんだけど。
http://ex24.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1240741987/l50

赤壁の規模を話し合うのに当時の情勢を定めないままなのは不備があり過ぎると思うんだけど
そこんところはいいの?

456 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 22:57:34
>>451
難しいか? エン州を失ってそのまま再起できなければ
曹操は後漢の後の史書に伝が立つかたたないか瀬戸際くらいの人間止まりだった。
現実には、曹操は統一は果たせなかったが正統王朝の創設者として紀を書かれている。

劉備と比べるのは意味がないだろう。
曹操がエン州を失って流浪しても史実の魏より強い勢力を築けた可能性もあるよ、
と言うなら「比較は難しいな」と言えるけど。

457 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 22:57:35
話も風向きが変わるのは赤壁に似てるな。
今は東南の風か?

458 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 23:05:39
>>455
スレタイでいきなり八十万とか言ってるスレで情勢検討したがる人間を釣るのは難しくね?
赤壁スレとしては重複だし

459 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 23:08:12
>>453
大きく違うがな。
小さなミスが多いと言ってるわけで、基調としての戦略能力は認めるべき。

460 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 23:11:38
>>456
基本同意だが正統云々は話ややこしくするからやめれ

461 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 23:12:52
陳寿のスタンスって「正統王朝(笑)魏」って感じだもんな

462 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 23:13:15
曹操が知力90以下だとしたら、
同じく「失敗」をやらかしている諸葛亮や魯粛らは勿論、
曹操の成功失敗に立ち会った荀ケや郭嘉、賈クらも軒並み下がるな。95以上はいなくなる。
著名人で穴が無いのは呂蒙くらいか。
ただ荊州奪還は孫権の長年の悲願であって、呂蒙は戦略立案自体に関わってないけど。
koei三国志により上昇するのは劉備くらいか。勿論90なんてあげられないが。

463 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 23:15:28
>>458
ここのスレのレス300代を読んでて疑問に思ってさ。
兵力定めない事には何も言えないんじゃないかと。

このスレの補助としてスレ立ててみた。

464 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 23:21:28
よし。
知力90以上は他の時代からもって来ようぜ。
偉大なる宇宙大将軍であるところの侯景さんとかどうだ?

465 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 23:25:04
山頂布陣馬幼常閣下が100で

466 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/27(月) 00:14:24
いまだに疫病説と火計説では、疫病撤退説が優勢かな。


結局の所、呉は初戦で火計戦が成功して、それから数日後に曹操軍は撤退。

呉から見たら火計が痛手だったんだろうって思って歴史書につづったが
実際の所は曹操軍内では初戦の負けは痛手ではなく
疫病が蔓延してた為、急いで撤退せざるを得なくなったってことかな。

そして、ただ急いで撤退すると軍船を呉に取られ大きな戦力の喪失または吸収されることとなることを恐れて
曹操軍は自ら船団に火をつけて撤退。

劉備軍は曹操軍を追撃するが追いつけず、残念ながら取り逃がしてしまう。

この赤壁で曹操の最大の痛手は船団の大半を失ったことであり、これにより海上戦で呉へ南下することを長年断念せざるを得なくなってしまった。

のちに西涼・漢中を平定する力があるだけに兵力を大きく喪失したとは考えられない裏付けもそれに当てはまる。

また、赤壁後は劉軍・孫軍は形式的とは言え、帝に歯向かう【逆賊】と呼ばれるようになっていた。



今までのをまとめるとこんな感じかな?

467 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/27(月) 00:59:46
>>461
2ちゃんの聞きかじりでモノ言うのやめような

468 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/27(月) 01:02:09
武帝紀、先主伝にも多死者とか死者大半とか書いてある。
兵力を大きく喪失したとは考えられない、と結論付ける論拠として
西涼、漢中を平定出来たから、というのは納得しかねる

第一、その理屈だと
208年から209年の間に江陵以南を失ったのは、
赤壁で兵力を大きく喪失したから、というのが通らなければおかしいだろ。

469 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/27(月) 01:02:21
>>459
そういう意味では、小さなミスを補填してプランを整理してたのが著名な諜臣達の役目だったのかもしれないな

470 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/27(月) 01:07:38
>>468
「全体的には大きな損失ではない」と言うことでは?

被害甚大だったのは荊州以南で行動不能にまで陥ったが、中枢基盤が揺らぐほどのものではなかったと

被害の大半は疫病に連なるもの、というのが一応ここまでの総合的な意見のようだが

471 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/27(月) 01:22:50
疫病説、火計説は分からないからどっちでもいいが、
土地を失うのが、全体的には大きな損失ではない、というのは違うだろう。
中枢基盤が揺らぐのは10年後くらいだが、それはこの戦いで侵攻拠点を相手に与えたからだ

472 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/27(月) 01:28:17
>>468
武帝紀
公は赤壁に至り,備と戰う,利あらず.これにおいて大疫し,吏士は死者多く,すなわち軍を引き還った.

先主伝
曹公と赤壁に闘い,これを大破し,其舟船を焚す.先主と呉軍水陸並び進み,追いて南郡に到る,
時又疾疫し,北軍は多く死し,曹公は引きて歸る.

呉主伝
備とともに進み,赤壁に於いて遇い,曹公軍を大破す.公は其の餘船を焼き引き退き,士卒は飢え疫み,死者は大半.

周瑜伝
人馬の燒溺死者甚だおおく,軍は遂に敗退した,還って南郡を保った.備は瑜等と共にまた追った.
曹公は曹仁等を留め江陵城を守らせ,徑自北へ歸った.

江表伝
北軍大壞,曹公退走.

会戦自体は劉周の完全勝利と看做していいだろう。しかし、戦場で最も戦果を上げるはずの
肝心の追撃戦での戦果がまったく記されていない。首級を幾つ取ったとかね。
曹操の江陵までの撤退は統率の取れたものだったのだと思える。
数年後に引くほどの甚大な損害を出したのなら、夷陵や官渡などのような壊走の末に各個撃破されたか、
可能性は薄いが火計で文字通りの「壊滅」をしたかでなければならないだろう。
火計で壊滅したのなら軍の統制は取れずにやはり追撃の餌食になる。
そういうことは起きていないようだね。

473 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/27(月) 01:45:43
追撃戦でほとんど死者が出なかった、曹操の撤退戦は見事だったというより
疫病でほとんど死んじゃっただけじゃないのか?
マトモに戦うことも出来ない半死人を統率するのは曹操でも無理だろう。
厳粛な規律や的確な命令で健康問題は解決しない。

474 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/27(月) 01:54:16
曹操がもはや軍を統率できる状態でなかったのなら、なおさら劉備や周瑜が傘にかかって追撃するだろ。
それに、劉備や袁紹のように身一つで逃れた、というような記事がどこかにないのはおかしい。
一番呉贔屓の江表伝の記述もあっさりしたものだ。
表題らしく誇張的な逸話の多い英雄記でも曹操は追撃自体は逃れている。
つまり曹操は軍を維持して撤収した。

475 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/27(月) 02:00:55
半死人だって逃げようとするからね
逆に言うと、侵攻軍全体はともかく、赤壁当事者の将兵にそんなに疫病が流行っていたのか、
というのも問題になってくるのか
病人は追撃の格好の的だから、脱落して蹂躙されるか大挙して降伏するかしか道はない
だが、それらしき記述は英雄記にしかない

476 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/27(月) 03:06:50
山陽公載記ではあらかじめ退路に放火されてたら全滅してたと書いてあるのは
あえて挙げないのだろうか?
劉備の計略が間に合わなかったのは、多くの病兵を使い捨てにして埋めたから。
追撃の餌食になる分を自分で殺してれば
劉備、周瑜が殺す分は残ってないのも当然。
これを見事な撤退というならそうだが、
その文脈だと意味が全然違う

477 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/27(月) 07:21:48
>>476
あ、英雄記と公載記間違えた

478 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/27(月) 07:41:18
山陽公載記
公船艦為備所燒,引軍從華容道?歸,遇泥濘,道不通,天又大風,悉使羸兵負草填之,騎乃得過.羸兵為人馬所蹈藉,陷泥中,死者甚?.

そんなに多くの病兵が捨てられたなら、首斬って追撃の手柄に計算するはずなんだがね。
曹操の大敗を意外に詳しく記述する武帝紀本文をはじめ、大手柄のはずの先主伝、周瑜伝、
何より呉の作である曹瞞伝に曹操軍崩壊の記述がないというなら、
赤壁は少なくとも戦術的には曹操の敗北の中では大きなものではなかったと看做さざるを得ないな。

479 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/27(月) 11:34:28
戦術的にはまあ最悪というほどではない敗北
戦略的には根本から方向転換しなければならないほどの被害があった
天下統一という基本方針にとっては取り返しのつかないレベルの影響

480 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/27(月) 22:05:27
曹操は何で船で撤退しなかったんだろうな

481 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/27(月) 22:08:35
中国の地図を見ればいい

482 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/27(月) 22:12:15
説明して。

483 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/28(火) 01:20:06
連環の計って実在なの??

484 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/28(火) 19:57:09
>>483
両方とも捏造っぽいけど、
王允のもモデルになった話ぐらいはあるんだろうし
鳳統の方も、大船を並べて水上の城壁に見立てるという戦術はあるみたい

・・・やっぱり、3割は本当なんじゃ。

485 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/28(火) 22:33:13
武将死亡やその後の遠征停滞などの客観的事実がない以上、
「大破」といってもせいぜい百人単位の局地戦の結果だろう。

486 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/28(火) 22:34:09
>>485
遠征は明らかに停滞してるじゃん

487 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/28(火) 22:44:30
>>486
>>314

488 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/28(火) 22:54:30
>>314
結局、赤壁では船を失った戦いってことだよね?

489 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/28(火) 22:55:35
江陵が必死こいて防戦しているその当時に、曹操は軍を引き連れて合肥くんだりまでいってるんだよな。
この時に戦死者を慰撫する布告を行っているから、やはり赤壁などでの死者は戦術的には相当な数がったのだろう。
とはいえ合肥へ赴く余裕はあり、そして江陵へ本格的な救援は送っていない。
荊州船舶の損耗などもあるだろうし、荊州よりも合肥(と孫権本軍)の方が緊急度が高いとしたからなのだろう。

490 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/28(火) 23:02:19
>>487
まず本体は2年ほど停滞してる
それまでの状況からすると2年休みだけでも十分停滞と言える
その後も一見しまくりだけど荊州方面へは極めて限定的な活動しかなく、徹底的なまでに荊州だけは避けていると言っていい
しかも関中を通過して漢中を攻めようとして関中の反乱を引き起こすなど、荊州を避けるあまりの不自然な行軍がひずみまで生んでいる
これも次第に強大化する大敵を放置して格下を選んでいるから起こることで、一種の停滞だろう

491 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/28(火) 23:04:33
>>488
襄陽は確保してるし、江陵も一年はもったんだから>>314が書いてるほど
水軍も悲観的とは思わない。

492 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/28(火) 23:05:58
>>490
漢水と江水に軍船が払底している状況で放置呼ばわりし、兵員損耗にのみその理由を求めるのは歪曲だね

493 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/28(火) 23:06:52
出兵には兵糧も必要なんだから兵士が無事だからといって連年出兵できるわけがない

494 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/28(火) 23:08:22
>>491
じゃあどうして荊州などの水軍船だけは二度とやらなかったのかな?

495 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/28(火) 23:08:59
>>489=>>491
襄陽を含めた荊州水軍の推移は夕べこっちでやってた。
http://ex24.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1240741987/26-


496 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/28(火) 23:09:51
>>492
曹操は荊州攻めで陸路で江陵までは進軍してるのに、江陵へも兵を出せない主な理由を軍船不足とするほうが不可解だけど

497 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/28(火) 23:12:14
>>494
他の地方へ出兵したほうが陸軍の優勢を生かせるからだろ。
夷陵の劉備みたいにわざわざ死地にとびこむこともない。

498 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/28(火) 23:13:37
曹操の被害は少ない!
と主張する人は曹操のメンツを守りたいだけなのだ

499 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/28(火) 23:14:14
また同じ流れか。
同じ人間が同じ相手に同じこと繰り返すのも馬鹿みたいだからやめとこうぜw

500 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/28(火) 23:15:43
>>498
ゲームじゃないんだから。
曹操は戦場で(あまり)負けなかったとするほうが、曹操の戦略的な失敗の大きさを際立たせることになるんだよ

501 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/28(火) 23:17:10
>>498
被害が少ないのに要地江陵を捨て、その後もいつまでも奪回しようとしないというほうがずっと曹操の面子に関わると思うけどね

502 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/28(火) 23:17:58
>>497
その割には>>490が言うように不自然な侵攻で痛い目にあってるよね。
どうしても水軍が仕えない重大な理由があったと考えるのが自然の流れだと思うけど。。

503 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/28(火) 23:35:36
>>496
純粋に兵力的には不思議だね。
合肥まで曹操自身が出向くくらいなのだから、兵力は万くらいはあっただろう。
であるなら、同じ兵数(しかも無傷の)を江陵に差し向けることはできたはずだ。
それをやらなかったのは、江陵の優先順位が落ちた(少なくとも合肥よりも低い)
最悪陥落しても仕方がないと見ていたんだろうな。

504 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/28(火) 23:35:40
>>501
荊州水軍では江東水軍を圧倒するとまではいかないというのと、江東水軍にはまったくかなわない
というのとではずいぶん差があると思うが?前者であっても長江方面出兵を避ける理由には十分なる。

505 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/28(火) 23:38:12
>>503
仮にそうだとしたら面白いね
呂蒙と真逆の判断だもん

506 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/28(火) 23:38:40
江陵陥落といっても曹仁は帰還できているからな。
ある程度税を集めてから撤収というぐらいの話だったのではないか。

507 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/28(火) 23:45:39
>>505
呉にとっては、荊州は存亡に関わる要地だからね。江水上流の南北岸を敵対勢力に
抑えられると、「長江の険」はほぼ無力化されてしまう。

魏にとっては(三分を認めるという前提になるが)、中原を護るには江夏と襄陽を抑えればよい。
この二点を守るだけで、荊州から攻め上がることは不可能になる。
逆に江陵は、北から見て荊州中部の「底」、長い陸路の先にあり、水路は大きく東を迂回せねばならず、
江水の手前にあって、守りにくいし援軍も送りにくい。

508 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/28(火) 23:48:16
曹丕が帝の位を奪って皇帝を称した時、すでに天下統一を諦めて天下三分を認めてたようにも思える。

509 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/28(火) 23:52:35
>>508
507によると曹操は赤壁直後の段階で諦めたらしい
確かに漢中では蜀攻めをやめ、劉備に取られたときもすぐ引き返しててやる気がない
赤壁直前はやる気マンマンだったわけだから、赤壁で180度方針を転換する必要を感じるような何かを体験したか、もうすっかりやる気を失うような悪夢を見たか、ということのようだな

510 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/28(火) 23:54:16
>>509
もっと理性的戦略的な決断理由は無いのかよw

511 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/28(火) 23:55:51
>>510
507に聞いてくれ

512 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 00:10:27
507は、ていうか俺だけど、魏と呉(呂蒙)にとっての荊州の戦略価値をしか書いてないはずなんだがなあ
赤壁の直後に統一を諦めたなんてどこに書いたんだろう。

513 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 00:26:42
>>512
>魏にとっては(三分を認めるという前提になるが)、中原を護るには江夏と襄陽を抑えればよい。
で、そのレスの元をたどると>>503
>それをやらなかったのは、江陵の優先順位が落ちた(少なくとも合肥よりも低い)
>最悪陥落しても仕方がないと見ていたんだろうな。
になるんだから、かなり早い段階で江陵の優先順位が落ちた=三分を認めたということになるんじゃないの
俺はそう思ってないけど507の言ってることはそういうことだろ

514 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 00:32:03
>>513
違うよなあ。>>505で「呂蒙の判断」が出た時点で、赤壁直後という話は有り得ないんだから。
だから「三分」という言葉が出る。やはり赤壁直後ではない。
この時代での通論を言っただけだよ。

そんなに拘ることじゃないだろう。皮肉が失敗したからって。

515 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 00:49:31
赤壁と夷陵、なぜ差がついたか?慢心・環境の違い
↓ココカラ

516 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 00:52:54
↑戦役だけで比べるなら、致命的な戦略レベルの失敗、でも滅びるほどじゃなかった、
という点で差がないんでない?

蜀は戦前から最弱国、敗戦の後の君主の死というのは大きな差だろうけど

517 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 00:54:01
赤壁は曹操が直後に死ななかったのがなによりのラッキー

518 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 01:27:13
劉備が死んだのは夷陵での大敗がおおいに関係あるんだから曹操がラッキーというのは違うだろw

519 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 01:35:54
>>505
呂蒙の判断は徐州と荊州の話じゃない?
合肥は揚州で旧城は水路を利用しやすい為、
呉に奪われれば橋頭堡とされるから軽視できない場所ではある。

ちなみに>>503が赤壁直後の合肥攻めをいってるのなら
合肥への援軍は曹操自身ではなく張喜のはずだけど
仮に曹操の優先度が合肥>江陵だったとしても
長江とは無縁だった曹操が江陵の重要性を見落としても仕方ない気もする。

520 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 01:50:46
>>519
んにゃ、翌209年に合肥を鎮撫している。往復を合わせれば一年近くも軍を率いて許を留守にしているわけで、
荊州うっちゃっても構わないような相当な重要事がこの時期にあったと推量できる。

これが何かというのはちょっと考える必要があるかもしれない。
或いは曹丕が決着をつけるまで続く東方不安の絡みかも。

521 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 02:40:53
>>520
> これが何か
水軍の整備じゃない?
荊南は戦中だから軽舟を作って水軍を鍛えるにはショウ、合肥以外にはないと思う。
史実では訓練してる兵を江陵の援軍に出すかは判断する材料が少ないけど
これをもって曹操の優先度が合肥>江陵だったとはいえないんじゃないかな。

522 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 02:41:20
211年には元通りに出兵はしてるから
補充が利く程度の被害しかなかったのだろう
問題はそのタイムラグで孫権、劉備がマトモな反抗勢力になってしまったことの方かもね

523 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 10:52:33
純粋に許昌に対する脅威として、江陵と合肥、どっちを抜けられる方が脅威なの?

江陵の場合は後ろに襄陽?合肥の場合は後ろに寿春?

524 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 10:58:32
>>523
江陵は抜かれても防衛ラインとして襄樊、そして難攻の南陽があるからまあ余裕はあるっちゃある
合[シ肥]は抜けられると中原が危ういけど、地勢的に抜かれても今度動員数比べで圧倒的不利な呉では攻め込めない

被害の危険度は後者なんだけど後世的視点では前者の方から攻めた方がまだ目があるといったところ

525 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 11:12:45
>>524
江陵と合肥を両方抜かれた場合、当時では次の防衛線は淮水と漢水だろう
淮水の方が許に近いが、呉はそこで勝負する必要はない
広陵などの徐州東部を分断できるのだから、そこで戦えばかなりの優勢を築けるな

>>521
水軍の訓練だけなら合肥まで行く必要はないだろう
それとは別の話になるが、中原からの優先度だけで見た場合、合肥>江陵 は覆せないと思うよ
地理的にも歴史的にも、まともな後方支援のある長江勢力を相手に
陸兵中心の北軍が北から江陵を守るのも取るのも至難だ。


526 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 11:41:05
>>525
それをやって失敗した勢力が過去どれだけあったことか

徐州東部を抑えるには絶望的にマンパワー不足でしょ

527 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 11:42:00
合肥>江陵ってなぜ?
合肥を越えても寿春があるだろ

528 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 11:48:27
合肥なら中原からでも維持できる
江陵を保つのは難しい

529 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 12:14:05
>>527
210年前後ではないに等しい。長年の戦乱で荒廃した淮南を劉馥が必死こいて合肥だけ修復した。
だから張昭は寿春を無視して淮水のすぐ南まで到達した。

>>526
ところが、曹操時代ではそうでもないんだな。
青徐州はまだ治安不安定な時期で、故に臧覇ら東方の名士一党に治安を委ね、
それは曹丕の二度の徐州遠征の時代まで続く、とされている。
赤壁以後、曹操・曹丕がしつこく(孫権に本格侵攻するわけでもない)東方遠征を繰り返したのは、
その鎮撫と、おそらくは圧力を掛ける孫権牽制が主目的だろう。
その説が正しいなら、209年の合肥鎮撫をその始まりと見ることは可能だ。

530 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 12:15:45
張喜の部隊まで疫病漬けとか謎だ

531 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 12:45:25
合肥を優先するというよりも、江陵と合肥両方を攻められてて、赤壁直後の段階では合肥の方が危険と感じたんだろう
で、両方に十分な援軍を送れるほどの力は無い
そこで江陵は曹仁に守らせて自分は合肥に向かった
結果、合肥は守られ江陵は落ちた

ここまでは変な話ではない
だが、曹操は1,2年ほど積極的に戦をやらずにいた後次に狙ったのは漢中(そして関中の乱を引き起こした)
船が無くても攻めることが可能なはずの江陵を奪回する動きを見せない
この時点で、江陵を落とすことは簡単には出来ないと踏んだということだろう
しかし、劉ソウを圧倒した曹操が、劉表を破ることが出来なかった孫権と、さんざんに曹操に破られたはずの劉備をどうにもできないというのはどういうことか
(曹操>>>劉ソウ>>孫権>>劉備→孫権+劉備>曹操)
江陵の地の利もあるだろうが、未だ赤壁での兵の損耗から完全には立ち直っていないということだろう

532 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 12:55:41
>>529
劉馥はもらいもんだよな。彼のおかげで焦土化した緩衝地帯が防壁となった
費用対効果が抜群すぎる
ところで合肥だけ修復した、ってのはどこにあるのだろうか?
調べてみたけど見つからないので宜しければ教えてもらいたい。

533 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 15:07:27
>>532
劉馥伝
・江、淮間の郡県が残破した
・合肥空城,州治を建立す
・又た城壘を高く為し、木石を多く積んだ

勿論他の城市が手付かずだったとはいわないが、前後の文脈からすると、この具体的な描写は合肥一城を指す。
元々刺史治でもない空城、しかも長江の支流にある合肥をわざわざ劉馥が選んだのは、仮想的として孫策を睨んだものと見える。
とするなら、大軍の攻撃に耐える厳重な防備を施す地点は合肥以外にない。むしろ寿春のような場所を重視する理由がない。
他の防備は格段に劣るものとして良いだろう。経済的には要地だろうけど。

534 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 17:59:55
ここまでソース0

535 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 18:36:12
ソースが0というか
軽視と無視を同一視してるのが
ちょっと性急すぎるんじゃないの、という感じだ

536 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 20:10:56
>>533
> 又た城壘を高く為し、木石を多く積んだ
の前文が芍陂などでの屯田だから合肥一城とは限らなくね?

537 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 20:23:43
>>536
城を修復したのは合肥一城とは限らない。が、
木石を積み草苫、魚油を蓄えたという具体的な描写は、後の合肥での孫権からの防衛成功の記録から取材したものだろう
そこまでやって防衛に成功したのが劉馥の遺した功績とされている。
では、他の城にそれに近い防備が当時あったのか、そんな余力があるのかというと心許無いね。
淮南各地に有効な防衛線を敷いたのなら普通は「諸城を修復した」などと書く。

538 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/02(土) 22:00:47
ここまでの有力説をまとめるとどんな感じの流れなの?

539 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/02(土) 22:03:25
・曹操に落ち度はない
・赤壁の被害は大したことない
・合肥の方がはるかに重要。そこを守りきった曹操はすごい

540 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/02(土) 22:16:35
またまたご冗談を

541 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/02(土) 22:30:37
赤壁の被害がたいしたことないなら江陵とかは奪われねえよw

542 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/05(火) 15:21:07
・孫劉同盟と開戦に到る赤壁会戦は、曹操の望まざる戦闘であり、
 外交面における曹操の失敗と孫権・劉備の成功によって起こされたもの。
・この敗北によって曹操は荊州漢水以南の支配力を失った。
・・その原因は、本スレでは兵員消耗主因説と、船舶・輜重の喪失主因説とに分かれる。
・ともあれ、その後一年続く江陵争奪戦に、曹操は大きな増援を送ることが出来なかった。
・以後、曹操は対孫権では揚州方面を正面として兵力を送り、
 また、西方では雍涼州・漢中方面の平定を行ったため、
 その間に劉備・孫権は荊州の支配を固めていく。
・219年の漢中争奪の失敗により、劉備が益州を固めることで三分の勢の確立に至る。

543 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 20:46:21
>>542
サンキュウ!
やっぱ赤壁から曹操が急にキレが衰えてるな。

曹操が赤壁の戦いは望まざる戦いっていうのは何故???

544 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 20:58:21
今まで血みどろの死闘をしてた劉表系の残党と孫権が
魯粛の独断専行で一瞬で連合組んで
赤壁まで進出するとかいうのが予想外
この手の連合は連携ミスで破綻するのが大概だからついてなkった

赤壁はほとんど呉だけで戦ったようなものだが
名目上は劉備の援軍っぽいね。

545 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 21:05:11
>赤壁はほとんど呉だけで戦ったようなものだが

そんなことはないだろ

546 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 21:07:21
陸戦は劉備が担当

547 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 21:08:20
>>543
赤壁は恐らく初戦の遭遇戦を指しているものと思われる
兵力への打撃は、戦闘でなく疫病によるものが主原因

548 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 21:17:02
周ユ伝も含めると
疫病で半死半生で逃げることも出来そうにないのが
火と煙でとどめを刺された感じだ

549 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 21:19:33
苦肉の策の当人であるコウガイの伝には何故か便所に隠れてたことが記述されているだけという不思議。

550 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 21:26:31
誰が便所に隠れてたの?

551 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 21:27:28
だから黄蓋だって、あのマゾ爺さんの

552 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 21:27:55
曹操ヲタはこれだからなぁ

553 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 21:31:00
鞭打ちだけじゃなくスカトロプレイまで…

554 :('A` ) ◆hyde.6O83Q :2009/05/07(木) 21:31:51
>>551
黄蓋って三国志随一の変態性癖だな。
ムチだ叩かれて喜んだかと思えば、今度は便所に隠れながら自ら進んでアナルを掘られ待ちかよ。

555 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 21:33:56
なぁに。
後漢の創業者は二次ヲタだ。

556 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 21:39:54
韓当「う〜トイレトイレ」「ウホッ 黄蓋」

557 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 21:43:51
>>548
その辺の詳しいとこは上でやってたよ

558 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 22:25:16
>>549
火計進言の下りがちゃんとあるぞ
苦肉の策というのは創作だが。

戦闘中に江水に落っこちて助けられたけど、将だと気付かれなくて
便所放置という話があるのは裴松之の注だ

559 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/08(金) 18:49:48
>>543
元々、キ州や河北の平定に何年もかけていた曹操が、南下して荊州も安堵するには時間も経済力も軍事力も足りなかったんだよ。
だから、もともとの曹操の行動限界線が襄陽〜合肥線だったわけで。

兵の勢いによって荊州まで侵攻したけど、外交と政略で失敗した時点で、行動限界線まで撤収するか、勢いのまま劉備と孫権を短期で打ち破る以外は無いんだよ。
・・・そゆこと。

560 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/08(金) 22:38:28
レッドクリフ見てがっかり・・・。

なんで赤壁の曹軍と周愉の対岸とがあんなに近いのよ?
いくら中流域と言っても、長江だよな。あんな肉眼でもでかく目視できるほど
近かったら、ちょっと疫病とか船酔いとかで渡河をやめてしまう距離じゃねえ
だろw

と思ったわけだが、このスレの詳しい皆様的にはどうなんでしょうか?

561 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/08(金) 22:50:21
現在と1800年前では全然違うだろうけど、
今なら狭いところで1km弱くらいあるようだ
レッドクリフみてないのでなんとも言えないが

562 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 00:29:45
レッドクリフはちゃんと遠くに対陣してたぞ

563 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 06:25:49
>>326
いい事言うなあ
結局三国鼎立となり統一国家が出来なかったのって、そうするだけの生産力が無かったって事なんだよな。
赤壁の失敗は戦闘そのものに在るのではなく、その辺りが魏の国力の限界だったと考えるのが妥当だろう。

ちなみに曹操ほどの人が、ここまで大規模な遠征で大失敗をやらかすとは考えにくい。
遠征に来たはいいものの意外に抵抗が激しく膠着状態に陥った。
そろそろ潮時かなと感じていた所に船が放火されるなどの嫌がらせを受ける。
撤退のきっかけくらいにはなったかもしれないが、呉との戦闘で敗北をしたというのは余りに無理が有り過ぎるだろ。


564 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 08:54:08
曹操ほどwww


565 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 09:00:38
前提が無理がありすぎるw

566 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 09:12:12
>>560
周愉ってだれさん?

567 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 09:34:28
>>565
全然無理ない
そもそも曹操自身本気で呉を攻略出来ると考えていたかどうかさえ判らん。
仮に勝ったとして、その後の運営考えるとどうしたって実現性薄いわけだし。
降伏勧告の一環としての出兵という線も有り得るわけだからな。

大体ここまで大軍動員して、少数の敵のゲリラ的な攻撃によって壊滅って考えるほうが無理あるだろ。
曹操がそこまでリスク管理出来ない人間だったのなら、そもそも指揮官としての素質が疑われる事になる。


568 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 10:06:40
>>567
だから群雄割拠の戦争規模の小さい限定状況でしか勝てない男って言われる事もあるわけで

569 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 10:25:52
降伏勧告のために、完全に荊州を支配下に収めるまで軍を揚州に向けないことを求めた
賈クの進言を拒否してまでの進軍だからそれはない。
赤壁で大した戦闘があったとは思わないが、もし統一出来る国力がないなら、彼の行動は本当に軽率。

そもそも本当に国力がそこまで衰退しているなら大軍縮すべきなわけで。
軍縮することで兵站にかかる負担が減れば、疫病リスクも少なくなる。
実際国力の衰退から、軍縮することで負担を減らし、
相手が大軍を編成することによる疲弊をついて勝利を続け統一した例があるし。
そこら辺を見ると曹操は戦略が他の分野に比べると、本当に苦手な人なんだなとは思う。

570 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 10:30:53
>>569>>567あて

571 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 10:34:13
>赤壁で大した戦闘があったとは思わないが

呉書の記述が出鱈目ということでしょうか?
じゃあ何でそんなのを陳寿は削らなかったのか、という感じなんですが

572 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 10:35:44
攻勢限界だったという説を採ると、曹操の戦闘指揮や作戦立案のミスではなくなるが、曹操はもっと大局的な面で致命的で重大なミスを犯していたことが浮き彫りになる

573 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 10:38:19
>>571
陳寿は本当だと思ってたんだわな

「なんで魏書や蜀書には記述がないのか」って言う人もいるが、同じ内容は重複して記述しない場合が多いので、陳寿は「赤壁の詳しい事は呉書を見れ」と思ったのだろう

574 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 10:40:26
魏武帝論
ttp://www2.ktarn.or.jp/~habuku/gibu.htm

575 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 10:43:05
曹操は計略も用兵もこの時代では突出してたけど
他人のピンチに付け入るのが余り上手くなかった
統一出来なかったのは当然だな!

と言ってる

576 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 10:49:39
ピンチというか、弱点だな。

577 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 11:10:53
劉備も孫権も一廉以上の扱いだからピンチの方じゃないのか。
時期次第で攻略不可能という感じ

578 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 11:34:57
>>326>>563が同一人物にしか見えない件

579 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 11:57:38
よく気づいたな

580 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 13:10:49
>>571
呉にとっては大きかったんだよ。だから周ユ伝と黄蓋伝には記述が詳細。

>>572
魯粛と諸葛亮の外交能力に対する見積もりが甘すぎたんだよな。
・・・あと、荊州の豪族の劉備に対する感情の見積もりも。

581 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 15:47:28
>>568,569,572
なるほどねえ
曹操を戦略下手って視点から見たことなかったわ。
漢代に三千戸あった民家が五百戸という、ほとんど壊滅的な状況で、
無思慮に戦端を拡大していったとは思いたくないが…。

本気で攻略するつもりで、維持も出来ない数十万の大軍を、
たいした兵力も居ない、瘴癘の地と言われた要害の地に送り込むって相当の馬鹿だぞ。
うーん膨大なコストかけて大軍送り込んだ曹操の意図は何処にあったのか…。

>>578
茶化すなってw
俺がこのスレ見つけたのは今日だぞ。

582 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 15:51:52
>>581
ぶw
三千戸あった民家が五百戸じゃなくて三千万戸の民家が五百万戸ね
どっちにせよどっかの本に載ってたものをうろ覚えに載せただけだがw

583 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 15:53:07
>>581
>うーん膨大なコストかけて大軍送り込んだ曹操の意図は何処にあったのか…。

『戦わずして勝つ』もしくは『兵は其の勢いを頼みとし』を狙ったものかと。
戦乱は英雄に任せて、おいらは本拠地など求めず、威徳を以て英雄を統御するさ!!と語った曹操だしなぁ。

584 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 18:08:43
>>563 >>569
曹操は赤壁で負けたから攻勢限界に陥ったのであって、勝てれば当然問題なかった。
「赤壁で大した戦闘があったとは思わない」とは思わないな。
戦術的にも戦略的にもこの会戦の価値は大きい。
ただ曹操軍の損害を、演義赤壁みたいな兵員の壊滅的大打撃とイメージするのか、
船舶・兵糧・華北政治情勢等をも含めた総合的な戦略的打撃とイメージするのか、
という点を争って、327から200くらい長々とレスが続いた。俺は後者を取った。

とだけ、326が言っておく。

585 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 18:30:31
結局のところ真実は誰もわからないからなー


586 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 18:49:30
>>584
ここで言ってる攻勢限界って兵站の維持できる臨界点って意味だぞ

587 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 19:32:11
>>585
タイムマシンが欲しくなるなw

588 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 20:08:05
>>586
兵站だけとってみても、戦闘で勝ったか負けたかというのは非常に大きな影響を及ぼすよ。
負けて急速に撤退すれば前線の輜重と足がかりを失い、立て直すのに時間を必要とする。
敵の主力を破ればたいていの場合適切な拠点を得、味方の前線への負荷が減少し、
より少ない兵力で領土を経営することが可能になる。

具体的に言うと、何かの間違いで曹操が赤壁に勝つか、周瑜が援軍に来ないか、
劉備が尻尾巻いて交州か揚州に逃げ出していれば、曹操は江夏南岸を得て
健在の艦船群によって漢水と江水を連結することが出来た。
「攻勢限界点」は史実と明らかに異なることになる。

周瑜三万+劉備一万以上という数は赤壁に展開した曹操の主力に対してそう劣弱とは言えないだろうし、
江水流域での船舶の存在は死命を制する。 「少数の敵のゲリラ的な攻撃」「放火されるなどのいやがらせ」
というような表現はあまりにも会戦の価値を低く見すぎている。

589 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 21:15:58
>>588
話が噛み合ってないな。
兵站の維持が非常に困難な状況であるのは認めるわけだよね?
しかも攻め入る先は要害の地。持久戦になるのは目に見えている。
更に中原の人間には瘴癘の地と忌み嫌われる場所だ。
そんな状況に敢えて大軍を送り込むのは余りにリスクの高い行為だとは思わないか?
もし仮に曹操が一気に制圧しようとして進軍したのなら軽率過ぎる。
失敗は目に見えていると言わざる得ない。

流石に曹操もそこまで馬鹿じゃないだろうという視点から
この遠征は降伏勧告の一環じゃなかろうかと想像してみた。


ただもし曹操が戦争する気満々だったのなら話は違ってくる。
致命的な戦略ミス。更に会戦で負けたのなら指揮能力にも疑問符がつく。
10倍近い兵力持ちながら、敵のゲリラ的戦法に引っ掛かって敗走余儀なくされるって相当なもんだぞ。

590 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 21:36:18
>>589
当時の曹操の戦略意図なら
http://ex24.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1240741987/45-67
この辺の話かな

荊州討伐の動員総数と赤壁の戦力差については>>278- 辺りがやってる
まあ数倍の兵力差で対峙したということはないだろう

591 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 22:46:31
>>590
戦力差のことは魏ヲタの出鱈目。

歴史認識的には曹操軍総勢80万(数十万)
赤壁での兵士数は、孫権軍3万+劉備軍1万。
周瑜伝に「今寇眾我寡,難與持久」とある。
(今、賊は多勢、我らは寡勢。持久戦は困難。)
3、4万が寡となる敵の兵力は非常に大きいということだろう。
通説の20万が正しいのではないかな。

592 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 22:50:53
80万って、当時の曹操勢力範囲の総戸数を越える数字だと思うんですが

593 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 23:38:28
>>592
213年の魏の戸数は推定およそ130万戸。人口900万人弱。

ソース
http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2003/031219.html
中程

594 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 23:40:55
敵の圧倒的大軍が既に戦場に集中している場合、これは要害に立て篭もり持久戦を利とする。
ていうか攻め込むのは自殺行為。

敵が大軍を擁している大勢力で、時が立つに連れ別軍が戦場に集中してくる可能性が高い場合、
これが持久戦を難とするケース。
勝ち目があるうちに速やかに主力を撃破、敵戦線の破壊が必要とされ、そのための奇策が求められる。

周瑜伝の記述だけで解釈するなら、赤壁は後者に当たる。

595 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 23:47:27
春秋時代では全国民の5人に1人が徴兵され
戦国時代の法令では1戸あたり2人を卒とした。
その事から考えれば曹操軍80万というのは全くの嘘ではなさそう。
裴松之も80万を否定していない。


596 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 23:52:50
>>593
それ、前提間違ってる
213年の荀攸らの上申は、魏公国(予定)の戸数を語ったもの。当時の「曹操が実効支配する漢帝国」の数字は関係ない。
「曲阜の戸数」がいつのどの範囲を指しているのか詳しく調べないと解らないが。
だいたい、213年当時戸数で130万あったのなら、その後魏王朝が66万に落ちるのはおかしいじゃないか
民戸にある人間の過半数を兵戸に編入したことになってしまう

597 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/09(土) 23:53:03
>>594
一理あるな。。
「今」が無ければね。

598 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 00:08:40
>>595
現代の日本に例えると、朝鮮半島に攻め込むために2000万人の成年男子を徴用して
半島から九州の間に全軍を展開し、
他の諸外国への備えや国内治安維持の軍警察機能はゼロ。勿論米軍の協力は存在しない。
荊州攻略80万動員ってそんな感じ。

599 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 00:41:35
>>596
>曲阜
山東省(中部)。魯国が有ったところ。冀州。
「魏国十郡」とは
河東・河内・魏郡・趙国・中山・常山・鉅鹿・安・甘陵・平原のこと。

>だいたい、213年当時戸数で130万あったのなら、その後魏王朝が66万に落ちるのはおかしいじゃないか
流民や屯田兵を除外していたと考えればそうおかしくもない。この論は議論の度に出てくる。


>>598
80万というのは曹操勢力の総兵力数推定。赤壁兵力数推定は20万。

600 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 00:56:56
>>599
だから、魏公国予定地の戸数を論じてる箇所を読んで未来の魏王朝版図の戸数を導き出そうとしているのがおかしいって言ってるの。
論のたびにって言うか、論外。

>80万というのは曹操勢力の総兵力数推定。赤壁兵力数推定は20万。
では、赤壁以外の荊州展開兵力は推定お幾ら?

601 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 01:05:20
>>600
魏公国というのは漢王朝の中の独立国。
魯国は斉国の中の公国。

魏公国(予定)というものは
曹操を公にするとき、その領土として、
現曹操勢力(漢王朝)の中から割り当てるということ。
結局、曹操は十郡も取らず魏郡だけを領した。
「10州」ではないよ。

602 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 01:32:50
>>593
蜀ですら90万戸あったのに、それはないだろ

603 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 01:44:39
>>601
待て、曹操は一度魏郡だけを受けようとしたが説得を受けて結局詔勅どおりにしたんじゃないか?

604 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 02:33:59
魏:国力6で60万
呉:国力2で20万
蜀:国力1で10万

とか言うのは無理?

605 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 09:46:59
>>601
そうだよ。だから論外だと言ってる

606 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 09:47:42
問題なのは動員可能な兵士数よりも、補給の方だからな。
いくら兵士連れて行っても食い物無ければ戦えない。

607 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 10:25:20
>>593
江夏を抑えないと江陵水軍が見殺しになるか…。
漢水の確保って視点から考えると、曹操の進軍にも納得がいくね。
で、呉が動き出す前に事を進める予定だったのが、予想外に呉の抵抗にあったと。
結果船を焼かれ江陵水軍壊滅。目的を果たせず撤退って流れかな?

しかしそれだけなら数十万の大軍を進めた理由が説明できないんだよなあ
これ殆ど陸軍でしょ?

608 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 10:32:34
>>607
訂正
>>590へのレス

609 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 10:33:42
>>607
周瑜が「曹操軍15万、旧劉表軍7万」と言ったのは、呉が出兵する前。
つまり時間的に考えて曹操が江陵から動くかなり前の戦略論での話。
呉軍が夏口まで兵を進めたときに考慮に入れるべき敵総数を語ったものだろう。

その後の曹操の東下に、10万だとかいう大規模な軍を率いた記述はないよ

610 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 10:38:01
>>609
そうなのか
じゃあ実際にはそんな大軍率いて無いわけね。
それなら納得。
曹操が馬鹿じゃなくて安心したよ。

611 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 11:03:47
>>609
俺も赤壁に15万+7万が全員行っていたとは思わないが、赤壁で敗れて撤退すると曹操が荊州での応戦をやめて帰還してしまい、曹仁も江陵に立て篭もるしかなくなったという状況から見ると、劉備・孫権の合わせて5万との数的優位が無くなったように感じる
疫病にしろ交戦にしろ、全体の1/3〜半分、10万くらいは兵の損失が起こったように思うのだが

612 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 11:09:35
>>611
10万も損失があったら曹操陣営はそのまま滅びてるよ
この時代では余程の大敗でもせいぜい実数一万数千ってとこ
蜀呉の記述にそんな大戦果を挙げたらしき話がないので、赤壁では一万も怪しい
勿論、五万を率いて五千が討たれたのでも撤退するのに十分な壊滅的損害なんだけどね

613 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 11:14:11
>>612
じゃあ仮に2万の損失として、残り20万以上の兵を持ちながら曹操は劉備たちが迫るのを前にして撤退し、曹仁は総数で5万にも満たない侵攻軍に対し篭城しか手が無くなったということか

614 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 11:17:59
>>613
そうなる。戦争は戦場の兵数だけで決まるわけではないからね

615 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 11:27:16
>>594
>>591は訂正。
周瑜伝の「今寇眾我寡,難與持久」は
(今、賊は多勢、我らは寡勢。長くは持たない。)と訳すべきかも知れない。

>>602
蜀は「90万人」。「90万戸」じゃないよ。

>>603
そうでした。訂正。

>>605
? どの辺りが論外なのか意味不明。
魏公国は冀州(一部司隷含む)に立てられる予定の国。
赤壁時、既に曹操の勢力圏。

616 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 11:28:00
>>614
そいつはわかるけど流石に数の面で無理がないか

まあ、死亡・再起不能なのは2万位だが疾病がそれとは別にいた、とすれば辻褄が合うか?
あと荊州兵の動向も微妙だしな


曹操は赤壁で負けて退いた翌年建安14年は3月からその年いっぱい合肥に駐屯してる
孫権が合肥を攻め、合肥も疫病に苦しみ虫の息という有様だったからなんだろう
つまり孫権の合肥攻めのお陰で荊州をガッチリキープする余裕も無く、さりとて合肥を放置することも出来ないという状態か

617 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 11:30:42
魏ヲタ乙。

618 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 11:32:20
>>617
魏はまだ建国されてなくね?

619 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 11:44:26
>>615
冀州を中心にする魏公国の戸数が当時130万だったとすると、
それと司エン豫并幽青州と荊揚州1/3くらいの人口を足し合わせれば、
213年当時の『曹操の勢力圏』内の戸数は少なく見積もっても200万近くはないとおかしい。
この時点でそのサイトの執筆者は誤っている。

しかも、それが、魏王朝成立後に民戸から兵戸へ移管する大規模な改変作業が全国的に行われて
民戸66万、兵戸130万以上、のような体制に移行したことになる。
そんなぶっ飛んだ作業が行われた記述はどこにもないだろう。

荀攸が前提にした「曲阜の戸数」がいつのどの範囲を指しているのか詳しく調べないと解らないが、
荀攸が上言を書く際に採用した戸数と、そのサイトの執筆者(400万)は明らかに
違う典拠を使用している。
前提が間違っているのだから、そこから導き出された数字を元に曹操の動員力を論じることは出来ない。

620 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 12:00:55
>>616
うん。それが>>314-542の間のメイン話題

621 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 12:20:07
曹操が赤壁で敗れ退却したこと自体はやむを得ない敗戦であった
アラを探すとすれば、黄蓋の偽降を見破れなかった事くらいか

曹操が荊州から撤退し合肥に向かったのも、その時点の情勢からはやむを得ない選択だった
もっとも、これについても敢えて江陵重視、荊州重視という選択もあったが一長一短だろう

曹操がその後も荊州方面を放置気味にするのも、ある意味ではやむを得ない話であった
なぜなら既に曹操にも迂闊に手を出せない状態になってしまっていたから

では曹操は判断ミスをしていないかというと、それは否であろう
何度も論じられているように、カクの言うように漢南を得た段階で一旦留まり、江夏以東を拙速で攻めることはやめる方が良手であったと思われる
それでも江夏以東へ進軍してしまったのは、「今なら孤立した劉備を各個撃破できる、孫権を威伏させることができる」という誤った状況判断によるもの
驕りや焦りなどが生んだのであろう戦略的なミスが、確かにあった
もちろんそのミスに付け込んで最大の戦果を挙げた劉備・孫権陣営も凄いのだが、優秀な参謀が既に発していた危険信号に従えなかったのは曹操のミスとしか言えない

622 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 12:24:40
>>621
曹操は江夏以東まで進軍してないよ
それに江夏(夏口)を取るなというのは無理な話。
江水と漢水を連結せずに荊州を維持するなんて無茶だ。

曹操の戦略的過ちは、強気の降伏勧告によって孫権にいらん刺激を与えてしまったこと、
孫権が荊州内にまで急襲してくる可能性を考えて備えをしなかったこと、の二点だろう。
もっとも、後者を読むのは至難だろうけど。

623 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 12:34:55
>>622
ではカクの発言は全くの出鱈目ということ?

それを抜きにしても、後者は至難とは言えないよ
孫権は黄祖殺して次は荊州へ本格侵攻だ、ってつもりのところだったはずなんだから
だから赤壁前夜の段階で既に荊州との境に近い柴桑に居て、いつでも大軍を出せるような状態にあった
曹操がその備えを疎かにしていたとするなら重大なミスだ

624 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 12:39:00
>>623
その辺の話は>>590


625 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 12:47:39
魏ヲタ乙

626 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 12:48:21
あのブログは「いにしえの魯の戸数を400万としたうえで」の箇所がおかしい。
正しくは姫伯禽を魯公に封じた斉の戸数かもしれない。
しかし斉の国土は≒冀州なので、
「現在(213年)の冀州戸数は古400萬戸の1/3に満たない」と訳す事が出来る。
問題は「400万戸の三分の一未満」をどの位と見るかだが
少なくとも100万戸以上と見てもよいのではないだろうか。

627 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 12:50:14
>>626
なんで一上言の記述の持論に有利な解釈一つだけを採用して
それに反する他の全ての情報を無視できるのか

628 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 12:56:02
>>627
戸籍調査の精度の保証はどのくらいあるの?

629 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 12:57:35
古代の戦争で一万とか二万単位の死傷者が出るわけ無いだろ。
万単位の被害が出るようになったのは近代になってから。
せいぜい数十名。多くて数百名がいい所だ。


630 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 12:57:41
>>624
も少し具体的に言ってくれい
というか範囲広すぎ

まあいいや
カク伝では曹操は荊州を破り、「江に順い東下」しようとしたと言われてるから、夏口を取らない段階でカクは落ち着けと言ってるよね
必ずしも「江水と漢水を連結せずに荊州を維持するなんて無茶だ」とは考えてないと思うんだが

631 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 12:59:42
政府が機能していれば毎年行われるので戸籍調査の対象になる戸口に対してはかなり精確
ただし戸籍外に逃げた人口が相当数いる時代
また、統治が緩むと戸籍に載っていても現実には税や賦役を課せられないということも起きた

632 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 13:02:43
>>623
赤壁で相当の被害が出たと考えるからおかしくなるんだよ。
攻め込んだはいいが、呉の抵抗があった。
無理と判断して撤退。それならなんの問題も無い。

633 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 13:05:04
>>632
ある程度は被害が出て、呉の士気大age曹操の士気大sageでもあったと思わないと、流石に20万超の兵で荊州を守れなかったことがアレになるだろ

634 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 13:06:06
魏厨必死すぎワロタ

635 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 13:06:53
>>630
だから裴松之に批判されているのだろうね
襄陽と夏口の水軍を取ることが出来なかった曹操が、
水路を使わずに大軍を江陵に留めて鎮撫するほど
兵站に余裕があったのか大いに疑わしいな

武帝紀の書き方を信じると、曹操はあくまで劉備を主敵と捉えている。
しかし、夏口まで進出して劉備と劉gを掃討すれば柴桑の孫権との緊張が高まる。
賈クは或いはそれを危惧したのだろう。
その危険を冒してでも曹操は夏口を取る必要があった。
しかし孫劉はその何枚も上手を取り、アクロバティックな同盟を結んで
夏口どころか赤壁まで進出してきた。

636 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 13:11:23
>>630
少なくとも江陵の水軍は放棄せざる得なくなってくるね。
しかも夏口押さえられると荊州が無防備になってしまう。
戦略的に極めて重要な場所だからこそ。敢えてリスク犯してでも迅速に取ろうと考えた。

結果失敗。だからこそ、その後何度も攻撃に晒される事になるんだろ。

637 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 13:15:05
>>635
襄陽の水軍を曹操が取る事が出来なかったという根拠ってあったっけ

あと、裴松之の批判は「この機は呉を討つ最大の好機だったから逃す手は無い」であって、そういう兵站だのは一切言及されてないでしょ
さすがにそれは牽強付会

これは推測にしかならないけど、カクにしても夏口を捨てるわけじゃなく、君も言うように孫権の刺激を避け、機を見て夏口を攻撃すべきという考えだったんじゃないかな
孫権が荊州どころではなくなる事態もやってくるかもしれないわけだし

638 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 13:18:42
>>633
曹操軍15万は、南陽から襄陽・江夏・江陵・武陵・長沙・桂陽・零陵の郡県を分散守備してるんだ
赤壁によって、機動軍的な位置にある曹操主力軍が打撃を被った以上、
周瑜と劉備に対して大軍を当てて優位を得るには、各地の統治を放棄して江陵に集結しなければならない。
しかも合肥を攻撃している孫権を無視して。小説なら主人公が良くやりそうな話だが、
現実にはちょっとできることではないだろう。
史実の曹操は、主力軍の打撃と中原の不安を鑑みて主力を早期に撤収させ、
曹仁を中心とする持久守備戦略に切り替えた。が、一年の長期戦の末に負けた。
それで自然な解釈になる。

当然、曹操軍の荊州舟艇を壊滅させ圧倒的な「制水権」を取った周瑜と、
劉g・劉備の荊州人からの信望も大きな要因になっただろう。

639 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 13:21:21
>>638
633の
>ある程度は被害が出て

638
>赤壁によって、機動軍的な位置にある曹操主力軍が打撃を被った以上、
は同じことを言ってるということでおk?

640 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 13:21:48
>>637
確かに牽強付会だったかもしれない。
賈クの発言とそれへの裴松之の批判は、夏口にいた劉gの存在を丸無視してるから
よくわからないんだよな。史家が赤壁の結果を考えて抜粋省略したのかもしれない

641 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 13:23:47
あまりにも根拠に基づかない論を強引に押し進めていく辺りはカタカナの人に通づるものがあるね。

642 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 13:26:02
>>638
それまで荊州兵7万で守備してたのに、一気に各地の守備が3倍になるんだな

643 :638:2009/05/10(日) 13:26:56
>>639
おk。俺は赤壁の戦いが大したことがなかったとは思ってないから。
ただ、曹操が20万率いていたとか10万損耗したとかいう規模を否定したいだけ。
五万率いて一万損耗だとしても、その主力軍を引き上げさせるには十分な大損害だろうと。
加えて船舶を完全喪失したとなれば、曹操自身が荊州に滞在する価値は殆どなくなる。

644 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 13:28:11
>>642
劉表が有効に支配していたのは襄陽・江夏・江陵だけだよ

645 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 13:35:27
>>644
少なくとも張羨の反乱平定後はそこまでじゃないと思うけどねえ
黄忠とかも長沙に駐屯してたよね
「於是開土遂廣,南接五領,北據漢川,地方數千里,帶甲十餘萬」(『後漢書』劉表伝)はその三郡しか実効支配出来てないって意味なの?

646 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 13:40:02
黄忠いたか。すまん、デタラメ言ったな
その荊州軍七万が、赤壁の敗退後、劉備・劉gを相手に回して
信頼できる部隊として機能したかは疑わしいが

647 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 13:47:39
なんでそんな自信満々に主張出来るんだろう?
〜ならば〜だ、とかそういう仮定形込みで断言されても信憑性に疑問
〜なのだから〜だったかも、くらいならまだ受け入れられるんじゃないの?

事実から内情を推測するなら兎も角、
結論をねじ込むために事実を都合よく解釈しているように見えるのだけど

648 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 13:57:22
>>647
少なくとも俺は、当時の情勢一般から考えて

・鼎立以後の動員数を考えると、曹操の動員力は当時15万でも少し多すぎる(まあ明記されているのでこれを一応の基準とする)
・遠征動員兵数の過半が一戦場に集中するような会戦は、兵制上起きない(夷陵の劉備が4万、官渡の袁紹が5万+1万。これでも広域に陣を連ねたもの)
・赤壁の会戦の結果、追撃で大勝利したとかいくつ首を切ったとか、大規模な追撃戦が起きたような記述は呉・蜀側にない
(赤壁滞在者に病人が多かったのなら、追撃で入れ食い状態になるはず)

などの事実を故に、
『赤壁は大敗であるにしても曹操が何万という兵士を失ったはずがないのに、なぜ早期に引き上げる事態に落ちいたのか』を説明することを目指している。


649 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 14:27:04
やっぱり疫病じゃないの?魏書や呉書の至るところに出てくる疫病の存在はかなり確定してる要素と見ていいだろう
疫病で戦線維持の不可能を悟り、早期の撤退を決めたのでは

650 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 14:36:18
戸籍に関して

曹操は流民を集め屯田制を布いていた。
屯田民は各郡の典農中郎将、各県の典農都尉によって、一般の農村行政とは別に軍事組織と結びついた形で統治された。
戸籍は民衆から租税するためにあるので、軍部が直接支配する人民を戸籍に載せる必要はない。
263年当時、まだ民屯は吸収されていないので66万戸というのは農村行政に納税する一般民を指す。

651 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 14:39:51
>>650修正。
「課税」ね。

652 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 14:40:42
「民衆に課税」ね。

653 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 15:12:49
・曹操のキャリアでこれの失地はない
・この戦役以降に劉備の勢力拡大が猛烈な速度で進むのに、ろくに妨害せず放置
・武帝紀、先主伝の記述では疫病で死者多数
・さらに周瑜伝の記述では溺死者、焼死者多数
・大して被害がないor分散して配置してたならば、15万も動員して、3万+2万程度の敵に防御しきれず撤退するのは不自然。
・また、一年も曹仁を孤立無援でほったらかしというのも不自然
・江陵以南を維持する気がなかったというのは先ずない
・合肥方面に派遣した張喜の部隊も疫病で弱体化、つまりその時点で一番マシな部隊でもその有様

曹操の兵が多すぎるというのは黄蓋が不安要素として懸念しているのが記述されてるし、
追撃の記述がない=死者が少ない、というのは強引すぎだろう。
書いてあることを無視して、規模がたいしたことなかった、
船舶がなかった、兵站に問題があった、と主張されてもこっちは???
特に当事者の一人である周瑜の伝をガン無視して立論してるのは不可解
この話題の最初から延々反論され続けてる理由はそれにつきるんじゃないの

654 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 15:30:28
世界史板で話にならんとか言われてたのと同一人物かもよ
彼も呉書を読んでなかった

655 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 15:39:54
襄陽の船を曹操が得られなかったという点については根拠を教えてくれてないんだ、彼

656 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 15:57:56
>>653
勝者の記述は誇張されるもの。戦果十倍報告の慣例もある。
具体数さえなく「死者甚だおおし」だけでその規模を計ることは出来ない。

陣営というのは、複数に分れ適度な距離を置いて設営される。
李衛公問対だと一陣営辺り2000〜4000人くらいだったか。
火が陸地に及んだとしても火計一発で全滅させるなんて不可能。曹操の軍が大規模なほどね。
敵を撃滅するには夷陵のように火計を端緒として全陣営に攻勢を掛け、追撃が必要になる。
被害の圧倒的多数は追撃戦で生まれる(もっと多いのは病死だというけど)。

呉書中、赤壁は、関羽征討、夷陵と並んで多くの呉将が参加した大規模な戦役だった。
しかし、「烏林の役」は他の二戦役にように他の将達が誰の首級を取ったとか、
捕虜にしたとか、戦利品を獲たというような記述は殆どなく、ただ戦果は周瑜伝にのみ不自然に偏っている。
丸呑みするのは危ない。

疫病が曹操陣営に再び蔓延するのは赤壁の敗戦後。

周瑜伝で「大勝利」の記述があるのは間違いないし、実際大勝だっただろう。
だが、それを死者数万というような講談めいた戦果と見るのは当時の常識を外れすぎているんだよ。

657 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 16:17:59
>>655
蜀書
当時劉備は樊城に駐屯していた
劉jは城門を閉めて閉じこもった
関羽が数百隻の船を率いて漢水を下った
これは曹操に舟艇を利用させないための一種の焦土作戦だね。
劉jが確保した分がゼロとは言わないが、
荊州規模の戦役に使えるほど残っていたかというと?

658 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 16:34:17
>>656
>被害の圧倒的多数は追撃戦で生まれる
しかし絶対ではないよね。
大混乱の群に整然と指揮の執れた部隊が襲いかかれば大きな被害が出る。
撤退戦よりダメージはでかい。だから戦列が崩れたら撤退するのだろう。

大混乱が起きた理由は>>180-182


>具体数さえなく「死者甚だおおし」だけでその規模を計ることは出来ない
烏林だと死者は坑に葬るより江に流した方が早い。
積み上げないので数えてない。と考えることもできる。

659 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 16:43:38
>>657
周瑜伝「劉表治水軍 蒙衝鬭艦 乃以千數 操悉浮以沿江」
(劉表が治めた水軍は蒙衝・鬭艦は千単位もあった。曹操はそれらを悉く長江に浮かべた。)

関羽が連れた数百の船が軍船だったという記述はない。
戦国物でよく無視されるが当時の人間は軍人ばかりではない。
漁師や商人も大勢いた。それらの民船かも知れないよ。

660 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 16:46:31
軍船は軍が管理しているだろうし、急いでいる関羽が簡単に奪える代物だったのだろうか?

661 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 17:05:36
>>655
襄陽の海軍が健在なら当然漢水下って江夏に迫るはず。
それが無いのがひとつの根拠にならない?


662 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 17:10:19
>>180はさすがに空想が強すぎると思うが

663 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 17:16:57
>>653
死傷者の数が戦線に異常を来たす事は近世以前の戦争に置いてありえない。
被害が一万だの十万だの言ってるやつはちょっと頭冷やせ。

軍の展開が不可能になった原因として当時一番多いのが兵站の欠如であるわけで、まずこれを疑うのが普通だろ
軍船を得られなかったのもそれに拍車をかけたのかもな。
荊州を統治するには軍船は不可欠。だからこそ船を焼かれた事により放棄せざる得なかったと考えればつじつまが合う。


664 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 17:34:11
船を焼かれたといっても、全てを呉の奇襲により焼かれたと考えるのは現実的じゃないね。
大勢を考えれば、夏口を得られない事で船団の維持が困難になった。
持久戦に陥って補給に問題が起きき、これ以上の長期戦は無理と判断し撤退する。
それ故船を焼いたと考えるのが自然だろう。

一方的な呉の勝利で終わったって言うのは流石に夢見過ぎだ。

665 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 17:34:36
兵員の損耗以外での、曹操の撤兵理由として考えられる要素
・疫病
同盟側の反撃以前から疫病の流行は指摘されている
さらに赤壁敗退後に再流行があった。このため、医療・給養の負担から
大軍を江陵付近に釘付けにすることができなくなった
(むしろ赤壁の直接の敗因としては疫病の指摘はない。実力での勝利とみて良いだろう)

・兵站
遠征は既に9ヶ月に及び、当時の兵站事情から曹操が荊州で年を越すのは難しかったと思われる。
赤壁からの撤退により、前線へ運んだ輜重が失われたのもさらに負担に拍車をかけただろう。

・船舶
主力の江陵水軍が赤壁で失われ、さらに深く追撃されることで江水に封じ込められることになった。
これにより、荊州の曹操軍は二つの河川で三つに分断され、兵団・物資の移動が困難になった。
そのため江陵に大軍が(ry

・孫権、張昭
この時、孫権が合肥を攻撃して中原を突く構えを取った。
このときまで、揚州方面での孫権との衝突は殆どない(はず)で、単独で孫権主力を撃退するような兵力はなかった。
曹操は後詰に戻らざるを得なかった。

・司隷青徐州、許都
このころ、まだ東西の各地は情勢不穏であり、揚州にも袁術残党がいる状態。
赤壁の敗戦によってこれらが蠢動する可能性があった。

666 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 17:38:45
>>663
船は造ればいい。それだけのこと。

667 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 17:39:39
数揃えるのに何年掛かるんだよ

668 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 17:43:04
>>667
何年掛かるのかな?
荊州維持のため漢水を渡河・輸送するための渡し船を造るのに何年掛かる?

669 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 17:43:07
作るったってお前、いったい誰が作るんだよ

670 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 17:43:57
渡し舟www

671 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 17:45:43
>>669
魏ヲタの話じゃ大多数生き残ってるそうだから兵達に造らせればいいよ。

672 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 17:45:55
>>668
勿論、俺が知るはずがない
だが、平時ならともかく、遠征中に襄陽近辺で、
数百隻単位の軍船に必要な材木を同時に伐採し、職人をかき集めて造船させるなんてことをやっていたら
ただでさえ危うい兵站にさらに巨大な負荷が掛かるだろうね

673 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 17:49:19
制海権ならざる、制河権と言った所かw
呉の水軍を押さえられるだけの船団を構成するには相当の手間がかかるだろうね。

渡し舟とか言ってる馬鹿w
日本の小川とは違うんだぞ

674 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 17:52:30
水軍をつくる必要はない。渡河用筏に毛が生えた程度の物数十隻もあれば充分。>兵站

675 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 18:02:42
>>674
中原から来た物資を襄陽付近で南に渡すだけなら、それでいいよ。
そのくらいの船舶はかき集めたか、作ったかしただろう。

荊州での「制水権」というのはそういうことじゃない。
そもそも中原から襄陽まで長い道のりがあるうえに、襄陽を通過できても、
船があれば漢水から迂回して江水に乗り入れて数分の一の労力ですむはずのところを
襄陽から江陵までさらに長々と陸路を補給しなければならない。

大軍が連携するには、江夏郡北部を制圧した味方や広い江水を南北に渡して長沙や武陵と連絡する輸送船も必要になる。
輸送船があったとしても、水路を掌握する孫呉水軍を駆逐する水軍がなければならない。
荊州で水軍を失うのは、文字通り地の利を失うということなんだ。

676 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 18:16:19
焦点は、なぜ江陵を奪われたかだと思うんだが
一年も江陵を放置したのは何故なのか。
兵がいなかったのか、兵站がなかったからなのか
兵站はあった。長かろうと苦労しようと輸送はできる。
遠征は兵站が楽でなかろうが行われる。
防衛戦でそれができないわけはない。

荊南はともかく広陵を捨てる理由は兵站問題にはない。

677 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 18:20:31
「江陵」ね。

678 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 18:22:49
江陵捨ててないって。一年も防戦しただろうに。

曹操はそれに目立った増援を送っていないが、まさにその時期合肥に行っているのだから、
「防衛戦に送る余力がない(=それだけの大打撃を赤壁で受けた)」とは兵員の面からも言えない。
ただ危険度で東方が上と判断され、鎮撫している間に江陵が落ちてしまった、というだけだろう。

679 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 18:26:05
>>676
どんなに意気込みがあっても輸送する備蓄が足りなければ輸送は出来ないよ
加えて、陸路中心の兵站というのは輸送する兵員も莫大な兵糧を消費するのだから、
それを計算に入れないといけない

680 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 18:33:52
>>678
>曹操はそれに目立った増援を送っていないが
それを捨てたという。

赤壁開戦時、曹操勢力は80萬も居たのだから、赤壁で大打撃を受けたとしても
合肥への戦力を絞り出すことぐらいはできるだろう。
問題はなぜ荊州が空なのかということ。
一年もの戦いは最早追撃戦とは言えない。歴とした侵攻戦だろう。

681 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 18:35:44
80万なんて数字を前提にするのはやめてくれ
冀州などからほいほい何万もの軍勢を移動させられると思ってるのか

682 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 18:38:45
そう言われても、まぁ80萬だしなぁ。。

683 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 18:41:13
80万もの屈強な男たちがほいほいついていく

684 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 18:43:01
魏は確かに数字上優勢な国力を持っていたが、
二つ、三つの戦線で同時に敵国に大して優勢を維持できるような国力の戦力化ができていたわけではない。
どこかに集中すればどこかが手薄になる。だから敵の大侵攻があるたびに皇帝や宰相が大軍を率いて東奔西走し何十年も苦労した。
これは魏末近くに到るまで変わらない根源的な問題で、その端緒が208-209年に現れたということだろう。

685 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 18:44:25
>>679
曹操本土から江陵へ輸送するのに何日かかるか分からないが
たぶんそちらが思っているほどの人的負担はない。


686 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 18:48:27
>>687
常時臨戦態勢で徴兵状態にしてたら国持たんしね。
基本その土地で養えるだけの兵力しか置かなかった。

687 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 18:48:29
>>685
片道600-700キロくらいかな?
一日20キロ行軍として、往復二ヶ月か

688 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 18:53:36
>>687
牛車が1台当たり、20人の30日分の食料を積めると仮定すると、
10万の戦闘員兵(糧運搬以外のその他含む)が
30日の行軍距離で
30日分の兵糧を維持し続けるには
兵糧輸送に1万2500人の人員と同数の牛が必要。(概算)

ここからは計算してないが
5万の戦闘員を援軍に送ったと仮定すると
単純に考えて
兵糧輸送に1万2500人の人員と同数の牛が必要。
ということになる。
計算してないので多少増減するかもしれんけど。

689 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 18:54:52
また同じ過ちを。。

訂正

牛車が1台当たり、20人の30日分の食料を積めると仮定すると、
10万の戦闘員(兵糧運搬以外のその他含む)が
30日の行軍距離で
30日分の兵糧を維持し続けるには
兵糧輸送に1万2500人の人員と同数の牛が必要。(概算)


690 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 18:59:09
>>688
つまりは江陵までいく場合、全体の25%が輜重兵になるわけだね
加えて、
・牛の秣の輸送人員(または現地徴発人員)
・道中護衛部隊
・前線近くの集積地の守備部隊
を差し引いて、残りが前線で有効に使える戦闘部隊になる。
まあ勿論、現地徴発や襄陽の備蓄もあるだろうけど。
江陵は包囲状態だから、城中の蓄えは使えないとみていいだろうな。

691 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 18:59:45
あ、片道だから7・8千。

692 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 19:03:48
問題はその食料を何処から調達するかだが。

693 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 19:07:59
>>688
北魏の話だと、牛車一台に20石らしい
これは約13人の30日分の穀物に相当する

694 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 21:08:31
>>681
とりあえず、冀州一州でかき集められる兵数は30万ね。
これは一応曹操の言葉として書いてある。

695 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 21:15:06
で、そのかき集めた兵を何日食わせられるだけの食料があるの?

696 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 21:21:32
まあ、この時代に限らず現地調達ってのがある
略奪あり徴発あり積極的な供出あり

しかしこの時の襄陽から江陵のあたりは、民が劉備にくっついて逃げようとしたという話が示してるように曹操に対し協力する気は全くなさそう
更に流民化してしまったので略奪もできない

つまり曹操は自分で輸送しないと干上がるわけで、それが問題だったんだな
逆に劉備、孫権は荊州の民、豪族、官吏からの供出が期待できたから、攻める側でありながら兵糧問題に悩まずに済む

こんなことになるのは主に曹操が徐州で略奪殺戮なんでもござれな軍隊だということを宣伝しちゃったからなので曹操の自業自得な部分が大きい


697 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 21:38:00
>>695
一般的に、兵士を動員するには3年の備蓄を持って一年を賄える・・・と言われているけど
・・・荊州の政情不安定さと兵站考えたらなぁ。

698 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 21:38:57
>>694
とりあえず、それ戸籍から計算される徴兵可能人数ね。冀州戸数は晋代で30万戸
日本でいうと、「人口一億人だから成人男性1500万人ほど徴兵できるよ」って話。
現実に徴兵、訓練、編成、武装して戦力化できるのは良くて1/5。
さらに辺境防衛や郡県守備に取られるから、中原を1000キロ縦断して遠征に派遣できるのは
1/10以下かな。

699 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 21:58:38
>>693
調べてみたけど見つけられなかった。ソース何?

代わりに幾つか見つけた

梁書「諸夷伝」(629年成立)
扶桑(=日本)にも牛がいて、角が長く、
「角を以て物を載せ、その重量20石に勝る。」(以角載物 至勝二十斛)

中国の算術書である「孫子算経」(3〜5世紀頃成立)に
以下の件がある

『今有租,九萬八千七百六十二斛,欲以一車載五十斛。
問:用車幾何?
答曰:一千九 百七十五乘奇一十二斛。

(今、租税が「9万8762斛」ある。
1台の荷車に50斛積みたい。
車は何台必要か?
答え:1975台と、余り12斛。)

例題になるくらいだからその位載せれるのではないだろうか。


wikiでは
牛車の積載量は、四輪車で最大1,300kg 二輪車で800kgとなっている。

700 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 22:21:05
>>694
サンクス。
100〜130万戸あるのでその位かもね。

701 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 22:24:00
>>699
算数の例題になるからって数値が合ってるわけねーだろ
現代の算数の例題だって数字適当じゃねーか

702 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 22:24:42
>>699
通典食貨十 後魏の条

高平、安定、統萬及臣所守四鎮,出車五千乘,運屯穀五十萬斛付沃野鎮,以供軍糧.
臣鎮去沃野八百里,道多深沙,輕車往來,猶以為難.設令載穀二十石,
毎至深沙,必致滯陷.又穀在河西,轉至沃野,越渡大河計車五千乘,
運十萬斛,百餘日乃得一返,大廢生人耕墾之業,車牛艱阻,難可全至,
一歳不過二運,五十萬斛乃經三年.

計算上50石乗せることは出来ても軍事行軍ではまともに進めないから20石にしたってことかな?
まあ雑な想像だけど

703 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 22:29:46
>>701
お偉い先生があまりにもおかしな例題出すわけないだろ。

704 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 22:32:04
>>703
数字の正しさを他に担保するものでもない限り
算数の例題に使われた数字なんて全く信用しちゃいけない

705 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 22:36:47
そんなに大量の牛を同時に調達できるのか、という問題もあるな
北魏の例は涼州への計画輸送の下りのようだけど、それで五千。
臨時的な遠征で牛を一万頭も集めるのは容易なことじゃないだろう。

706 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 22:50:26
涼州は道が険しかったからなんじゃ?
でないと、いちいち積載量20石なんて命令しないんじゃない?

707 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 22:55:18
涼州は高原地帯だよ

708 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 23:09:15
『李衛公問対』で李靖が曹操の『新書』を引いている。

攻車七十五人、前拒一隊、左右角二隊。
守車一隊、炊子十人、守装五人、厩養五人、樵汲五人、共二十五人。
攻守二乗、凡百人。興兵十万、用車千乗、軽重二千。
此大率荀呉之旧法也。

観漢魏之間軍制、五車為隊、僕射一人。十車為師、卒長一人。
凡車千乗、将吏二人。多多倣此。


これによると、
前線に陣取る兵力が十万のとき、同じく前線に輜重車は千両。

10万人は1日に約5161石消費するので
もし輜重車が20石しか載せられないのなら
前線を移動するのに4日分しか食料を運べない。
しかも、武器・秣など一切載せず食料のみ運ぶ計算で。
追撃・進軍できるのは無茶しても最大4日ということになるな。

なわけないと。

709 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 23:11:57
>>702
あー、ごめん。計算したら20石って300kg少々だった。さすがに少なすぎるな
沃野では5000乗で50万石(一台100石)運び、
最後の八百里では道が困難なので20石にしたというくだりか。
1500kg運ぶ四輪車が一頭立てなのかわからないけど、それなら辻褄があう。

710 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 23:43:24
>>708
これの興兵十万、用車千乗って、輜重車のことではないだろう。
そこは春秋の兵制を語っている部分。
春秋の時代には「兵十万のうちに戦車が千台いた」という記述が、
曹操の『新書』にあるという引用。
曹操の時代に戦車隊があるわけないから、『新書』というのは
曹操が注釈した孫武のような兵法書のことだろう。
その次の、 観漢魏之間軍制、五車為隊、僕射一人〜
は、輜重隊の編成で良いのだろうけど。

711 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 23:46:38
>>709
それは宋代から。
三国時代20石は620s
兵は一日約1.6s食べる

牛一頭かどうかは分からないには同意。

712 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 23:48:50
ただ、牛の首に620sもの力があるかどうかは不安要素。
629年には変わってたのかな。。

713 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 00:07:09
>>710

攻守二乗、凡百人。興兵十万、用車千乗、軽重二千

>これの興兵十万、用車千乗って、輜重車のことではないだろう。
そのとおり。用車千乗は戦車だろうね。
軽重二千 攻守に分ける
攻めに戦車千両 陣に車千両。
攻め75%に千両の戦車で、守り5%に同じく千両の戦車はあまりにおかしい。
陣に残る千両は輜重車両と見るべきだと思うよ。
「軽重」だしね。

714 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 00:23:22
>>711
漢は一石20リットルでないの?

715 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 00:27:01
>>713
いずれにしても、その計算だと一台100石乗せても
拠点から十日半径しか遠征できないよ
本国からの輜重隊は別計算だろう

716 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 00:35:33
>>593
これ、荀攸が間違っているようだな。というか多分伝写のミス。
後漢最盛期でさえ、冀州は人口600万、戸数90万。斉があった青州は60万戸370万人。
その後の混乱で数分の一に低下した。
人口ならともかく、一地方で戸数四百万なんて三国時代以前には
どうやっても捻り出せない。

717 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 00:43:24
>>716
光武帝の時代が約2千百万人。
前漢末は約5千9百59万人。

718 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 00:49:06
>>716
400万戸を捻り出せるのは全盛期の荊州くらいかな
南陽だけで50万戸あるし南部4郡もかなりいけてる

719 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 00:49:53
>>714
1石=31s

>>715
19日は進める。(無茶に変わりはないけれど)
復路は後方支援の兵站線が伸びれば考えずに済むよ。

720 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 01:01:59
>>718
いや、南陽が規格外の大郡というだけで、他は飛びぬけてはいない。
勿論トップクラスの大州だけど、荊州全体では140万戸。
ちょっと訂正、この統計は人口4900万人の時代で、後漢最盛期ではないようだ。

漢書によると、総人口は後漢より多いが冀州は四郡70万戸。
まだ河北や長江流域は開発途上の時代だったのだろう。

721 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 01:03:41
>>719
今は「後方支援の兵站線」の話をしているのであって、軍に随伴する輜重隊の話ではないと思ったが
まあ随伴部隊としてはそんなものかな

722 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 01:03:55
この時代中原以外は僻地だからねえ・・・。

723 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 01:06:14
>>720
南部4郡を0一個多く見てたわ

ただ長沙だけは結構いけてる郡だな

724 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 01:18:57
>>721
>>688-689 , >>691
から派生した流れ

725 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 01:22:38
>>711
1.6kgって2リットル弱。コンビニに売ってる大き目のサイズで2kgだよ
一日にそんなに食えんてw

726 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 01:24:56
>>724
>>688は、30日の行軍距離で輜重隊が往復して絶え間なく補給を維持するものとして
その計算を出してるはずだけど

727 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 01:34:23
>>725
実際は食ってるだけじゃなくて俸給も込み
だから兵糧が尽きると一気に兵が離散するんだよ

728 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 01:37:09
>>726
あれには10万の中に随伴も含んでる。
1万2500人は後方支援(兵站線)。

729 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 01:57:17
>>725
笑。 炊いたら2倍として3.2s。一食1.4sか。
多分兵糧は米だけじゃないのでそんなにはならないかな。
スポーツマンは1sくらい食べるだろ?
だからまぁ兵隊も食べるんじゃないかなぁ

730 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 06:27:35
戸数は、人口激減と言っても実は流民、兵隊化していたから実際はそれほどでも
なかったと言う説はあるな。
あと、屯田兵を戸数に入れなかったという説もあり、記録上の戸数と動員兵数の
差がかなり極端にずれるのが三国時代ではないだろうか。
と言って、赤壁八十万というのは流石に無理だろうが。また、あれだけの勢いが
あっても中華統一がならなかったというのも、その限界が兵力にあったとしか考
えられないし。

731 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 07:00:54
>>730
単純に数だけなら居たんじゃない?
ただ目下急を要するのが食糧問題であって、屯田などに廻された。
食料供給に余裕が出来れば随時戦線復帰可能。

732 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 07:53:02
>>706
はたして道が険しい土地で騎馬が栄えるもんなんかな

733 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 10:04:45
>>656
死者数万かどうかは分からないから俺は断言しないよ。
だが、漠然とした強調表現は誇張として説得力に欠ける。
規模を計ることは出来ないが呉の戦果は誇張されている、というのは性急すぎる
大体そういうことを言い出すなら
「魏は正統補正がかかるから敗北時の記録は当てにならない」とか言わないのは片手落ちだろう。

734 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 10:19:02
>>663
>死傷者の数が戦線に異常を来たす事は近世以前の戦争に置いてありえない。
>被害が一万だの十万だの言ってるやつはちょっと頭冷やせ。

総兵力80万とか死者十万とか言ってるのとは別人だし同一人物視されても困る。
それでも死者数万はありえない、とかいう話の根拠もあくまで一般論でしかない。
それを盲信して何でも割り切ろうというのは強引すぎる。
陳寿の事情からすれば呉をヨイショするメリットなんて皆無なんだが

>軍の展開が不可能になった原因として当時一番多いのが兵站の欠如であるわけで、まずこれを疑うのが普通だろ
>軍船を得られなかったのもそれに拍車をかけたのかもな。
>荊州を統治するには軍船は不可欠。だからこそ船を焼かれた事により放棄せざる得なかったと考えればつじつまが合う。

食が尽きたとか書いてあるなら頷けなくもないが、
そんな記述はどこにもないじゃん
荊州水軍は劉ソウの配下なんだから降伏時に曹操に帰属するのは当然だろ
一部の劉表系の指揮官が劉備に従ったとかいう記述があるなら分からなくもないが
数百艘関羽が調達したから曹操には船がありませんでした、というのは急ぎすぎだろう

>>664
>一方的な呉の勝利で終わったって言うのは流石に夢見過ぎだ。

戦略目標は達成出来てない上に疫病で被害甚大、一方的としか言えない。
表現が気に入らないなら不戦敗だろうか。
俺はそもそも呉オタじゃないから的外れ
記述を直視しようよ。
どう読んでも疫病が原因の撤退だろう。兵站なんて一言も書いてない
論理の飛躍と結論にあわせた解釈はロジックを弱体化させるだけ。

735 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 11:25:16

なんで三国統一も出来なかったクズの曹操がそんな完璧なんだよwwwwww
馬鹿丸出しだなwwwwwwww

ある程度恵まれたステータス(宦官の孫)に恵まれた部下
何もかも恵まれた状態だったにも関わらず、三国統一は出来ず、
弱小国に大敗だらけの曹操が何でそんなに完璧なんだよwwwwwwwwwww

冗談はお前らの顔だけにしとけwwwwwwwwwwwwwww

魏厨のクズ共とはまともな議論も出来ねーよなwwwwwwwwww




736 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 11:36:08
>>735
魏を建国したのは息子だからそうそうは魏の人じゃなくね?

737 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 12:05:22
三国が存在しない頃なんだから三国を統一できなかったのは当たり前だよな

738 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 12:23:49
魏厨魏厨言ってるやつってゲームかなんかで知ってる程度なんかな

長坂で逃げる蜀軍を大軍で追う魏軍とか言い出しそう

739 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 19:46:09
「魏」の括りだが、ある程度適当でいいんじゃないの?

曹操は魏公国の国主であるから「魏」の人といって何ら障りはない。

が、荀ケ、郭嘉、典韋らが死んだときは魏公国にすらなっていなかった。
そちらの弁を借りるなら、これらの人物は「魏のひと」ではない。
また、ホウ統は「蜀のひと」ではなく、周瑜・魯粛・呂蒙・甘寧らは「呉のひと」ではない。

誰かが「呉の周瑜が… 」とか言ってたら、
「周瑜は呉じゃない」と突っ込むのか?
子供だな。

いちいち差別していたら不便なことこの上ない。
更に厳密に所属を王朝名で括るならもっと酷いことになるぞ。

740 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 19:49:46
>>716
俺(>>591-〜)のミス。魯を封じたのは周だった。それに気づくべきだった。
周なら400万戸あっても不思議じゃない。

で話戻るけど、曹操総兵力80萬は否定できない。

741 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 20:10:03
思いっきり話し戻るけど、80万の出典ってどこだっけ?


742 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 20:29:53
>>741
今手元に無いから何とも言い様が無いけど、演義で『八十万と号する』じゃなかったか?
まぁ、”号する"だから自称だった気が。

743 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 20:34:16
>>742
周瑜が「そんなにないyo.せいぜい15、6万と7、8万だyo」と看破するシーンね。
元ネタは三国志注の江表伝にもある。
でも今は曹操の総兵力の話だから違うんじゃないかな。

744 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 20:42:00
>>739
魏厨でスレを抽出してみろ
擁護する価値ない罵倒レスしてるやつばっかだぞ
たぶん書き方からして一人っぽい

745 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 20:43:22
ばっかって二件か
>>634>>735
ただ罵りたいだけだろこれ

746 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 20:47:07
「魏ヲタ」も可

747 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 20:58:16
「魏ヲタ」は俺w
だって魏ヲタって…以下略

748 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 21:03:34
わかってるよ
曹操軍80万とか冀州100万戸とか言ってる君だろ

749 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 21:04:43
>>747
魏の話題に見えてるの?

750 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 21:22:01
無闇やたらと曹操の非を打ち消そう打ち消そう
「曹操は無能じゃない!」
と頑張ってるように見えるかな。

751 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 21:27:16
他の人たちにも指摘されてるね。

752 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 21:30:57
>>750
〜にみえるとか感情論じゃんwすぃーつw

753 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 21:32:38
いや別に感情論ではないだろ。印象と感情の区別をつけよう。

754 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 21:35:36
あと、俺は別に曹操アンチじゃないんだよね。客観的に見てそう見える。

755 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 21:43:02
>>750
〜にみえるとか単に印象じゃんwすぃーつwww

756 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 21:47:35
印象は対象を映す鏡だぞ

757 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 21:49:27
>>750は曹操を非難してる俺かっこいいとおもってるようにみえる

これは>>750を写す鏡?

758 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 21:51:13
お前は歪んでる。

759 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 21:53:07
カクとテイイクの進言ってあまり取り上げられないよね、赤壁の話題でも
なんでだろ、赤壁の悲劇を予見してる重要な発言なのに

760 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 21:53:55
>>758
必死だな()笑

761 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 21:54:01
>>757>>750の内容を裏付けてるな。

762 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 21:55:39
>>761
俺は劉備シンパだから魏とか曹操とか興味ない
ただ必死に魏wをけなしてるやつは生理的にダメなだけ

763 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 21:58:23
>>762
>俺は劉備シンパだから魏とか曹操とか興味ない
信用できないな。

>ただ必死に魏wをけなしてるやつは生理的にダメなだけ
魏をけなしてるレスのアンカ書いてくれ

764 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 21:59:48
「魏を貶してる」と君が思うレスがどれか教えてくれ。

765 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 22:00:46
>>591>>617>>625>>671>>634>>735

766 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 22:03:13
それは魏をけなしてるんじゃなく、魏ヲタを揶揄ってるだけだろ。

767 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 22:05:02
>>766
「そいつが魏好きを指す言葉」って意味で「魏w」って書いた
わかりづらくてすまんな

768 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 22:10:07
では>>757の「曹操を非難してる」レスを教えてくれ。

769 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 22:11:01
>>768
>>750

770 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 22:13:29
確かに>>750の内容には「曹操は無能」って意味が含まれてるな

771 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 22:13:48
750は「曹操を過剰擁護する人を非難してるレス」だろ

772 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 22:15:54
750は「曹操を過剰非難する人を擁護してるレス」だろ

773 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 22:18:14
>>750は「曹操は無能なのに否定している」とミスリードねらってるだろww

774 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 22:19:09
771が正解。

775 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 22:26:35
>>773
赤壁で大きな被害を出したとしても=無能ではない。
と普通の人は考える。
固執するのは盲信者か大アンチ。

そんな事よりも変に偏らず良識的な議論が見たいな。

776 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 22:28:33
>>775
無能か神か極論出すから反対意見も極論になんだよな
互いに少し抑え目の表現使えばいいんだろうね

777 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 22:29:46
>>734
ああ悪い悪い。
俺としてはスレ全体に投げかけてたつもりだったんだが
つい近くにあったレスにアンカー付けちまったな。
申し訳ない。

まあしかし数万単位の死者が出たのは小火器が普及しだしてからだぞ
ヨーロッパでは戦々恐々したらしい。あまりの被害の大きさにね。
今まで数十名〜数百名の死者だったのが、一気に何桁も跳ね上がったんだから無理も無い。
確かに一般論で中国の事情には当てはまらないかもしれないが、当時の貧弱な武装では物理的に不可能なんじゃないかねえ。



778 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 22:32:17
>>777
カンネーの例もあるように包囲してタコれば銃火器なんぞなくても数万死ぬ

779 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 22:34:44
>>775
途中から、赤壁の戦いの規模や被害の大小に関わらず、
・当時の曹操軍の行動限界線が何処にあったのか?
・戦略的目的は何処にあったのか?
・荊州を抑えるための要地は?
・荊州を維持するための水軍の規模は?
・戦略的な優先順位は?

・・・と言う議論が延々と繰り返されてきたのだが。
あれは読んできても結構面白い良識的なレスの応酬だったんだと思うんだけどな。

780 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 22:35:48
>>779
要はそれを遮るやつがいたってことだろ。

781 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 22:35:55
>>734
状況証拠を揃えて詰めていけば、自ずと事実が推測できる。
史実の字面ばかり追って、全て鵜呑みにするのは良くないよ。
そこから真実を読み取らないと。
まあ・・・行き過ぎると妄想になっちまうんだがw

撤退の原因だが、疫病を主要な理由とした場合、その後の展開が腑に落ちなくなるんだよね。
江夏抑えられても補給線が維持できていたと仮定するよ。
それならば撤退の後、再度荊州に兵を展開する事は充分可能な筈。なんでそれが適わなくなったのか?
軍を展開するだけの兵站能力の欠如の可能性が一番高いんじゃない?
勿論疫病で全軍に壊滅的な打撃を受けた可能性もあるよ。
でもそういう事があったのなら、逆にもう少し疫病に関しての記述が有ってしかるべきなんじゃなかろうか。

すまんね大分妄想入ってるかもしれんw
誰か詳しい人指摘頼む。

782 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 22:39:39
>>734
>戦略目標は達成出来てない上に疫病で被害甚大、一方的としか言えない。
>表現が気に入らないなら不戦敗だろうか。

これも君に言ったわけじゃない。すまんな。
勿論戦略的には完全に曹操の負けだ。江夏抑えられた時点で既に勝敗は決している。
俺が念頭に置いてたのは、会戦で呉軍が魏軍を壊滅に追いやったと主張する人だ。

呉としては後は江夏確保しつつ持久戦に持ち込めがいいだけ。
敢えて討って出る必要はまるでない。

783 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 22:39:54
当時の兵は死ぬ以上に逃げる、あるいは落伍する

だから「散卒を収める」なんて記述がしばしば出てくる
負けて壊滅的な打撃を受けても、将が腰を落ち着ければ落伍した兵が戻ってくるのだ

瞬間最大風速的には兵がほとんどいなくなるくらいの敗戦というのもありうる
ただし死者はそれほどの数ではないので、兵はまた戻ってくる可能性がある

赤壁の曹操の場合、追撃を受ける中で多数が脱落し、その後すぐに帰還してしまったから散卒を収める暇も無く、兵力を回復できなかったのではないか

784 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 22:43:49
>>782
>呉としては後は江夏確保しつつ持久戦に持ち込めがいいだけ。
>敢えて討って出る必要はまるでない。

これが「防衛戦」だったらね
呉は劉表が生きてた時から荊州を侵略してたんだから、呉にとって赤壁は防衛の意味もあるけどそれ以上に荊州攻めの障害となる曹操を駆逐する戦の意味の方が大きい
そうでなければ、荊州に置いていったであろう兵の数まで計算に入れたり、合肥を同時攻撃する必要が無い

785 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 22:44:20
>>783
まあ事実は誰にも判らんね。
俺達は残された記述を元に、妄想するしかない。

786 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 22:47:24
一戦場の強さなんて、群雄の能力の中で取るに足りないものなのに、
「赤壁で壊滅したわけじゃない」と言う事が曹操擁護という「印象」を受けるのは
視野が狭い、というかゲーム思考じゃないかね

「曹操は様々な悪条件を抱えていた。
にも拘らず兵を出し、その為に一度手に入れた領土を半分失った」
という方がより強く曹操の能力を疑っているはずなんだが。

787 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 22:49:38
>>786
そこで魔法の言葉「攻勢限界」ですよ

788 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 22:51:08
>>784
兵站の問題考えると
漢水との連絡断たれた時点で、江陵の水軍は維持できなくなったと考えている。
補給に不足が生じる以上、長く戦線を維持することは出来ない。
よって持久戦に持ち込めば勝ち。敢えて討って出る意味はない。ってな考え。

言われるような大きな会戦は無かったと思ってる。
ジリ貧で船焼いて撤退したんじゃないかな。

789 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 22:53:41
限界を見極めなかったから失ったわけだろ?
攻勢限界なんて相対的なものだ。
孫権を刺激しなければ赤壁まで進出を許さなかった。
赤壁でなく別の戦場なら負けなかったかもしれない。
曹操陣営はどこかでミスをした。だから戦略的大敗を被った。

無論、結果論だけどね。言うほど簡単なことじゃないと思うけど。


790 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 22:53:50
>>788
呉は持久戦になると自分たちの方が不利と考えてたジャン、赤壁の対陣中に
真逆だよね

791 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 22:55:57
>>790
そこで魔法の言葉「妄想」ですよ
要は楽しんだもの勝ちだw

792 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 22:57:50
やたら水差すやつが沸いてるな

793 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 22:59:23
>>788
そこまで楽な戦いなら周瑜は赤壁まで進出しないよ。
補給の困難は、曹操の大軍が江陵に留まっているなら起こりえるが、
曹操自身が帰って江陵水軍と曹仁のような北方陸兵が残れば
荊州で十分まかない切れるだろう。
水軍があれば江陵包囲は難しくなる。
江南との連絡も利く。負けてないので荊州人心も繋ぎとめられる。
もし、曹操が周瑜の前進を察知し、水軍を江陵に留めていればそうなったかもしれない。

周瑜からみれば、まず速戦で水軍に大打撃を与え、あわよくば曹爽本軍にも
打撃を与える必要があった。だから赤壁が起きたんだ。

794 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 22:59:34
>>789
あそこで、魯粛と諸葛亮が居なければ・・・っていうタラレバは意味が無いんだけどねぇ
でも、あの相互協力関係で孫権がその気になっちゃったのがまずいんだよね。

元々、曹操と孫権は縁があったんでしょ?

795 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 23:00:15
そういう低レベルな会話しか出来ないカスはスルーでおk。

796 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 23:05:03
>>793
赤壁で会敵した時点で、曹操軍の荊州の掌握ってどの程度のモンだったの?
実際、長男坊・・・と言うか、劉備になびく奴も多かったんでしょ?

797 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 23:08:19
>>796
民:劉備に10万以上がついていきました
官:襄陽をいきなり攻めても取れると諸葛亮が思うくらい劉備に心を寄せる人がいたみたい

798 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 23:09:47
>>793
兵站の維持が難しいって前提に立っての推論だからね。
それが可能だったのならば、当然状況は違ってくる。

799 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 23:14:31
>>793
・・・打撃与える相手が思いっきり小物に・・・

>周瑜からみれば、まず速戦で水軍に大打撃を与え、あわよくば曹爽本軍にも打撃を与える必要があった。
だから赤壁が起きたんだ。

ゴメン、あげあし取るつもりは無かったんだが、思いっきり吹いてしまって・・・
考えて見れば、赤壁のときって物凄い人材の宝庫だったんだな・・・幕末の日本とタメ張れるぞ。

800 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 23:18:14
>>798
さっきも言ったが、「今寇衆我寡、難與持久」と呉側が持久戦を嫌っているところからすると、兵站は問題になってないんじゃないかなあ

801 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 23:19:36
>>796
そこまで詳しいことはわからない。
劉備が襄陽を放棄したときに数万の人間が付いていったと言われる。
続いて徐晃らが比較的順当に各地を平定している。
その後、劉備の元に旧劉表の官吏が多数投降してきて
狭い土地では賄いきれなくなったという話が出るのは周瑜が江陵を取った後。
その以前、江陵包囲中、荊州南部四郡を劉備は下しているが、
他からの救援が途絶した状態で素直に降伏した者もあり、
金旋のように戦死した者もあり。

つまりは情勢を伺っていたということだろう。いくら劉備に信望があったって、
勝ち目無しと見える方に付きたがる人間は極少数だろうからね。

>>799
スマンw
この時期の魏呉蜀の武将オールスターに近いもんな。軍人でいないのは夏侯二氏くらいか
関羽北上時の魏呉の面子も凄いけど

802 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 23:26:38
>>801
つまりは『曹操が一敗地まみれた・・・』あるいは『曹軍不利』という情報が走っただけで充分荊州が不安定化する下地はあったって事だよね。
曹操がキ州平定にかけた時間と労力に比べて、余りにも荊州掌握には余裕がなさ過ぎる。

803 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 23:31:19
>>802
あっただろうね
王威みたいに敗戦前から虎視眈々と狙ってる奴までいたんだから

804 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 23:35:12
統一王朝のコネ社会で本来B、C級の扱いしか受けられなかった人間が
地方分権で活躍する余地が出来たのもあるだろうか?
唐以後の科挙合格者は金持ちの多い長江流域に偏重してしまうけど
この時代は汝南、潁川、南陽あたりの人材量産地帯は特に優遇されてたようだ

805 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 23:35:14
>>803
王威は劉備・劉gじゃなくて、劉表・劉jに連なる荊州政権に対して
既得権益ないしは忠誠を見ていた人物だろうからちょっと違うと思う。

806 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 23:38:06
>>805
かもね。
俺は王威みたいな降伏に対する不満分子がたっぷりいたから諸葛亮が襄陽攻めなんて一見ムチャな策を言い出したんだとは思ってるけど。

807 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 00:07:55
>>779
前提を「曹操軍少数」「赤壁規模小」「赤壁被害小」で決めつけちゃってるからなぁ。。

808 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 00:12:26
>>807
それは前提ちゃうねん

809 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 00:14:15
初期条件を設定しないでどう推測するというのだ?
踏まえないなら全てただの妄想に帰す

810 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 00:19:05
807は「ごく一部の人の」前提だな

811 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 00:28:35
もう一方の前提が、「曹操軍総勢80万」「赤壁20万」「兵損失10万」だから困る

問題は「初期条件の設定」にどちらにより説得力があるか、だが
議論に今まで一度も加わっていない人らは同思うかな

812 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 00:33:36
>>800
もしそうなら江夏の戦略的価値は大きく低下するね。
それとその場合魏軍が会戦で敗れたことになるが、果たしてそう簡単に決着がつくものなのだろうかとの疑問が湧く。
官渡では烏巣を焼いた。夷陵では伸び過ぎた兵站を突かれた。
しかし赤壁ではそういう欠点が見受けられない。
単純に正面からの激突ならば、敵に壊滅的な打撃を与えるのは至難の業だと思えるが。

>>807
前提は夏口を押さえられると兵站の確保が困難になるという事
君が書いてるのは、その結果導き出される推論。
大軍は維持できず、会戦は意義は薄く、その為人的被害は軽微であったと。

813 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 00:36:50
曹操:鄴⇒許⇒宛⇒新野⇒襄陽⇒当陽⇒江陵⇒赤壁⇒江陵⇒北方⇒譙⇒合肥
劉備:新野⇒樊城⇒襄陽⇒当陽⇒漢津⇒樊口⇒夏口⇒赤壁⇒江陵⇒油江口⇒武陵⇒長沙⇒桂陽⇒零陵⇒公安

814 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 00:37:00
>>812
>しかし赤壁ではそういう欠点が見受けられない。
なんでそこで呉の火計を無視するのか理解に苦しむ

815 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 00:38:07
811は「ごく一部の人の」前提だな

816 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 00:38:49
>>810
>>815
真ん中の意見はないのかよw

817 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 00:39:14
そもそも初期条件の設定なんてする必要あるのか?

818 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 00:40:23
>>801
それと漢水を利用せずとも兵站を確保出来ていたのなら
その後荊州を放棄せざる得なくなった理由が説明つかなくなる。
戦死者多くて兵隊が居なくなったっていうのはそれこそナンセンス。
後は疫病だが…。

>>817
だってそういう話が続いてたんだもん

819 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 00:40:39
>>817
議論相手の前提がおかしいって言いたいだけの人がいるんだろ

820 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 00:40:54
>>817
会戦発生に到るまでの戦略条件を考察せずに
戦術結果を論じるなんてナンセンスだyo

821 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 00:43:11
>>818
>その後荊州を放棄せざる得なくなった理由が説明つかなくなる。
普通はそこで「ナンセンス」なんて断定せずに傷病、死亡、逃亡その他もろもろで兵力が激しく損耗したからかも、と考えるとこだと思うけど

822 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 00:45:13
>>821
古代の戦争で戦線の維持が不可能になるほどの死傷者が出ることはない。

823 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 00:46:00
>>822
死亡しか見えてないの?ちょっと落ち着いて

824 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 00:47:48
>>822
だから、それはそうだが
古代の衛生管理で戦線の維持が不可能になるほどの死傷者が出ない
というのにはつながらないだろう

825 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 00:48:29
>>823
死傷者っていうのは死亡者だけを指さないってw
どっちにせよナンセンス。
もし仮にそういう事が有ったとするなら、寧ろその根拠を示すべき。

826 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 00:49:20
>>818
兵站は、いつの時点で切れるが問題。
「動員10万以上の大軍が」「陸路補給数百キロの遠征先で」「年を越す」というのは、
まあ、後漢末から三国初期に掛けては至難の技だろう。赤壁で前線輜重が失われただろうからなおさらね。
旧劉表の輜重をかき集めればどうにかなったかもしれないが、疫病での負荷増大が致命的なことになっただろう。
撤退の主因は疫病だとしても、この時代の背景としてこういう要素もあるよということ。

こういう規模の遠征は、数年間の備蓄を消耗しただろうから、翌年にほいほい江陵まで援軍を送る
というのも難しくなる。では、小規模の軍も本当に動かさなかったのか? というと、
これはもしかしたら徐晃・李通・張遼らの伝を検討する余地があるのかもしれない。

827 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 00:54:36
まあ確かに、前近代の軍が戦場の損耗で自壊するというのはあまり聞いたことがないかな。
多いのは逃亡か疫病かだが、かなり多くの場合、根底に給養・俸給の欠乏がある。
むしろ病死が死亡率第一位だったという。
他には、帰るべき場所が占領されてなくなったとか。

828 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 00:55:37
あ、戦場での部隊消滅はあるや。包囲殲滅、中国で言うと「屠城」された場合

829 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 00:56:42
合肥方面:臧霸、陳登、李典、張喜vs孫権、張昭
江陵方面:曹仁、徐晃、牛金vs周瑜、劉備

830 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 01:01:49
結局、ちょっと夏口あたりで遮られただけで危うく自分の命さえ危険になるほどの敗戦を食らった上に新領土の半分を失って船団を全て燃やさなければならないほどの大変なことになるのに、曹操は江夏攻めを強行したわけか
酷い判断ミスじゃね

831 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 01:03:53
>>830
全部混ぜんなよw

832 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 01:04:03
>>830
兵を進めなかったら、船団は放棄せざる得ないよ
それはつまり荊州を捨てること

833 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 01:05:01
孫権の決断力が非凡ということだろうか
ここで潔く降っていたら天下三分は不可能だったな

834 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 01:05:08
>>832
それはカク伝を丸無視じゃねえの?

835 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 01:22:28
>>834
おれ832じゃないし、話変わるけど、賈ク伝を注の裴松之の解釈に従うと
夏口にいるはずの劉gと劉備を丸無視になってしまうことはどう思う?
賈ク伝だけを読むと「長江にそって東下」という言葉しかない。
武帝紀には劉備討伐のために東に向かったとあるが、
ここでは孫権が周瑜を派遣したことがまったく触れられていないので
イマイチ決定力に欠ける。他の伝には曹操の意図が述べられている箇所がない(多分)

それでは、曹操と賈クがこの会話をしたとき、当面の敵手として劉備を想定していたのだろうか?
それとも、周瑜の応援を既に察知しており、呉水軍相手を承知で船を出したのだろうか?
それによって赤壁の意味が変わってくる。

836 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 01:32:22
ついでながら程c伝にも微妙に問題がある。
太祖は荊州を征し、劉備は呉に奔った。論者は孫権が必ず劉備を殺すだろうと言った。
しかし、これが「孫権は降伏の手土産に劉備を殺すだろう」という意味ならば、おかしい。
赤壁前、劉備は夏口にあって呉に走ったりはしておらず、
孫権の手の届く場所にいないので殺せるはずがない。

劉備は英名が有り、関羽と張飛は万人に敵す,孫権は必ずこれを以って防御の資とするだろう。

を見ても、もっと後の、劉備が呉を訪問し、周瑜がこのまま軟禁してしまえと言った時期と
混同があるように見える。

837 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 01:44:27
>>835
劉備たちは丸無視じゃあないでしょう
もちろん明記はされてないけど、「長江にそって東下」には江陵から見て江夏も含む
カクは江夏(夏口)を今攻撃しなくても大丈夫っすよ、江東も従いますよ、って言ってることになる
呉、あるいは孫権と言っていないので、「江東」には長江を挟んで東側に陣取った劉備たちも含んでいるということだろう

そもそもその進言は全文引用ではなさそうなので省略された可能性も高いが、それは考えないとしても特別矛盾というほどの問題は無いと思う
カクは周瑜の進軍を知っての発言ではない(将来あることを念頭には置いただろうが)と俺は思う
それを知っての発言なら、「稽服」なんて悠長な言葉じゃなく、「待ち構えて守りなさい」みたいな発言になるところだろう

カク伝での敵は劉備だけではなく、「江東」の敵全部を想定しているということだろう
だから劉備も孫権も含んでいる

838 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 01:52:10
>>836
それはちょっと面白い話だ

俺は建安13年にも夏口を攻めている孫権が、一旦は同盟を持ちかけた夏口の劉備を攻め殺すという意味だと思っていた
劉表は孫権の宿敵だから、劉表の流れをくむ者は攻撃する方がありうる話(に感じただろう)

839 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 02:01:09
>>811
「兵損失10万」は見たことないが
それは推論から導き出されるかもしれない「結論」。
「初期条件」ではないよね。
初期条件は「各勢力の総兵士数」と「赤壁の兵士数」。
これは絶対必要。確かな尻尾もないのに逆算でこれを求めようとするのは無理。

>>812
夏口の兵力は?
兵站の確保これも曹操軍の総兵力、とくに荊州の兵力を定めて、
初めて、そこから先を考察することができる。
夏口に抵抗できる力があり荊州に何十萬もいたのなら一隊を差し向けて
封じ込めることもできる。やったかも知れない。
そうすれば兵站の障害にはならない。
そもそも少数の派兵であれ兵站線確保は必要であり、夏口は無視できない。
「夏口があるので兵站に問題を抱えた」というのならそれこそ戦略的に非常に大きな失態である。

840 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 17:48:08
江夏までは進出している。夏口に到達する前に負けた。

襄陽・江夏を越えたさらに先にある劉g軍一万+劉備
なんて兵力をそう簡単に制圧できるもんではないよ

841 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 19:45:37
>>834

俺の考えとしては
江夏の確保までは二人の思惑は一致していたと思っている。
荊州侵攻の一環として江夏確保は含まれるわけだし。
その後江夏を捨てて逃げるであろう劉備を追って、呉へ侵攻するかどうかで意見が分かれたんじゃないかと。

842 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 19:49:44
>>839
ごめん言ってる意味が良く判らない。
夏口に曹操の兵が居て劉備に当てろっていう事?
それなら勘違いだよ。

江夏の太守は劉g。ここに劉備が逃げ込んだ。
曹操は襄陽、江陵と抑えただけで、江夏に対しては力及ばない。

843 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 21:20:42
>>842
ごめん。ちょっと書き間違った。
ラスト2行目の「夏口」は「兵站の障害となる敵拠点」と書くところを間違って書いてしまった。


>>839の後半を分かり易く書き直す。

>>812
夏口の敵兵力は?(劉備・劉g・if孫権援軍の総兵士数)
兵站の確保、これも曹操軍の総兵力、とくに荊州に存在する曹操の兵力を定めて、
初めて、そこから先を考察することができる。
夏口に抵抗・妨害できる力があり、且つ荊州に曹操軍が何十万もいたのなら
一隊を差し向けて封じ込めればいい。やったかも知れない。
そうすれば兵站の障害にはならない。
そもそも少数の派兵であれ兵站線確保は必要であり、兵站の障害となる敵拠点は無視できない。
「夏口があるので兵站に問題を抱えた」というのならそれこそ戦略的に非常に大きな失態である。

追記
曹操の兵站線は江陵までは生きている。
また心服していようとなかろうと東征にあたって荊南にも軍糧を供出させることは間違いないと考える。
荊南→江陵・本土→江陵に集められた軍需物資は東進する曹操軍の後を追う。
江陵発の兵站は夏口に関係ない。
曹操軍にとって夏口が軍事上重要となるのは、曹操が夏口を落とし孫権勢力攻略の拠点を定めたあとのこと。
(本土と拠点とを漢水で直接結び、兵站の負担が軽減できる。)
また、曹操軍が烏林に着陣してからは本土からの補給は漢水を下り
現・仙桃市(烏林の北)に上陸しそこから陸路で運べばいい。
よって赤壁時、或いは江陵時、兵站に不安を抱えていたとは考えにくい。

844 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 21:41:09
>>843
>一隊を差し向けて封じ込めればいい。やったかも知れない。

この行動が即ち曹操軍の江陵→夏口への進軍の意図でしょ。
襄陽の水軍を得ているのは劉備軍なわけで、それを潰すのには江陵の水軍しかない。


>曹操の兵站線は江陵までは生きている

曹操の江陵侵攻は極めて強行軍。劉備に江陵の船を奪われるのはなんとしても避けなければなかった。
補給線を確保しての進軍ではない。
陸路での輸送は・・・。相当の湿地帯だったようだし、かなり困難だったんじゃないかな?
まあこの辺りの議論が、このスレの焦点になってるね。
果たして実態はどうだったのか?


845 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 21:50:54
>>843
襄陽から江陵までは直線距離でざっと200km。日本本州の最大幅に近いくらいある。
曹操の兵糧の第一集積地が許都だと仮定すると、襄陽から急進し江陵を獲ったことで
兵站線が8割増ほどになった。これを陸路で運ぶ人・牛・車の運用計画見直しは大変な手間になる。
それが、「兵站難派」の基本路線。

曹操は、その危険を冒してでも急進し、江陵を獲る必要があった。
江陵には物資と水軍があったから、劉備に
これは取りも直さず、襄陽には(曹操の大軍を賄うほどの)十分な漕運体制がなかったか、
あったとしても劉備に持ち去られたことを示すだろう。
江陵制圧・赤壁前後までなら、荊州の備蓄をフル活用すれば大丈夫かもしれない。

では赤壁敗退後(或いは曹操が江下せず江陵に留まって後)、
既に遠征が九ヶ月を越えた状態で兵站線がどこまで持つか?
を計るのはまず不可能だろうが、時代状況を考えると「非常に心許ない」と言って
大枠を外していないと思う。

846 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 21:51:44
ほとんどかぶったな。スマン

847 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 22:01:46
>>844>>845
それに加えて、劉備に動きをあわせて蠢動する勢力の危険性を考えれば、劉備に一隊を差し向けて抑えにすればいい・・・と言う単純な話じゃなくなるしなぁ。
・・・・後背の憂いだらけ

でも、周瑜の挙げている曹操軍の不安要素が正確だったとすると、周瑜が曹操との持久戦を避けたがると言う理由が解らなくなる。

848 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 22:06:41
>>844-846
そちらは「各勢力の総兵士数」と「赤壁の兵士数」をどの位だったと想定しているの?
まず始めにそれが聞きたいな。

849 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 22:07:01
>>847
出陣前に殺しまくってるしねw
よっぽど反乱を恐れていたんだろ。

850 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 22:16:34
>>847
曹操が長期的には兵站難を抱えていたとしても(いなかったとしても)、
中短期的には、曹操軍全軍と正面からぶつかれば多勢に無勢だからだろう。
赤壁時、西北には曹仁・楽進・満寵・徐晃・李通ら早々たる面子いて、
漢水と江水の間の郡県を制圧していた。時間を掛ければそれらが殺到して来る。
しかし、江陵水軍がなくなれば、曹操はそれ以上前進する価値と手段を失う。
故に黄蓋の弁、
「敵は多く我は少なく、持久は難です。しかし、見るに曹操軍の船艦は首尾を相接していますから、
燒けば逃走させることが出来るでしょう」
が出てくる。

…とすれば、周瑜が赤壁まで急進してきた理由など、色々と辻褄があう。

851 :844:2009/05/12(火) 22:21:11
>>848
俺は、まあちょっと多いと思うが、荊州征伐に動員された曹操軍15万、旧劉表7万という
周瑜の弁をとりあえず想定する。
そのうち赤壁に参加した兵力は、多く見積もって陸水合わせて五、六万かな。
その辺の総括的な俺の考えは>>638>>643辺り

852 :844:2009/05/12(火) 22:39:49
ついでにもう一つ
>>826
の続きだが、結局、江陵に立て篭もる曹仁に、当時どの程度の援軍が派遣されたのかは、
結局解らなかった。明確に解るのは徐晃と李通のみ。
しかしながら、曹操の撤収後も、楽進・満寵・文聘が残り、周瑜・劉備と対峙していた。
一軍を率いて征伐に従軍した中で帰還したらしいのは于禁・張遼くらい。
二人とも初めから漢水を渡っていないのかもしれない。
(朱霊など動向不明な者もたくさんいるけど)

曹操自身は合肥を優先したが、漢水以南が見捨てられたわけでも、
江陵が孤立していたわけでもないようだ。

853 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/12(火) 22:41:58
>>851
ちょw
844は俺のレスだぞw

>>848
主戦場が長江という事考えると、主力となるのは荊州の水軍。
いかに荊州水軍の主力が江陵に在ったとはいえ、数の上で呉の水軍にそれ程優位に立ってたとは思えない。
陸上部隊もそれに呼応して動きを見せたのかもしてないが、良く判らん。
どっちにせよ活躍の機会は制河権を獲得した後だ。
大部分の兵は襄陽、江陵で留守番しているしかなかったんじゃないのか?


854 :844改め845:2009/05/12(火) 22:42:34
重ねてスマンw

855 :845:2009/05/12(火) 22:46:43
>>853
俺は水陸並行進軍を取るかな
河川沿いの進軍はたいていそんな感じだろう
船舶が充実していれば陸兵を船に乗せ、
そうでない時や陣営を構築しながら進む必要がある場合では
陸路も取る。

856 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/13(水) 00:27:30
>>852のつもりで見てみると、色々認識が変わる。
周瑜はおそらく、最初から江陵を完全封鎖できたわけではない。
参加各者の伝で江陵が包囲されたとあるのは多分李通伝のみ。
なにより呉主伝には「周瑜と曹仁が相守り一年余となった」とあり、
周瑜伝には「交戦」の記録もある。

江水北岸一帯に戦線を持つ対峙だったと見たほうがいいのかもしれない。
劉孫軍にもいきなり江陵を総攻撃するような優勢があったわけではなく、
周瑜と曹仁が概ね主力として対陣拮抗する一方で、甘寧の夷陵、劉備の江南が代表するような
各地の周辺平定が行われて劉孫側が徐々に荊州の地に数的優勢を築いていった。
途中、北面を封鎖しに出た関羽を李通が突破するように、おそらく曹操側諸将の部分的な反撃もあったが、
総じて曹仁は押されていき、ついに限界に達したとみて江陵を放棄した。
それに掛かった時間が一年余だった。と。

857 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/13(水) 01:03:53
>>851
おk。なるほど。

>>844
江陵まで強行軍したとは書かれてないはず。
3ヵ月近くあるし劉障が兵を送ってこれるくらい時間があり
軍事的掌握は充分なされていたと思う。
つまり補給線は確保できている。

>相当の湿地帯、陸運困難
現・仙桃市は人が住んでいるし、それは分からない。
あの辺一帯は、現代地図では沢山の湖が確認できる。
しかし「湖が沢山ある」という感じに見える。
湿地帯といっても果てしなく広がる大湿原ということではないのではないだろうか。

曹操は陸路で江陵に帰ったし、江夏周辺も湖だらけ。
しかも仙桃市と比較にならない程比率が大きい。

地図を見る限り陸運不可能なようには見えない。


>>845
中国が馬鹿っ広いからつい頭から消してしまうが川は長江と漢水だけではない。
支流として日本の大きな川レベルの川が沢山ある。
@ http://www.arachina.com/attrations/sanguo/images/dt/1.gif
宛から襄陽まで大きな川が流れている。輸送にはこれを使ったのではないだろうか。

さらに現代地図をみると血管のように川が無数に走っているのが分かる。
A http://www.chinaviki.com/china-maps/hubei/index.html
地図@で漢水下流、江陵と近くなるところをAの地図でみてほしい。
大きな湖がある。

許昌から宛まで陸運、宛から江陵北まで水運。
そこから湖まで陸運。湖→支流→長江→江陵と水運で行ける。

858 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/13(水) 20:52:58
>>857
曹操は襄陽へ向かう際、身軽になる為に輜重を捨てている。
更に江陵へ向かった劉備を追撃し撃破。そのまま江陵を占領。
これでもかって位の強行軍。


公燒其餘船引退,士卒飢疫,死者大半
とあり、軍糧うが不足していたのも確か。

それと当時と現在では地形がまるきり変わっている。


859 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/13(水) 21:16:44
呉と1月にも満たない期間対峙しただけで兵糧が不足しているというのでは、曹操が一体何のためどこへ向かっていたのか謎になってくるな
揚州攻めはもちろん、夏口の制圧でさえも難しいんじゃないのか

860 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/13(水) 21:51:50
>>858
>輜重を捨てている
捨ててはいない。輜重部隊を分離し行軍しただけ。
もちろん輜重部隊はその後のろのろ後を追った。
曹操の大軍は襄陽まで至ったが劉備が逃走したことを知ると精鋭5千で後を追った。
曹操は当陽で追いつき劉備を撃破。劉備が連れていた大勢の人・大量な物資を鹵獲した。


>公燒其餘船引退,士卒飢疫,死者大半
飢えたのは、赤壁敗戦後の撤退時。赤壁で陣を失い兵糧を失ったからだろう。

>それと当時と現在では地形がまるきり変わっている
かもしれないが、どの位どのように変わったか分からない以上、断言できないと思うよ。

861 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/13(水) 21:53:13
>>860
じゃあもうそれでいいよ

862 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/13(水) 22:08:19
>>860
川の周辺だから地形は確実に変わってるといえるけどね
どう変わったかは確かにわからん

863 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/13(水) 22:13:32
襄陽から船で江陵に行く方法は漢水夏口経由だけだったのかねえ?
どうもそれを前提に論を進めてる人がいるけど、この点は本当に間違いないの?
漢書地理志とそれに基づいている「中国歴史地図集」によると漢水と長江を後の夏口の合流点より前でショートカットする形で繋ぐ「陽水」がある
200年後のことだから断言など出来ないが、当時も夏口を経由せず襄陽と江陵の間を行き来できたのでは?

864 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/13(水) 22:39:37
>>862
江陵までの輸送がそれ程大変ではなさそうだから、仙桃市縦断コースはもっと楽になるという位の方法案で
不可能なら不可能でも全然構わないと思う。

865 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/14(木) 01:02:25
赤壁曹操軍兵士数の推測


大した根拠はないが江表伝の数字22〜24万から定説のおよその20万くらいではないかなと思う。
劉表伝によると荊州には十数万の兵がいた。
そのうち水軍が7、8万ということだろうか?
+曹操軍15、6万。

10数万+15、6万で正史の通り「数十万(25〜30数万)」。
これが荊州の曹操兵力ではないかと思う。

866 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/14(木) 01:03:28
>>857の通り兵站に問題があったとは考えない。
他の方の意見にあるような、曹操軍を分散させていたとも俺としては思えない。
劉j傘下の郡県の令長太守の立場で考えると、劉jが降伏した以上、大勢力相手に抵抗する理由も力もない。
徐晃伝には中廬・臨沮・宜城の抵抗が見れるが、これらの県は劉jよりも劉備を支持し、
曹操を拒んで抵抗していたのではないかと思う。
これらの県以外にもそのような県があったかもしれない事を否定することはできない。

しかし、徐晃伝を見ると
“別働隊として”樊に屯し、中廬・臨沮・宜城の抵抗勢力を討った事になっている。

中廬・臨沮・宜城の3県は当陽より北に位置している。
時間軸を考えると、曹操の劉備追撃と、別働隊の行動は同時だったのではないだろうか。
中廬・臨沮・宜城が抵抗を示したとき、劉備はまだ曹操に追いつかれて居らず
荊州諸県が劉jを見限って劉備に組し一大勢力になる可能性が残っていた。
だから抵抗を示した。勿論、予想だけど。
(諸葛亮が劉jを攻めれば荊州を領有できる可能性があると説いた事から見ても
そのような情勢だったのではないかと推察できる。)

ところが劉備が蹴散らされ荊州から追い出されてしまい諸県は旗頭を失った。

この状態で、郡県の令長太守の立場になって考えると、
とても曹操に抵抗する気にはなれないんじゃないかなと思う。
徐晃伝に見える抵抗は劉備が蹴散らされる以前のものなのではないだろうかと思う。

曹操は江陵に入ったあと、各令長太守から人質を取ったのではないだろうか。常識だし。

荊州の中央には曹操の大軍があり、人を集められる柱となる人物も居らず、
人質まで取られては、とてもじゃないが大人しくなるしかないね。
小部隊をいくつか巡行させるだけで済むと思う。

867 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/14(木) 18:32:42
曹操軍中に名のある死者がいないことよりも、
赤壁に参加した名のある将軍がいないということの方が大事だろうな

868 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/14(木) 19:48:43
>>863
>襄陽から船で江陵に行く方法は漢水夏口経由だけだったのかねえ?

あくまでそう過程しての話だからねw
実際にそうだったのかは判らないよ。

中国歴史地図集は持ってないからなあ。
一般の地図には載ってないから、無いものとして話進めてた。
まあその説言い出したの俺が最初じゃないし、見てないのは他の人も同じかもな。

で、その陽水? それはどの辺りで漢水と別れるの?
基本的に漢水の制河権は劉備軍にあると考えているので、
輸送中、もし劉備軍が出っ張って来たら、奪われてしまうリスクが出てくる。
だからもしそのルートが在ったとしても、依然として兵站の問題は残る。
って所でどうでしょう?

それに実際問題として兵糧に不足が出ていたわけで、
まあ、輸送以前に食料の備蓄が無かったのかもしれないが、
輸送に問題が生じていた可能性も考えられるわけで…。



869 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/14(木) 20:22:56
>>868
曹操は南下し始めたとき、劉jの抵抗を想定しなかったのかな?
曹操が南征を開始したときまだ劉表は生きており、荊州の降伏は意図できるものではなかった。
ではどうやって漢水を渡り、襄陽を攻略する気だったのか。
襄陽には水軍がいるんだっけ? 襄陽水軍をどうやって攻略する?
そこから導き出される答えは、「曹操はある程度水軍を持っていた」。

また、漢水西岸の漢津は曹操が赤壁前に落としていたと見られる。
劉備は夏口西の樊口にいて曹操の東進を怖れていた。


>それに実際問題として兵糧に不足が出ていたわけで
ソースは?

870 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/14(木) 20:32:26
それに関羽が軍船を奪ったという記述はない。

871 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/14(木) 20:35:20
漢津  東岸に訂正

872 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/14(木) 20:39:50
関羽が奪った数百隻が水軍でないとしたら、
そもそも襄陽に夏口・江陵に対抗できるほどの水軍が存在したという
根拠がなくなるんじゃね?

873 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/14(木) 20:48:10
>>869
>曹操はある程度水軍を持っていた

そうだと仮定して、その時その水軍はどういう行動していたの?
もし漢水にある程度の水軍戦力が有るのなら、当然漢水下って夏口を突くと思うんだが?

>ソースは?
公燒其餘船引退,士卒飢疫,死者大半
と呉書にある。

>それに関羽が軍船を奪ったという記述はない。
関羽の漢水下る際に率いていた軍船は荊州のものだと思っていたが?
荊州内に劉備を指示する人間は多く、劉備の脱出に積極的に協力する人も居たんじゃなかろうか。
無論断定は出来ないよ。俺がそう考えてるだけ。

874 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/14(木) 21:22:15
>>872
それは赤壁後の考察に関するものだよね?
南郡を失ったのは…(兵力は充分なのに)というものでしょう?
「兵力充分」を審査するのがこれからの赤壁の被害推測なわけで。


>>873
>もし漢水 〜 当然漢水下って夏口を突くと思うんだが?
それは分からない。というか、いろいろと考えられはするが深く考えていかないと見えてこない。
が、曹操に水軍がなければ襄陽を攻略するのは困難。一敗地にまみれる可能性が高い。


>公燒其餘船引退,士卒飢疫,死者大半 と呉書にある。
ほんの少し前のレスぐらい読もうや。>>860


>関羽の漢水下る際に率いていた軍船は荊州のものだと思っていたが?
そんなこと知らんw 
「軍船」とは書かれてない。明記されてないのにどうしてそう思ったの?

もし軍船で、それがその後の戦局に大きく影響していく事になるのなら
「襄陽の水軍は関羽に従い漢水を下った」くらいの記述がなされるんじゃないかな。

875 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/14(木) 21:33:06
>>874
>>860はあえてスルーしたんだがね…。まあ答えるか。

>飢えたのは、赤壁敗戦後の撤退時。赤壁で陣を失い兵糧を失ったからだろう。

江陵に補給があり、船団にも豊富に兵量が有ったとする。
そうなると兵量不足に陥ったのは烏林→江陵間って事になる。
この道のりは一大湿地帯で、行軍は困難を極めてようだが、それでも劉備の追撃が間に合わない程度の速度では撤退してる。
この短期間の間だけで飢えと病気で死者多数とは考えにくいよ。
その前から兵糧不足に陥ってたと考えるべき。


876 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/14(木) 21:56:22
>>874
いや違う。赤壁前。

いずれにしても互いに相手の意見を否定してばかりで
自分自身の主張する全体像がさっぱり見えてこないのが問題だな。
原文の言葉尻を解釈して各陣営の水軍の数とか被害規模などを
想像するのはまず不可能だし、「根拠を示せ」を言い続けられればどこかで手詰まりになる。
時期による戦線の推移で優劣を推定するような作業を加えて
境界線を引いていくような作業もしていくべきだろう。

文聘伝を中心に見ると、これが赤壁前か後かわからないが、荊城や漢津で
関羽と交戦している。これは当陽の真東辺りで、夏口よりも襄陽に近い。
ここまで関羽の進出を許している一方で、逆に曹操軍が漢水上に水軍を持たなかった
というのも無理があったようだ。これが江陵放棄後の戦いの可能性も十分あるけど。

そんな感じでまとめていきたいが、ちょっと時間掛かりそうだ。
あ、おれ845だけど。

877 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/14(木) 22:00:53
>>875
烏林から江陵まで直線距離でも200qある。
日本で言うと東京の中心から静岡愛知の県境くらいか。
ぬかるみ等を通ったり迂回したりしただろうからとても大変だったろう。
何日かかるかなぁ。まぁ飢え死にするな。。

878 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/14(木) 22:04:36
>>877
じゃあもうそれでいいよ。
頼むからお前コテ付けてくれ…。

879 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/14(木) 23:28:05
>>876
文聘伝のそれは先主伝にある212年の戦いだと思う。
(劉備が蜀で張魯と戦っている頃)

魯粛伝注によると漢津は曹操に早々に落とされた模様。


>>878
俺か、、俺はピーター・ペトレリ

880 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/14(木) 23:46:24
>>879
考えてみたが、どうやらその可能性はかなり低いようだ
南郡が譲られて関羽が襄陽太守になった後のことなら、夏口を抑えているのは孫権軍。
漢津は漢の編成では江夏郡に属する。
江夏郡北岸の内陸は既に魏が抑えていると考えられるから、
関羽が漢水東岸の漢津に輜重を置くとすると、それを十分に守り切る水軍を漢水流域に、
陸軍を漢水東岸に、関羽は有したことになる。そんなことを孫権軍が許すとは思えない。
万一許すとしても、南郡に本拠を置く関羽がそんな場所に輜重を置くわけがない。

漢水は一時曹操の手に落ちたが、周瑜と劉備の反撃によって江水戦線が行われるに呼応して
関羽が夏口から遡上し、曹操漢水方面軍と交戦したとした方がいいだろう。

それから、その態度が空気を悪くさせているんだろうから少しは改めな

881 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/14(木) 23:57:31
追記
いつの時点で江夏北部が曹操のものになったかわからないから、その辺がちょっと微妙だけどね。
212年頃、江夏が劉備か孫権の勢力範囲内だったとしたら、漢津に兵糧を置く理由もできる。

江陵を下して程普が江夏太守になったとき、駐屯した沙羨は夏口の南西、江水を遡った辺りにあるから
陸優位の江夏軍(文聘)を避けたと見るべきだろうけど。

882 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/15(金) 00:04:30
Jominian氏のブログで楽進、文聘伝の記述から考察してたはず

883 :879:2009/05/15(金) 00:17:48
>>880
>そんなことを孫権軍が許すとは思えない。
関羽の進撃は曹操が孫権を攻め、孫権から救援を求められてのことだから
許すも許さないもないよ。
というか、行軍に輜重は付きもので軍が進むところに輜重がある。
そんな所に関羽軍がいるわけがないと言っているのと同じ。

みんなコテつけようぜ。

884 :845:2009/05/15(金) 00:31:45
>>883
219年のように関羽が水軍を伴って北上したとしても、江陵軍が漢水東岸に輜重を置くことは有り得ない。
東に曹魏軍がいる以上、どうやっても守れない。せめて荊城のように西岸じゃないと駄目。

あとの問題は漢津が東岸ではない可能性だが、集解を見たら漢口のことだと書いてあって困った。
のちの漢津県は漢水の南のようだし、ここ一連の「漢津」は単に「漢水の津」と見るべきか。
それなら時期を推定するのは無理になるかな。

885 :845:2009/05/15(金) 00:48:21
訂正。時期がほぼ確定できる記述が一つあった。徐晃伝でも、徐晃と満寵が漢津に関羽を討ったとある。
当時満寵は当陽に駐屯し、徐晃は210年に并州へ出兵するから、これは荊州攻防戦中の出来事と考えられる。
襄陽を放棄し夏口へ向かう途中に徐晃らが追いついたというのは、
ここで撃破されると関羽は劉備に「漢津」で合流できないので、ありえないことになる。

しかし、「討った」と書いてあるだけでは戦果を挙げたとは限らないから
「漢津」において関羽が二人を撃退した後に劉備を迎えたのかもしれないし、
「漢津」が固有名詞ではない場合、そもそも考えること自体意味がないし、
219年でも二人は同じ場所に居合わせているから、記述順の混乱の可能性もある。

駄目だな、手詰まりになってきた。

886 :879:2009/05/15(金) 01:00:18
>>885
漢津=漢口だよね?
>>857のAの地図を見て。

当陽(当阳)を真東に進むと漢水東岸に「旧口」という地名がある。
これが漢津だと思う。

887 :845:2009/05/15(金) 01:04:44
ごめん、もう一個訂正。読み違えた。
>>884
劉備は「漢津へはしり、遂に夏口へわたった」だ

888 :845:2009/05/15(金) 01:13:16
>>886
>旧口
なぜそう思うわけ?

ついでながらその地図には、まんま「漢口」が載ってるけど。ほぼ夏口の位置に。
しかしそこに関羽が単独でいたことがあるはずがないから、漢口=漢津も無いだろう

889 :879:2009/05/15(金) 01:24:57
>>888
隋が漢津県を置いたから。

890 :879:2009/05/15(金) 01:38:46
隋が現在の位置に漢津県を置いた。
「旧口」ということは「元〜口」ということ。
隋の置県で名前がカブったから旧にしたと考える。

891 :879:2009/05/15(金) 01:45:58
現在の漢口(漢陽)は昔、沙羨だった。

892 :845:2009/05/15(金) 01:47:54
そこなの?
隋の漢津県は漢陽と改名されたとあり、
漢陽県はベン陽郡東部、漢水最下流で江水との間、夏口のすぐ西の対岸
だと把握しているんだけど。

893 :879:2009/05/15(金) 01:54:17
wikiによると
前漢では沙糟ァに属した。呉のときに江夏郡治が置かれた。だそうで。

894 :879:2009/05/15(金) 01:57:52
符合するでしょ?

895 :845:2009/05/15(金) 02:09:20
うーん 隋の漢津県はどうやらそこでいいようだ
唐の安州で漢の安陸県で今の安陸府だとしている
その地名が漢魏晋の頃にあったとは、ちょっと確定できないが。
まあ、それでは879氏としては>>880でいいわけ?


896 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/15(金) 08:00:32
このスレの論点は何?

897 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/15(金) 08:24:08
・曹操はすごい。赤壁の被害は大したことない
・曹操はすごいけど、赤壁ではひどいめにあった

898 :愛田みつお ◆85MGANnPJw :2009/05/15(金) 11:14:32
歴史の専門家達はやっぱり演義の影響力があるからあまり学会とかも動けないみたいね。劉備が皇帝の血引いてるって詐称してたってのも演義のせいで表にでない



演義って最低だよ。歴史の改変もいいとこ

899 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/15(金) 11:19:32
他のスレに出没するのはこの辺にレスしてからでお願いします

人には言えない三国志の勘違い
http://ex24.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1206947729/581

900 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/15(金) 17:41:55
結局、赤壁の合戦の後しばらくは荊州は曹操・孫権・劉備に三分割されて、それは関羽の敗死まで続くんだよね。
色々と複雑なお土地柄なのかなぁ?

901 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/15(金) 19:22:38
>>845
アンタ凄いな。話がまとまりそうな雰囲気になってきた。
やっぱ下らない煽りレスにも答えていかないといけないということか。
人のレスの粗を探す事しか考えない様な奴に何言っても不毛な気はするが…。
まあ答えるか…。

>>877
何故そんな極端な状況想定しているのか意味不明。
兵糧全て失う程の壊滅的な損害を受けたとでも言いたいの?
そんな有り得ない状況想定されても困るんだが。
そりゃ強行軍になるわけだし、大部分の物資は放棄せざる得なくなるが、
退却の際持てるだけの分は持っていくだろ。
多く見積もっても10日程度の道程で飢えで死者続出なんて状況は起こるとは考えられない。

兵站が厳しいと思わせるような状況証拠はいくつも上がってるのに、何故そこまで補給は問題ないと言い切れるのか理解に苦しむよ。。


902 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/15(金) 19:30:52
>>901
兵站に関しては、土地の状況やインフラだけではなく、治安状況や動静不安なども考慮に入れるべきだとは思うんだよね。
キ州から許昌に物資を送ったり、洛陽から長安に物資を送るのと同等のレベルで襄陽周辺の輸送を考えるのは、ちょっと違うような気がする。

903 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/15(金) 19:34:32
>>902
なんで俺に言うの?

904 :879:2009/05/15(金) 22:38:56
>>895
>>880は212年のものだと思っているよ。
関羽は守っているんじゃなくて、攻めている。
江陵から北江夏曹操領へ攻め込んだ。
目的はおそらく合肥を攻める曹操軍を割かせて減らすことではないだろうか。


赤壁前後ではないという根拠は
楽進伝「又討劉備臨沮長杜普 旌陽長梁太 皆大破之」。
劉表政権下で劉備が県長を任命できるわけがない。
劉備が江陵を統治するようになってからと考えるのが自然。
一応、臨沮・旌陽(宣)は徐晃伝の反乱の県と一致する。
「劉備臨沮長」というのを「劉備が任命した」とせず「劉備の(劉備についた)」と訳したとする。
しかし、そうすると何故わざわざ「劉備」と振るのかわからない。
その前から劉備と戦っている話なのだから。
わざわざ「劉備」と振ったのは何かと区別するためではないかと推測する。
それが何かというと徐晃伝の荊州平定時の反乱ではないかと思う。
「劉j臨沮」≠「劉備臨沮」このために「劉備」と振ったのでないだろうか。


>漢水は一時曹操の手に落ちたが、(中略)曹操漢水方面軍と交戦したとした方がいいだろう。
これには同意。

905 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/15(金) 22:45:01
>>901
誤解があるようだ。
下らない煽りレスはそっちだと思うよ。

>人のレスの粗を探す事しか考えない

俺は1から順を追って赤壁を考えている。
当時の兵力は→兵站は→周辺情勢は→準備できた兵力は→赤壁へ向かったのは→・・・・
とね。
君達は
赤壁は大したことなかった→何故そう言えるのか、それは→兵站だ、情勢だ、戦後だ
とやっている。決めつけから始まっている。

>>877は答えただけで俺的には「先」の話で、進行はまだ「赤壁へ向かった兵力の準備段階」の前段階。

ついでだから聞くが
>兵站が厳しいと思わせるような状況証拠はいくつも上がってるのに
何? 挙げてくれ。

906 :879:2009/05/15(金) 22:52:16
あら、何故かageになってる。何も変えてないんだが…。


重大事実を発見したんだが
三国時代の江陵は現在の江陵区ではなかった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E9%99%B5%E7%9C%8C
これによると、古江陵城は現在の江陵区から北西に50kmの地点にある。
>>857の荊州区(大きな湖近西)。

先主伝注呉録によると江陵攻めの際、劉備が夏水から江陵の北へ回ることを提案している。
そこで夏水なるものを調べてみたが
夏書書経集註に
「華容縣に夏水有り。首は江より出でて、尾は沔に入る。亦之を沱と謂う。」というものがあった。
地図では確認できなかった。知ってる人は教えて。

長江と漢水は夏口を経ずとも結ばれているということだろう。



・漢津に関して
安陸ということは現・湖北省孝感市。漢水北岸。
やはり「漢津」(旧口)でいいようだ。
ただ、先主伝注江表伝の記述に「?」が残る。
信頼性は正史>>江表伝なので謎過ぎるのでスルーでいいかな。。
漢津が固有名詞でなく「漢水の船着き場」だとすると、位置が特定できない。
「山裾で」みたいな記述と同類だとすると他と比べて登場回数も多すぎる気がするし、
沔津でないのも不思議。

907 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/15(金) 22:57:28
>兵站が厳しいと思わせるような状況証拠

どこよ?まだ確定してないだろ

>そりゃ強行軍になるわけだし、大部分の物資は放棄せざる得なくなるが、
>退却の際持てるだけの分は持っていくだろ。
>多く見積もっても10日程度の道程で飢えで死者続出なんて状況は起こるとは考えられない。

これがまず自論の都合のいい仮定な訳で客観性に欠けているんじゃないの。
行きは10日でも病人の体力ではもっと増える可能性もありえるはずだが
落伍して死ぬ可能性は「追撃戦の記述がないからありえない」のだろうか?
粗を探されているというより結論を急ぎすぎてるからボロボロになるんだろう

908 :879:2009/05/15(金) 23:03:07
江陵が想定より北西に50km移っちゃたから
烏林から250kmあるね。

909 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/15(金) 23:04:54
>>906
夏水のことは漢書地理志、南郡華陽県の本注に見える。
「夏水は首は江を受け、東のかた沔に入る。行六百里なり」
あと陽水は同じく南郡臨沮県。

910 :879:2009/05/15(金) 23:15:45
ありがと。

911 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/15(金) 23:29:39
>>905
誤解って、何を誤解してると思ってるわけ?


>俺は1から順を追って赤壁を考えている。
>当時の兵力は→兵站は→周辺情勢は→準備できた兵力は→赤壁へ向かったのは→・・・・

お前が何を考えてるのかまるで読めない。
もう少し具体的に言ってくれ。


>兵站が厳しいと思わせるような状況証拠はいくつも上がってるのに
荊州の政情不安→治安の悪化、伸びきった補給線、長期遠征に伴う物資不足の懸念。
食糧事情の悪化が戦病に繋がり安い事も考えると疫病の原因もひょっとすると疑わしい。

そんなとこ?このスレであがってる事は。


912 :879:2009/05/15(金) 23:34:10
ていうかさ、お前、赤壁はしょぼかったという固定観念を捨てろ。

913 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/15(金) 23:36:16
>>907
>これがまず自論の都合のいい仮定な訳で客観性に欠けているんじゃないの。

違うってw

>公燒其餘船引退,士卒飢疫,死者大半
飢えたのは、赤壁敗戦後の撤退時。赤壁で陣を失い兵糧を失ったからだろう。

こんなレス返されて、納得しろというほうがおかしいだろ。
しかも>>877のような意味不明な文章書いてる奴に言われたくないわ

914 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/15(金) 23:36:55
荒れてきたな
お互いに冷静でいられないならやめた方がいい

915 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/15(金) 23:37:57
>>912
じゃあお前はどう思ってるんだ?

916 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/15(金) 23:39:19
死者大半なんだ。大半って2/3のことだよなあ(漢文では)

917 :879:2009/05/15(金) 23:41:22
俺は固定観念もたずに行こうと思ってる。

918 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/15(金) 23:42:55
>公燒其餘船引退,士卒飢疫,死者大半
飢えたのは、赤壁敗戦後の撤退時。赤壁で陣を失い兵糧を失ったからだろう。

これが納得できないという理由が俺は分からない。

919 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/15(金) 23:44:58
>>917
それと別に俺は決めけるつもりなんて毛頭ないぞ。
そっちが納得いく説明してくれるのなら、いつでも考え変える気でいる。
このスレ読んでて、兵站に難ありという論が一番しっくりくるから、それを支持してるだけ。

というか、そもそもお前がどういう考え持っているのかさっぱり判らん。
人の批判ばっかしてるようにしか見えないんだが…。
お前がどういう考え持ってるのか聞かせてくれよ。
内容によっては考え変えるって。

920 :879:2009/05/15(金) 23:45:48
>>913
俺的に先の話だからあんまり触れたくないが
兵糧を充分持ってで出たという論拠は、ない。
なぜ持って出たことにしたいのか。。
結局、始終「したい論」でやってるように見えるな。

921 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/15(金) 23:46:04
>>918
>>875,901

922 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/15(金) 23:47:15
>>920
>兵糧を充分持ってで出たという論拠は、ない。
>なぜ持って出たことにしたいのか。。

・・・・俺はまったく反対の主張をしてるのだが…。

923 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/15(金) 23:47:25
>>918
もとから飢えと疫病に苦しんでて死者が大半に達したので
余った船を焼いて引いたってことか?

でもそんな無茶な進軍をした意味が分からん
二匹目の泥鰌ねらいならアホ過ぎる

924 :879:2009/05/15(金) 23:48:34
>>919
批判?どこが?
論理のほつれを指摘するのは議論として当たり前だと思うが?


925 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/15(金) 23:49:17
>>924
>俺は1から順を追って赤壁を考えている。
>当時の兵力は→兵站は→周辺情勢は→準備できた兵力は→赤壁へ向かったのは→・・・・

お前が何を考えてるのかまるで読めない。
もう少し具体的に言ってくれ。


926 :879:2009/05/15(金) 23:51:33
「読む」ってなんだ?「先」か? 

927 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/15(金) 23:51:34
もとから曹操は兵糧を切らす杜撰なやつだったってことじゃないの?

928 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/15(金) 23:53:21
>>925
>俺は1から順を追って赤壁を考えている。
>当時の兵力は→兵站は→周辺情勢は→準備できた兵力は→赤壁へ向かったのは→・・・・

その一から順を追ってる考えてる事を、俺にも判りやすく説明してくれ。
それで俺が納得したら、それでこの話はお仕舞いだろ。

929 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/15(金) 23:53:43
>>923
船を焼く前から飢えと疫病に苦しむほどの状態だとしたら、拙速にもほどがある

・夏口を通らずとも襄陽・江陵間は水運可能であった可能性が高い(劉備と別れた関羽の進行予定ルートもそう考えた方がいいはず)
・関羽が襄陽水軍を根こそぎかっさらっていったような証拠は何も無い
・つまり江夏を取らないと江陵が到底維持できない、江陵水軍が死ぬ、を立証できるものは無い
・簡単に飢えに苦しむような状態のまま江夏に進軍したのであれば、曹操は正気とは思えない

930 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/15(金) 23:56:23
そもそも劉備を攻めるつもりだったのか
孫権とデートする予定だったのかサッパリわからん

931 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 00:07:27
・曹操はすごい。赤壁の被害は大したことない
・曹操はすごいけど、赤壁ではひどいめにあった
・曹操はアホだったので、赤壁でひどいめにあったけど被害は大したことない
・曹操はアホだったので、赤壁ではひどいめにあった

932 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 00:11:20
>>931
913の考えによると3番目らしいな
兵糧不足気味なのに進軍したから飢えと病気が蔓延して撤退したようだし

933 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 00:19:14
>>932
別に何でもいいよ、そんなの興味なし。

問題にしてるのは、曹操が強引に夏口侵攻を行った理由。
補給の問題で必要不可欠だったというならって納得したわけ。
>>929みたいにくだらない批判してる暇があったら、代案のひとつでも出せってんだ。

934 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 00:21:02
>>931
1番目は赤壁の敗北は呉蜀の過剰宣伝
2番目は赤壁の敗北は疫病による事故的なもの
3番目は赤壁の敗北は兵站の欠如が原因だが、被害は過剰宣伝
4番目は赤壁の敗北は兵站軽視の進軍による大被害

935 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 00:27:19
>>933
食い物が足りないから敵の領土に略奪にいくというのはありえるのか?
赤壁以前では孫権の制水権も確立されてた訳ではないだろう

936 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 00:28:38
>>935
漢水の確保が目的

937 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 00:49:49
「江水と漢水を連結せずに荊州を維持するなんて無茶だ」

938 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 00:58:27
>>933
そもそも、本当に「強引」な侵攻だったのか?
十分な兵力と、少なくとも簡単には飢えないであろう兵站を確保した(つもり)で望んだ戦だろう
孫権がガチで攻めてくるというのを読めなかったから苦戦して負けたのであって、カク以外は大した不安も感じていなかったと思われる
特別に指摘されていない(呉主伝の記事は船を焼かれて以降のこととして書かれている)補給の問題を想定する必要があるんだろうか?

939 :879:2009/05/16(土) 01:06:56
>>928
兵力は全ての基本。

当時の各陣営の人間は当然おのおのの大体の兵力を頭に入れている。
その上で策を練ったり方針を決めたりしている。

現代人が当時の人間と兵力情報を共有できないならば
当時の人間のその時の考えを推し量ることはできない。

だから、まず兵力について考えようじゃないかと言っている。

俺の考えは>>865



兵は食事する。
だから兵站の問題になる。
兵站が無ければその地で兵を維持することができない。
だから兵站元・兵站線を考える。
その結果、江陵は兵站に困らないだろうという結論になった。


それは安全が確保できているということが前提なので
安全について考える。即ち抵抗勢力があったかどうか。
それについての考察が>>866

文聘伝・楽進伝・徐晃伝の記述は何時の頃のことなのか(荊州平定時の事か)
などの考察が「準備できた兵力」へ向けて現在交わされている。

940 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 01:08:15
>>937
それ俺のレスじゃないけど、そういう事だね。
ちなみに俺が成程って思ったのは>>590

てかもう重箱の隅を突く様な議論はウンザリだ。
この戦争の目的はなんだったのか?
そういう話に戻って欲しいんだが…。

941 :879:2009/05/16(土) 01:12:51
それはまだ先の話。

942 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 01:13:21
>>939
ごめん・・・
何が言いたいのかさっぱり判らんわ

943 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 01:17:47
>>942
戦略に応じた兵力の準備があり、兵力に応じた兵站計画があり、兵站に応じた作戦計画があるということだろ
途中で破綻or行き当たりばったりで無謀な行動をして被害を受けるのはありえない、と言ってるのだ

944 :879:2009/05/16(土) 01:20:58
いや、じゃあさ、戦略意図を探るのに兵力を考えなくていいのかな?
兵が10万いるのと、1万いるのとでは全然採る手が違う。
戦略には兵が必要。どの位準備できたか考える必要ががあると思うのだが。

945 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 01:21:35
>>937が事実ならカクの進言は非現実的なもの、ということになるのでは?

946 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 01:25:04
>>945
そうなんだろうな。937が事実なら。

でも937って立証されてないと思うんだよね。

947 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 01:25:10
赤壁の戦い 80萬
http://ex24.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1240741987/l50

次スレ

948 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 01:28:18
戦前に兵が飢える時点で持久戦を寡兵の呉が嫌うというのは理解不能な状況なんだが
ほっとけば官渡の袁紹同様、恐慌状態に陥って自滅するだろ
史書の記述を鵜呑みにするべきではないというのは分かるが
あまりにも整合性が取れてないのは問題がある

949 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 01:37:09
>>947
そこ次スレじゃないだろw
そっちは兵力の規模を検討するだけのスレ。

950 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 01:40:15
>>943
いやだからさ…。

>>590みれば判るように
兵站難説が出てきたのは、そもそも曹操がなんの目的で夏口に軍を進めたのかという事から始まってるんだぞ。
普通に考えれば無謀以外何物でもない行動なんだから。
兵站維持の為の仕方のない行動だったとすれば納得がいくって話。
個々の問題は全てそれを元に生み出された。
無論完全な立証など出来る術もない。可能性として論じてるわけであって。
この説を完全に否定するには、その目的自体の矛盾を指摘する必要があるでしょ。

うーん、完全に双方の論旨がずれていたようだな。
俺が期待してたのは、この説の代案。つまり曹操の夏口侵攻の意図をどう捉えていたのかという事・・・。




951 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 01:42:53
663 名前:大澤 投稿日: 2005/05/08(日) 22:06:25 [ GCWlXVrk ]
 ニセクロが以前書いていた、董卓の五銖銭改鋳によるインフレと銅の産地について。
調べてみたら、ちょうどいい鉱山がありましたよ。
その名も『銅緑山』。
http://www.china.org.cn/Beijing-Review/Beijing/BeijingReview/Japanese/99Oct/bjr99-40j-23.htm
 殷代より漢代まで千年以上も採掘され続け、今でも現役の鉱山地帯となっている地域だ。
 もう採掘から加工まで後世の冶金学の学者も感心するような設備の整った銅山で、銅以外にも金や銀なども産出したそうだ。
 この鉱山を中心として江夏郡は銅を始めとする鉱物資源の一大生産地であったのは間違いない。
 この鉱山があるのが、今で言う湖北省黄石市、後漢時代ではガク州と呼ばれ、さらに三国時代に孫権によって武昌と改められた地。
 つか江夏から独立させて武昌郡を作っているね。
 この地は文聘が駐屯する江夏と国境を接するせいか、城壁を築いたり、一時期は孫権が根拠地にしていたり、
 帝位について建業に戻ってからも太子孫登を置いたりと、ただの防衛拠点とは思えないほど、ほとんど準首都的な扱いを受けているが、それもこんな大規模な銅鉱山があると考えると非常に納得のいく措置だ。
 どうも当時の銅の産出地域を調べてみると、長江流域に偏りまくっており、『楚銅』なんて呼び方すらあったぐらいだ。
 董卓が長安に引き篭もった時期は、益州は劉焉が半独立して、漢中は五斗米道が独立している。
 山東から徐州に抜けるルートは山東諸侯が蜂起しているし、南方は袁術・孫堅らが絶っている。
 こうなるともはや銅の供給ルートはほぼ絶たれたと言ってもよい状況で、
 董卓の改鋳はごく自然に銅が手に入らなくなったか、
 あるいはその懸念が大きかったかによるものだと考えると自然だろう。

952 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 01:43:35
664 名前:大澤 投稿日: 2005/05/08(日) 22:06:38 [ GCWlXVrk ]
 さて、董卓が滅びていろいろあって北方と中原を制した曹操は、荊州に南下し、劉jの降伏によって荊州を手中にする。
 次期政権を担う曹操としては、基幹通貨の原料である銅の産地を手に入れてホクホク気分だったけど……。
 この直前に孫権が江夏の黄祖を討って、どうやら江夏までは陥落させられなかったものの、ガク州を中心とする銅緑山の一大銅生産地は奪うことができた模様だ。
 これには曹操も焦ったろう、ただちに文聘を江夏に派遣するとともに進撃を開始する。
 一方の孫権も奪ったばかりのこの地を曹操に渡すわけにもいかない。というよりこの地の銅を経済の基盤にしようと普通考えるわな。
 そんなわけで孫権、周瑜、魯粛たちは陸口、赤壁、夏口の渡河点を最終防衛ラインに決める。
 一方、曹操も荊州がまだ鎮定していないし、行軍の限界点にきているのは重々承知しながらも決戦を挑もうとしたのは、孫権を滅ぼすまではいかなくても、絶対ガク州近辺の銅の生産地を抑えて起きたかった。
 疫病が流行し始めたり、それにともなって士気も下がりまくっているというのに、曹操がどうしてもこの戦いを放棄できなかったのも当然だわな。
 経済の基盤となる貨幣の原料を抑えるのと抑えていないのとでは大きく違うし、ここを抑えた孫権を放置しとけば経済力も膨らむ一方だ。
 赤壁の位置を見ると、笑ってしまうぐらいに「目の前」にガク州があって、曹操はどうしてもここを渡ってしまいたかったのがわかる。

 赤壁の戦いの結果はみんなも承知の通りだが、この戦いで曹操は将兵の被害はほとんどなく、大敗ではないという見方もできるが、この敗北の結果は魏という国は国家百年の大計に齟齬を来たしてしまうのだから、そういう意味では大敗北と言ってもいいだろう。
 その後、魏は貨幣政策に散々苦労させられる。
 董卓が鋳造した悪銭を元に戻そうとしたはいいが、やはり銅が不足して十分な銭を生産できなくなる。
 苦し紛れに徴税を穀物や布帛による物納に切り替え、あげくの果てには五銖銭を廃止したりしている。
 つか、廃止したはいいけど、やっぱり不便でまた復活させたり、とにかく迷走と言ってもよいぐらいの状態だ。
 魏という国は建国からその滅亡にいたるまで、とうとう貨幣を安定させる事のできなかった国家となってしまう。
 そういう意味でも赤壁の戦いの敗戦は、凄まじく大きかったのがわかる。


953 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 01:45:14
 ちなみに逆に蜀や呉は、魏に対する当てつけでもあるかのように、盛んに貨幣の鋳造を行なっており、今も残っている呉蜀の銭は明らかに魏のものよりも質がいい。
 もしかすると、銭や銅は蜀錦などのように重要な魏への輸出品だったかもしれん。
 人口や農業生産力等で想定する国力では魏が余りにも圧倒的だが、それでもあれだけ拮抗していたのは、貨幣だけでなくさまざまに使われる青銅の原料でもある経済の基幹となる銅を呉蜀に抑えられてしまったせいで、かなりアドバンテージを縮められてしまったのだろう。

 もうひとつの銅の産地である四川方面だが、この地を蜀が制したのは当然として、問題は劉備と曹操が争奪する漢中だ。
 あの戦い、鶏肋なんて故事が残っているから、曹操は無用の地や面子にこだわって夏侯淵をはじめとする多数の流血をしたと見られている。
 だが、実際は鶏肋なんてものではない。
 どうも漢中も銅の生産地であったらしく、他ならぬ張魯が「太平百銭」なる銭を鋳造している。
 一地方に盤踞する宗教教団が貨幣の鋳造を行なったりしているわけだから、やはり漢中は豊富に銅を産出したのだろう。
 そう考えると、ここを自ら出兵してまで張魯を降し、さらに夏侯淵・張郃といった名だたる武将を残し、夏侯淵敗れたなら自ら乗り出して悪戦苦闘するまで流血を続けた理由も理解できる。
 荊州の銅を失った曹操はこの地の銅だけは絶対に確保しておきたかったに違いない。
 というより、もしかするとこの時点ですでに銅の不足が起こっていたのかもしれない。
 曹操にとっては鶏肋どころか、国家の血液の生産地とも言える地だったわけだ。
 そして劉備にとっては対曹操の前進基地にできるだけでなく、魏を銅によって干しあげる戦略を取ることができるようになると言う事だ。
 少なくとも、諸葛亮はその辺の経済戦略は頭にあっただろう。
 そういう事を考えに入れると、「蜀呉同盟が戦略の基本」という諸葛亮の戦略の基本も厚みを帯びて伝わってくる。
 劉備の孫権討伐で呉との仲が決裂してしまえば、武昌の鉱物資源が魏に流れ込む事を恐れただろう。
 
 まだ荒々しく辿っただけだが、ヴィクトリアバリに鉱物資源の争奪という視点で三国志を見てみると、非常に面白いと思ったわよ。


954 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 01:46:59
668 名前:大澤 投稿日: 2005/05/09(月) 01:36:23 [ GCWlXVrk ]
古銭サイトで見つけた
http://www5d.biglobe.ne.jp/~kosen/sub/gosyu_4.html
董卓五銖
クソワロスwwwwwww 技術とか改鋳とか、そういうレベルじゃないな(笑)

んで三国時代の五銖銭
http://www5d.biglobe.ne.jp/~kosen/sub/gosyu1.html
もう見た目からして、魏と呉蜀の銭の質が違うのがはっきりわかる。
魏と呉蜀の間で銅や銭の貿易があったかどうかはまだ調べていないので、
憶測でしかないけど、ひとつだけ言える事は
「絶対、密輸横行したな、こりゃ」と思った。
これだったら呉蜀から銭持って、魏に密輸しただけでヒト財産だ(笑)


669 名前:大澤 投稿日: 2005/05/09(月) 02:04:08 [ GCWlXVrk ]
すまん、今ちょこっとググったら蜀呉の銭が魏の遺跡で見付かったりするらしいな。
つーことはやっぱり、しっかりと貿易してて流通してたんだな、立派に。
そう考えて見ると、蜀呉が戸籍や耕作地で見られる国力以上に魏と戦い得たのもわかるな。
蜀呉の質の良い銭は有利な為替レートで輸入できるわけだからなー。
しかし、劉備が蜀で銭を鋳造させたのが214年か……
って劉璋から益州奪った途端に、自前の銭を鋳造し始めてたのか劉備は。
常識的に考えれば、内政に堪能な諸葛亮が考えた経済戦略なんだろうが、
小説的に妄想広げれば、裏社会で贋金作りにも関ってた劉備が構想したなんてのもいいかもなw
 ともあれ、後に呉も自前の貨幣作り出す事からも、この蜀の銅の生産力を背景にした貨幣政策は、
どえらい先見の明があった事は確かだな。
 しかも、正確に曹操陣営の弱点を突く経済政策だったわけだから、感服するしかねーわ。


955 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 01:47:22
>>950
夏口(江夏)制圧は第1に抵抗勢力劉備・劉キ討伐であり、第2に揚州への玄関口確保
兵站・輸送問題に関係なく、条件が揃ったなら急いで侵攻するという選択は理解できる
結果から見ればカクの進言も無視して焦って行動したということにはなるが、裴松之が言っていたような後方の不安と目の前にあるチャンスとを秤に掛けたら急いでしまうのもやむを得ない

956 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 01:49:45
まあそっちの話の内容がイマイチよく理解出来ないのだが、一応レス。
勘違い多いかもしれないが、理解を深める為と思って勘弁してやってくれ。

>>939の話って曹操軍が常識の範囲内で行動してるって前提に立ってるよね?
しかし新野→襄陽→江陵の侵攻は明らかに常軌を逸している。
劉jが降伏したと知るや、輜重捨てて、最後は軽騎のみで劉備の追撃。撃破の後、江陵確保。
余りの事に劉備も対応出来なかったんじゃないかな。
当時の曹操の行動は常識では測れないと思う。

957 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 01:56:04
>>955
それがどうも納得いかないから兵站難説に飛びついたんだがね・・・。

958 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 01:57:50
陳寿を信汁
賈詡先生を信汁

そういうことじゃね?

959 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 02:00:39
>>956
曹操が輜重捨てて強行軍を重ねて劉備を追撃したのは江陵を占拠されるのを恐れてのこと、と明記されてる
確かに常軌を逸した速度だったが、理由や目的ははっきりしているし極めて妥当なもの
江夏侵攻も兵站に不安を重ねた常軌を逸したものだったとしたら、その理由はなんだろうか?
劉備捕捉を急いだというなら、江陵に入ってから3ヶ月も経っているのが不可解になる

960 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 02:07:43
赤壁の戦い 80萬
http://ex24.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1240741987/l50

次スレ誘導

961 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 02:09:20
>>957
ただ「納得いかない」なのか、それを否定する資料があるのか、どっちなの?
それによって話は変わる

962 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 02:28:03
>>960
荒らすなよ。
スレタイ訳分からんし、そこは目的が違う。
混乱させるな。

963 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 02:30:00
赤壁の戦い 80萬
http://ex24.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1240741987/l50

次スレ誘導

964 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 02:33:31
兵1万が1年行動するのに60万斛必要

965 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 02:50:18
赤壁の戦い 80萬のスレ主が必死すぎてワロタw

966 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 08:41:53
>>959
うーんと>>939の言ってる事にそって話してるのは確かなわけ?
その内容に江陵

967 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 08:55:19
>>959
うーんと>>939の言ってる事にそって話してるのは確かなわけ?
侵攻にあたって、準備してるのは当然でしょって事を言ってるんじゃないの?
だから準備なんか全然してないよって答えただけ。
その内容に江陵占領の妥当性云々が関係してくるのが良く判らないんだが…。

まあそれは置いといて、夏口侵攻を非常にリスクの高いものと見る。
その結果荊州全体を失うようになるようなリスクを犯す侵攻を何故やったの?
急を要するもの無かったのならもう少し落ち着くの待ってから改めて進軍考えればいいんじゃない?
3ヶ月もじゃなくて3ヶ月しかだ。急ぎ過ぎ。
この理由として所謂定説?の>>959は納得できないと思った。

968 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 11:21:29
劉備に江陵を与えたくないので
強行軍で当陽の戦いを敢行。
大勝して捕虜&物資を沢山ゲットするも劉備を取り逃がす
江陵を得たものの、兵站の問題で維持出来ないので漢水を確保するために夏口を攻めたら
孫権の艦隊が支援にやってきて赤壁の戦いになってしまった
疫病でボロ負けだが史書には追撃戦の記述がないから
人的被害はたいしたことないのだが
江陵が兵站の問題で維持出来ないので撤退
紆余曲折あって劉備は江陵を領有した

969 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 11:30:54
劉備に江陵を与えたくないので
強行軍で当陽の戦いを敢行。
大勝して捕虜&物資を沢山ゲットするも劉備を取り逃がす
江陵を得たものの、兵站の問題で維持出来ないので漢水を確保するために夏口を攻めたら
孫権の艦隊が支援にやってきて赤壁の戦いになってしまった
兵站の問題が原因で疫病にかかってボロ負けしたらしいが
史書には追撃戦の記述がないから人的被害はたいしたことないのだが
江陵が兵站の問題で維持出来ないので撤退
紆余曲折あって劉備は江陵を領有した


970 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 11:32:39
「史書には追撃戦の記述がないから人的被害はたいしたことない」という一方で史書に「死者大半」と書かれているのは無視するダブルスタンダード


971 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 12:02:57
兵站厨は論理展開が雑
態度でかいしうざい

972 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 12:13:08
疫病厨は説明が下手なのを棚上げして
文句言い出すアホ
しんじゃえバーカ

973 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 12:21:07
無闇やたらと曹操の非を打ち消そう打ち消そう
「曹操は無能じゃない!」
と頑張ってるように見えるかな。

974 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 12:46:56
曹操などティムールと戦えば一瞬で蹴散らされてしまう

975 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 12:49:15
曹操などバヤジットにさえ凹られる過大評価くんでしかない

976 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 13:01:11
普通10万人が狭いところでウンコしまくったら
簡単に疫病流行るよね

977 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 14:11:47
きたない地形なんだろうな

978 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 14:15:41
・曹操はすごい。赤壁の被害は大したことない
・曹操はすごいけど、赤壁ではひどいめにあった
・曹操はアホだったので、赤壁でひどいめにあったけど被害は大したことない
・曹操はアホだったので、赤壁ではひどいめにあった


979 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 14:16:26
曹操なんてウンこ以下でしかない

980 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 14:20:47
兵站厨vs疫病厨の対決スレ

981 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 14:25:58
57 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/16(木) 23:09:16
>>50
なぜ荊州の利権を手放したか、それに付いてはすでに>>35で出た
火計や水上の遭遇戦でそれほど甚大な被害が出るとは考えにくい、という話も既に出た
劉備の追撃でそれほどの大戦果をあげたなら蜀書に誰がどの軍を撃破したとか、どんな将を討ちとったとか、追撃戦の様子や状況とかがもっと詳細に載ってるはずだ

戦闘があったにせよなかったにせよ、疫病が主な要因とみてほぼ間違いないと思うが

982 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 14:27:39
77 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 22:06:58
カク伝を見ればわかるように、最低でもカクは荊州南部(特に江陵)に楔を打ち込んでおけば呉はくみしやすいと理解していた
曹操がその進言を聞いても進軍したのは仕方ないにしろ、負けて以降も全く理解せずに江陵を放置したというのであれば、曹操に戦略眼が皆無であったといわざるを得ない
もちろん実際にはそういうわけではなく、赤壁での損害が大きくて江陵を助けにも行けない状態だったということだろう
蒋済伝によると合肥救援に使わされた将軍張喜の兵がやっと騎兵1000で、それすらも疾病に苦しんだそうだから
疾病で弱体化したところを呉に狙われた、というのが真相なのだろう

983 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 14:28:10
>>973
曹操が馬鹿だったので負けましたで
全てを解決しようとするのもどうかと思うけどw

984 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 14:32:00
322 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 23:11:06
>>319
江陵救援なら曹操の本隊が動く必要はないだろう
北荊州にいた張遼・于禁・朱霊ら七軍が無傷でいる。
完全に想像になるが、兵站問題の可能性があるね



323 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/25(土) 23:13:18
>>322
兵站線確保に失敗してるのに本体だけ前進すんなwww

曹操はそこまでアンポンタンじゃねーだろ

985 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 14:34:36
>>973
>>983
君らには中間が無いのか

986 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 14:36:34
まとめ

【死者】
1 疫病説
2 火計説

【夏口進軍】
1 兵站説
2 劉備討伐説
3 劉備&孫権討伐説
4 孫権降伏説
5 資源説

987 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 14:43:45
曹操は無能だったので兵站を軽視して疫病にかかった、人的被害は大したことない
曹操は有能だったので兵站を重視して疫病にかかった、人的被害は大したことない
曹操は無能だったので兵站を軽視して疫病にかかった、人的被害はすごい
曹操は有能だったので兵站を重視して疫病にかかった、人的被害はすごい

988 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 14:48:31
ジョウ陽の降伏
当陽の戦い
江陵を接収
烏林に進出
赤壁の戦い
江陵に撤退
北方に帰還
合肥、江陵に救援部隊を派遣
曹仁が江陵を放棄

989 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 14:49:43
(^O^)あはあはあははは

990 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 14:52:25
>>987
ただ一つの史実は疫病にかかって撤退したということだな
しかしそれを鵜呑みにしてはいけない

991 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 14:55:33
史料軽視で持論を神聖化してるやつの言ってることは
何が言いたいのか分からない

992 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 14:58:35
8 :無名武将@お腹せっぷく:2009/04/14(火) 20:46:56
ていうことは呉の熱造疑惑が浮上だね。
この頃から既にMadeInChainaって感じだ。


993 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 14:59:27
          ____
       / \  /\  キリッ
.     / (ー)  (ー)\
    /   ⌒(__人__)⌒ \   史書には追撃戦の記述がないから人的被害はたいしたことない!
    |      |r┬-|    |   
     \     `ー'´   /   
    ノ            \
  /´               ヽ

            ___
       /      \
      /ノ  \   u. \ !?
    / (●)  (●)    \ 
    |   (__人__)    u.   | クスクス>
     \ u.` ⌒´      /
    ノ           \
  /´               ヽ

         ____
<クスクス   /       \!??
      /  u   ノ  \
    /      u (●)  \
    |         (__人__)|
     \    u   .` ⌒/
    ノ           \
  /´               ヽ

994 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 15:00:47
          ____
       / \  /\  キリッ
.     / (ー)  (ー)\
    /   ⌒(__人__)⌒ \   江水と漢水を連結せずに荊州を維持するなんて無茶だ!
    |      |r┬-|    |   
     \     `ー'´   /   
    ノ            \
  /´               ヽ

            ___
       /      \
      /ノ  \   u. \ !?
    / (●)  (●)    \ 
    |   (__人__)    u.   | クスクス>
     \ u.` ⌒´      /
    ノ           \
  /´               ヽ

         ____
<クスクス   /       \!??
      /  u   ノ  \
    /      u (●)  \
    |         (__人__)|
     \    u   .` ⌒/
    ノ           \
  /´               ヽ


995 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 15:02:35
1000なら兵站厨の勝利

996 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 15:07:11
降伏派の論拠
・曹操は天子を擁しているから、こちらには大義名分がない
・長江、荊州水軍による地の利が劉降伏で既に喪失している
・根本的に戦力の多寡がある

周瑜の反論
・曹操は国賊。俺たちは漢の忠臣。
 丁度いいからぶっ殺そうぜ
・地の利は絶対的にこっちにある。水軍では絶対に負けない。
 そして敵には疫病が必ず発生する。
・馬超、韓遂が曹操の背後にいるし、本国自体も不安定。
 曹操が本国から連れて来たのは15万程度で既に疲弊している。
 降伏した荊州軍団も7、8万はいるだろうが、曹操に心服してない。
 不安要素満載で恐れるに足らない。5万もあれば十分。

997 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 15:08:10
・周瑜が来た時点で、一度の敗北であっさり南岸から撤退するほど疫病で弱体化。
・黄蓋「多勢に無勢だから持久戦になると困る。敵は船を隙間もないほど並べてるから焼けば敗走する」
・偽降伏に飛びつき、曹操の船団はあっさり炎上。
・風の勢いがすさまじく陸上の陣地にも延焼。
・煙と火が天にみなぎり、焼死、溺死した人馬は多かった
・敗走した曹操は南郡で篭城するが、劉備と周瑜が追撃してくると曹仁を置いて帰った

998 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 15:08:51
赤壁の戦い 80萬
http://ex24.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1240741987/l50

次スレ誘導

999 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 15:10:25
>>969
それ曹操がどうしようもないアホだね

1000 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 15:11:03
(^O^)あはあはあははは

1001 :1001:Over 1000 Thread
  立  新   /   ,、r'";;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;`';,、    ,r';;r"           _ノ  と   何
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  ね  い   //;;/´         `' 、;;;;;;;;,,l;;'            /ヽ  す  1000
  ば  ス   /.,';/              ヽ;;;;,l;L_      .,,、,--ュ、 ';;;;;;;;;i  か   を
  い  レ   l |;|┌--‐フ  ┌----、、   |;ヾr''‐ヽ,  ,、ィ'r-‐''''''‐ヽ ';;;;;;く  !!    超
  か  ッ   i  |l ~~__´ 、   ``'__''''┘  |;;;;;l rO:、;  ´ ィ○ヽ    'i;;;;;厶,     え
  ん  ド   l _|. <,,O,> 〉   <,,O,,>    |;;;;;| `'''"/   `'''''"´     !;;;;;;;;ヽ   た
  の  を  ._ゝ'|.    /   、       |; ,'  /   、        |;;;;;;;;;;;;;レ、⌒Y⌒ヽ
  う     「 | |    (    )       .ソ l  ,:'   _ ヽ       .|;;;;;;;//-'ノ
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人_,、ノL_,iノ!  . ',   :i゙''''''''''`l'  ` _人__人ノ_ヽ ヾ゙゙゙゙ニニ'\       ,'  ト、,
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ハ ワ  {.      ヽ.  -、、、、 '  ノ  き き 了. ゙, ,ヽ===-'゙ ,'     ,   // ヽ
ハ ハ   ヽ.    ハ        )  ん 込  |  ',.' ,  ̄ , '    ノ  //三国志・戦国板
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